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2013年9月29日 (日)

「百代の過客」

ドナルド・キーン著「百代の過客 日記にみる日本人」を読み終わった。平安時代から江戸時代末期まで、実に様々な日記が網羅されている。キーンさんが読み込んだ書物の量はいったいどれほどになるのだろう。想像すると気が遠くなりそうだ。本書は文庫で600ページを越え、なかなか読み進めない時もあったけれど、タイトルにあるように芭蕉が出てくるあたりから一気に読んだ。少なくとも「奥の細道」はぜひもう一度読んでみよう。
キーンさんは外国人だったから僕たちの気付かない日本の様々な魅力に目が止まるのだろうか。そして、記述に日本人的婉曲表現のないことも新鮮だった。
本屋でこの本を初めて手に取った時、序文が魅力的だったので迷わず買った。その序文から

『なるほど自分の日記を他人に読まれては困るというので、日記を暗号(啄木の場合はローマ字)で書くという極端な人もいる。また自分が死んだら日記を焼却するようにと、わざわざ生前に指示を残しておく人間もいる。しかし日記をつける人が、自分の日記を実際に焼却したり破棄したりすることは、そう滅多に起こることではない、他人の目に触れることを恐れて、どれほど万全の配慮をしてみても、いつかは、誰かに読んでほしいという気持ちも、どこか心の片隅に、必ず動いているにちがいない。日記をつけるのは、詩を書くのに似て、一種の告白的行為であることが多い。そして告白というものは、誰かそれを聴いてくれる者がいなければ、なんの意味も持たないのである。』

弦の自由研究の続き、下2本のマグナコアと組み合わせる上2本をラーセンのソフトにしたら、どうにも重心が高くて座りが悪かった。今朝仕事に出かける前に発作的にミディアムに張り替えた。秋はこれでいこう。
今日のリハーサルは「グレート」を通した。なぜだかとても幸せだった。シューベルトを弾ける人生は幸せだ。

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