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2013年9月23日 (月)

「写真に次はない」

このところ日経新聞記事の引用ばかりですが、印象的な文章があったので。9月19日夕刊に掲載された写真家小林紀晴さんの「写真に次はない」から。

『自分より若い人が撮った写真を観る機会が増えた。大学の写真学科の学生の作品だったり、コンテストに応募される作品などだ。
 ・・・・・
 審査のとき、写真家ではない審査員の方から発せられる言葉で、気になるものがある。かつて、自分が選ばれる立場のときに、耳にした記憶がよみがえる。
「次に期待しましょう」
 その言葉とともに落とされることがある。すると私は即座に反論したくなる。実際に出来る限り、その場で言葉にすることにしている。
「写真に次はないと思います」
 この考えは間違っていないはずだ。写真は多くの場合、現実に起きた出来事、目の前の人、風景など、自分以外の何かを撮ることで成立させることしかできない。他力によるところが実に大きい。
 よって、ほとんど二度と同じ場面は撮れない。たとえ同じ場所へ行っても、同じ人に会っても、同じ状況はない。だから、次に同じレベルのものが撮れる保証はどこにもないのだ。それゆえに「次に期待」と言われると、かつての私は絶望的な気持ちになった。だから敢えて反論するのは、作品を応募して来た人たちの思いを代弁することが誠意だと考えるからだ。
 著名なアメリカ人の女性写真家ダイアン・アーバスは、撮影の「対象は特殊であれば、それだけ普遍的になる」という言葉を残した。写真が撮影者の人生に深く関われば関わるほど、あるいは個人的な事情や状況の度合いが増せば増すほど、撮られた写真はより普遍的なものとなり、多くの人の心を打つ、という意味だ。
 ・・・・・
 先日の審査で選考の結果がでた直後に、一人の若者に呼び止められた。確かに彼の作品は残らなかった。落としておきながら「本来、写真に優劣などない」などとはとても言えない。審査員は複数いるので、正確には私が落としたともいえない。要素が幾つもあり理由はひとつでもない。だから言葉に詰まった。
 ふとある言葉が頭に浮かんだ。
「写真を撮っているあなたのことが、ぼくはとても好きです」
 他界した写真評論家の平木収さんから、かつて同じような状況で慰めに贈られた言葉だ。私はそれをそのまま口にした。困った末のことだが、正直な気持ちだった。』

古いニコンの調子が悪くなった。先日の東北北海道演奏旅行の現像があがってきて発見した。条件を様々に変えても再現するのでどうやら間違いのないことらしい。1/125のシャッタースピードの具合が悪い。やれやれ、半年くらい火種のように持っていた明るい50ミリレンズが欲しいという気持ちが先日突然大きくなって手に入れたばかりだった。大きくて重いプラナーは、ふわっと溶けそうな写真が撮れる。

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今度の旅はそのレンズを新しい方の(それほど新しくないか)ニコンに付けて行こうか。F100はいいカメラなのに、中古市場ではまるで叩き売りのような値段になっている。2年前、シャッターの不調で修理に出したら修理金額内でグリップのゴムまで張り替えてくれた。こういうニコンの対応はうれしくなる。
今日久しぶりにフィルムのスキャンをした。写真は楽しい。

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