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2013年10月

2013年10月31日 (木)

砂がさらさらと流れ落ちてしまうように

ムーティの演奏会2日目。彼は圧倒的な求心力を持っているのに、誰かに何かを強いることはなかった気がする。馬に鞭を入れるのは一度だけで、決して叩き続けない。だから、オーケストラ弾きにとって手垢にまみれた「運命の力」序曲でさえ、生まれたばかりのように新鮮で自由だったのだ。
リハーサルが始まった時から、この時間がはかなく過ぎることはわかっていた。両手にすくった砂が指の間からさらさらと流れ落ちてしまうように、今日の演奏会はあっという間に終わってしまった。

ところで、にわか野球ファンになっている。贔屓はもちろんあのチーム。シーズン後半から日本シリーズはこの組み合わせになったらおもしろかろう、と思っていたもの。
ただ、野球の応援は常に危険な火種をはらんでいて、うかつなことは言えない。よく通ったとんかつ屋のマスターは熱烈な巨人ファンだった。巨人が負けた翌日、僕がカウンターに座り、店に置いてあるスポーツ新聞を手に取ると、「今日は読むところがない」と言われた。昔、ある有名なチェリストがその店で、巨人のことを何か言ったら(ちょうどテレビで試合の中継をしていて、しかも旗色が悪かったらしい)、マスターから出入り禁止を言い渡された、という伝説もある。

都響は明日も朝からマーラーの6番のリハーサル。問題は次の7番の譜読みが進んでいないこと。演奏会が終わり、錦糸町から家に着くまでの間に日本シリーズ第5戦の結果が入ってきた。よし、ちょっと疲れているけれど、がんばって勉強しよう。

2013年10月30日 (水)

祝福すべき

都響にはインバルが来て、今日からマーラーの6番のリハーサルが始まった。午後までぐぎぐぎマーラーを弾いてから、夜はトリフォニーへ。ムーティが指揮する演奏会の一日目。
演奏会の直前、この特別編成のオーケストラのメンバーに子供が産まれた。彼に、二重の意味で忘れられない演奏会になるね、と話をした。

先日、ある素敵な音楽家のとても悲しい知らせがあった。春に会ったばかりだったのに。今でも本番の舞台に立つとそのことを考える。

毎日当たり前のように仕事をしていることが、実は何て幸せなことかと思うし、そして、誰かに子供が産まれたり、誰かが結婚したりすることは本当に祝福すべきこと、と改めて思う

2013年10月29日 (火)

何かを伝えるために

今日は通し稽古。ムーティは僕たちに何かを伝えたくて全てヴェルディのプログラムを組んだのだと思う。
ヴェルディの音楽が粗雑に、紋切り型で扱われていることに我慢がならない様子だ。ザルツブルクでモーツァルトのオペラを聴きに行くときは人々はまるで宗教的なものを求めているようなのに、とも言っていた。

確かに、よく演奏される「ナブッコ」の有名な合唱「行け、わが想いよ、黄金の翼にのって」は、新しい命を持ち、まるで別の、本当に別の、初めて聴く曲のようだ。この場に実際にいると、僕はヴェルディについて何も知らなかったのだとわかる。
時々ムーティは棒を振らずにうつむいて音楽の流れを聴いている時がある(振りやめているのにオーケストラが弾き続けるとカミナリの落ちる原因になるので、その見極めは難しいところではある)。その時、この人の胸には何が去来しているのだろう、と思う。

2013年10月28日 (月)

逸話が満載

ムーティのリハーサルが始まっている。彼は前回よりよく喋り、逸話が満載だ。トスカニーニにまつわる話が多い。

「シチリア島の夕べの祈り」序曲は三十二分音符二つのアップビートで始まる。こういったモチーフを大編成のオーケストラが弾く時は、互いに様子を伺いあってリズムが後に後になりやすい。そうならないため、トスカニーニはアメリカのNBC交響楽団(メンバーはイタリアからの移民が多かったそうだ)を振った時、二つの三十二分音符と続く四分音符のリズムを「バカラ」という言葉に結びつけたそうだ。つまり「タ・タ・ターン」というリズムを「バ・カ・ラー」という言葉にしてしまう。言葉の音節に関連付けるとリズムは狂わない。トスカニーニがこうした、ということをユージン・オーマンディもうけあった、とムーティが言っていた。
この「バカラ」という言葉、有名なガラス・クリスタル会社を思い浮かべたのだけれど、イタリア語で干した鱈のことだそうだ。ちなみにトランプのゲームと思った人もいたみたい。
それから、第九の第2楽章のあのモチーフを「ティーン・パ・ニ」と言うのは有名なこと、とムーティは言っていた。僕は知りませんでした。

また、シカゴで行われたショルティ指揮コンクールに触れた後、楽器を弾いていた人が指揮者になることはあっても、指揮者が楽器奏者になることはない、楽器を弾くのは難しいから、と言ったのにはオーケストラのメンバーが大いに笑った。

また、トスカニーニは「ピアノは響かせて、フォルテは喋って」と言ったそうだ。

昨日のリハーサルは部屋が狭かったこともあり、「穏やかに、優雅に」と、オーケストラをあまり弾かせなかった。今日からは本番会場でもあるトリフォニ―・ホールへ。場所が広くなっても、フォルテよりピアニシモの方がはるかに効果的、とムーティは言い、静かで集中した場所をつくることが多かった。オーケストラの音は経験したことがなかったほど立体的で静謐な感じがする。合唱も素晴らしい(東京オペラシンガーズ)。

トリフォニ―に行くのは新日フィルを辞めて以来、初めてだった。錦糸町の駅から歩くと右手に大きなスカイツリーが現れて驚いた。そして、楽屋口から舞台上手袖に上がる階段の入り口を見つけられなかったのはショックだった。そうだ「階段4」だった。

新日フィルにいた時、「?」ということや「!」ということがよくあった。あの頃の僕はとにかくいっぱいいっぱいで、何か事が起こった時、ひらりとかわせばいいのか、知らんぷりすればいいのか、のらりくらりやり過ごせばいいのか、あるいは思いきりちゃぶ台をひっくり返せばいいのか、皆目わからず、いつも正面から対峙して怒っていた。
でも、苦労は買ってでも、という言葉の通り、あの頃のことがなければ今の僕はないし、それに時がたつと苦かった思い出もだんだん美しくなる。
トリフォニ―の上に新日フィルの事務所があり、リハーサルの合間に表敬訪問した。知っている人はほんの数人になっていた。

昨晩、マーラーの6番のスコアを開いてCDを聴いていたら、突然世界が開けるようだった。やはりそうか、と思い、今日、トリフォニ―からの帰りに7番のスコアも求めた。

2013年10月26日 (土)

もう一歩奥へ

朝の歯医者と夜のプール以外は家にこもって譜読みをしていた。たまにはそんな日もある。一生懸命楽譜を読むとお腹が空き、たくさん食べると眠くなる。今日は読む→食う→寝る、の繰り返しだった。

砂漠の地図のようだったマーラーの6番は少しずつ手の中に入ってきた。何か形あるものになってきた。6番の演奏会(2回ある)の後、一日おいてすぐ7番のリハーサルが始まる。こちらの楽譜も開いてみた。うぅむ、僕の素晴らしい記憶力のおかげで、まるで初めて弾く曲にしか見えない。音を聴きながら音符を追いかけると、とても手の込んだ音楽だとわかる。6番より要素が多く、次から次へと楽しい。
マーラーばかり読んでいると眉間のしわが増えそうだ。幸い、明日から始まるムーティのプログラムは全てヴェルディ。この明るさには救われる。

心待ちにしていた楽譜が届いた。シュニトケのムジカ・ノスタルジカ。ロストロポーヴィチのために書かれた短い曲で、古典的なメヌエットの形で書いてある。もちろんシュニトケらしく素晴らしいひねりが入っている。こういう曲をアンコールでさらりと弾けたら格好いいなぁ。こちらの譜読みは趣味のようなもの、仕事の譜読みだけだと心が乾きそうだもの。

先日重野さんに楽器の状態を見てもらっていた時、彼が「音にならない音」ということをよく言っていた。今日その言葉を思い出しながらさらっていた。口を大きく開けて大きな息で「あー」という声ではなく、音になる前の音、音にならない音、だろうか。もう一歩奥へ進むための鍵になるかもしれない。

2013年10月24日 (木)

音色が見える

帯広への演奏旅行中に読んだのはレイチェル・ジョイス著「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」だった。旅に出ている時は物語を読みやすい。旅という非日常に、さらに非日常の小説世界が重なるからかもしれない。そして気流が安定していれば(帰りはけっこう揺れたけれど)、飛行機は読書に最適だ。電車や車のようには揺れないし、本を読むためのまとまった時間になる。

僕が唯一定期購読している雑誌が岩波書店の「図書」。自然科学からダンテの「神曲」まで様々な専門家の文章が小さな冊子に詰まっていて興味深い。数か月分たまっていたのをまとめて拾い読みした。7月号に小嶋稔さんの「天然原子炉と福島原発事故」という文章が掲載されていた。その中から

『・・・同位体地球化学を専攻する者の多くは、福島第一原子力発電所一号炉のメルトダウンした核燃料が再臨界を起こし、大規模な核分裂連鎖反応を起こすのでは、との危惧を払拭しきれない。・・・・去年7月に経済産業省で行われた「福島第一原子力発電所事故に関する技術ワークショップ」での報告は、たいへんなショッキングなものであった。
 このワークショップでは、2011年3月11日の原発事故の直後にウランの核分裂連鎖反応の再臨界が起きる可能性があったことが議論されている。綿密な計算結果から連鎖反応の可能性が高かったにもかかわらず、なぜか大規模なウランの核分裂連鎖反応が起きなかった。しかしこの幸運は、海水の注入により、予想もしなかった塩素(正確には塩素系同位体のひとつ塩素35)の中性子吸収効果という、まったくの偶然に助けられた結果だったと結論している。・・・・』

『1972年フランス原子力庁は、かつてフランスの植民地だった赤道直下のアフリカにあるガボン共和国のオクロ鉱山から産出されたウラン鉱石がきわめて異常な同位体組成を持ち、その同位体組成は現在の原子炉で使用済のウラン燃料の燃えカスと酷似している、と発表した。・・・
 ・・・研究の結果、オクロ天然原子炉は、今から約20億年前にウランが臨界に達し、約15万年間にわたり原子の火が間欠的に燃え続けた、そしてその間の総出力は現在の100万キロワット級の原子力発電炉5基を1年間フル稼働した時に発生する熱エネルギーに相当する、と結論された。さらにオクロ天然原子炉は約15万年間連続的に核反応を起こしていたでのはなく、かなり間欠的だった、とも推定されている。』

昨日も移動の時間が長く、それを利用して読み終わったのがキース・メルトン/ロバート・ウォレス著「CIA極秘マニュアル 日本人だけが知らないスパイの技術」。東西が厳しく対立していた時代、『葉巻にも強力な脱毛剤を加えて髭を失わせ、カストロの「マッチョ」なイメージを損なう作戦が計画された。・・・』そうだ。もちろん当時も情報機関は必死だったのだろうけれど、今の出口の見えない、混沌とした世界に比べるとまだわかりやすかった気がする。
本書の後半は、プロのマジシャン、ジョン・マルホランドがマジシャンとしての経験から、実際にCIAのために書いたマニュアルが掲載されている。もちろんそれが僕たちの生活に直接役立つことはない、でもトリックをするために人間の心理と行動をよく理解していることはおもしろかった。

話は飛ぶけれど、人間の行動と心理はオーケストラの指揮者がよく把握していなければならないことの一つだと思う。音楽的な能力とはまったく関係なく、指揮台の上の指揮者の何気ない行動は、音に大きく影響する。
例えば、片足に重心をかけて棒を振る(片手間に指揮されている気がする)、たれてくる髪の毛をかきあげながら振る(左に同じ)、前後に動く・急にかがむ(指揮棒の打点が動いて見にくい)、指示をする声が小さい(うまく注目を集められればいいけれど、指揮者から遠い人たちには快適な状況ではない)、説明が多い(だんだん話を聞かなくなる)、体に力が入っている(オーケストラの音も硬くなる)、・・・。
都響の音楽教室の指揮者体験コーナーで、姿勢のいい小学生が緊張もせず棒を振り下ろすと、驚くほど素直な音が出ることがある。

僕にとって印象的な指揮者の一人がリッカルド・ムーティ。彼の指揮は、テンポや音量だけでなく、音色まで手に取るように見えた。なぜだったのだろう、本当に不思議だ。もうすぐムーティのリハーサルが始まる。

2013年10月22日 (火)

帰京

昨日は午後にアウトリーチを一つして、夜は幕別町百年記念ホールで弾いた。チェロのカルテットとソプラノの坂井田真実子さんとのプログラム。弾きやすいホールで歌と弾くのは楽しかった。歌手の真横にいると歌は呼吸なんだ、と思う。僕のパートは旋律をなぞることが多く、呼吸と弓の上げ下げは同じと思った。チェロ・アンサンブルの常で、今回もハイ・ポジションで弾くことが多かったし、それなりにリスクを負う音程の跳躍もあった。でも昨日はいい流れがあり、何かいいものをつかめた気がした。技術を研ぎ澄ますことではなく・・・。終演後はその余韻を持ったまま宴会に。

今日は同じメンバーで幼稚園でのアウトリーチ。ソプラノの坂井田さんはあっという間に園児たちの心をとらえていた、お見事。帯広空港に向かう途中、晴れ間が広がり、少しだけ観光ができた。十勝の大地は美しい。

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2013年10月20日 (日)

紅葉が進んで

昨日、東京芸術劇場で都響の本番が終わってから急いで羽田空港へ(けっこうぎりぎりだった)。帯広空港には先日の雪がまだ残っていた。思ったほどは寒くない。

今日はリハーサルの合間、思いがけず、NBL(プロのバスケットボールリーグ)の試合を見ることができた。レバンガ北海道VSリンク栃木ブレックス。初めて見るバスケットの試合はおもしろかったなぁ、まるで格闘技だ。試合の途中、後ろ髪を引かれながらリハーサルへ。前半は五分五分だったけれど、その後の展開がちょっと気になる。

夜は帯広の高校生たちと一緒の舞台に立った。新鮮な空気があって楽しかった。

ここは紅葉が進んでいる。でもカメラに入っているのは白黒フィルム。

2013年10月18日 (金)

一昨日の舞台、皆がいつもより耳を大きく開いて次に起こることに集中している気がした。クリスチャン・ヤルヴィは本番の舞台でまったく新しいことを始め、3日間のリハーサルでは聴いたことがなかった音色や音楽の呼吸が聴こえる時があった。こういう時オーケストラはおもしろいと思う。僕には1曲目のラフマニノフが一番心地よかった。

うろたえた話。都心の大型書店でトイレに入った。「大」。書物のインクの匂いがそうさせる、という説は聞いたことがある。経験上も本屋の「大」は混んでいることが多い。その時は珍しく空いていてすんなり入った。用を済ませてウォシュレットのスイッチを入れるまではよかった。(ウォシュレットの名称はTOTOの登録商標だそうですが、実際どこのメーカーのものだったのかは覚えていません)
ウォシュレットを止められなくなるとは。
そのトイレの様々な操作(ウォシュレットのオンオフ、強さ、トイレを流す)はリモコンでするようになっていて、どうやらそのリモコンが電池切れになったらしい。何の操作もできなくなっていた。ウォシュレットは止められなくても、とりあえず流そうと思い、振りかえったら手動のレバーはなく・・・。絶望的だった。困ったなぁ、助けを求めた時に・・・。仕方なく、素早く立ち上がってすかさずふたを閉めたら、温水も止まったし水も流れた。多少濡れたくらいですんだ。やれやれ。
ところで、ふたのない便器だったらどういうことになっていたのだろう。

本と言えば、先日、映画「世界一美しい本を作る男」を観た。
http://steidl-movie.com/
ドイツの出版社シュタイデルのゲルハルト・シュタイデルが様々な写真家や作家に会い、本を作っていく過程のドキュメンタリー。彼と顧客の丁々発止のやりとりが実におもしろかった。片方が言ったことに対して、もう片方がどう反応するのか、予想もつかない感じだった。シュタイデル氏はどこかで見たことがある、と思ったら、日産のゴーン社長に似ているのだった。
日経新聞の映画評ではこの映画は星3つ(満点は星5つ)。うぅむ、僕としては満点を差し上げたい。実際、映画に限らず、本も音楽も、自分がよかったから人も、というのは難しい。以前、その映画評で星が5つついた映画を、どんなにすごいんだろう、と思って観にいったらひどい目にあったことがあったもの。

2013年10月16日 (水)

飛ぶだろうか

昨晩、教えに行っている大学オーケストラのリハーサルを聴きに行った。チェロが13人(!)いる幻想交響曲。時々、お、と思うところも、僕の教え方がまずかったな、と思うところもあった。いずれにしても彼ら彼女たちのひたむきさはまぶしい。

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都響は今晩サントリーホールで「火の鳥」。火の鳥は飛ぶだろうか。

2013年10月14日 (月)

早朝、雪原に朝日が差し込み

雑誌「日経おとなのOFF」11月号はコーヒー特集。思わず手にとったら、後半に「冬のバルト三国世界遺産紀行」という記事があった。北国はやはり冬が魅力的だ、僕は寒さに弱いけれど。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/off/

指揮者クリスチャン・ヤルヴィはバルト三国、エストニア生まれ。明後日の演奏会、火の鳥の前にプロコフィエフの3番のピアノ協奏曲がある。今日からリハーサルにピアノの小山さんが加わった。
これまでこの曲に関してそう感じたことはなかったけれど、今は景色が見える。早朝、雪原に朝日が差し込み(冒頭のクラリネット)、風が吹いて森林がざわめく(弦楽器が静かに入ってくる)。遠くに四足の動物の群れが見え(十六分音符の動き)、次第に視界は群れの中の一頭にズームインし(オーケストラ全体の音量が上がる)、視点が定まったところがソロのピアノの始まりだ。ここまでで十数小節。僕たち弦楽器が長い音符を伸ばして和音をつくっているところは霜やしゃりしゃりした氷の感触がする。もちろん実際にプロコフィエフが何を感じて書いたかは知らない。
でもこの音楽は心や体の外のことを現していると思う。そこはシューベルトのピアノ・ソナタとは全く違う。

明後日の演奏会がだんだん楽しみになってきた。問題は台風26号が近づいていること。また台風か、大きいらしい、何事もないといいけれど。

お願いしてあった弓のネジとその釦ができてきた。どう音が変わるか変わらないか、想像できなかった。果たして、つけてみたら手元に留まっていた音はふわっと昇るようになった。弓の神経質なところはほとんどなくなり、とても扱いやすくなった。この個性的な弓の真価をやっとつかめてきたのだろうか、うぅむ。弘法筆を選ばず、道具じゃない心だ、と思いたいが、こういうことがあると道具だなぁ・・・、と思う。帰宅してから久しぶりにアルペジョーネ・ソナタをさらった。

2013年10月13日 (日)

シューベルトの話の続き。リハーサルの合間、ピアノの長尾さんが村上春樹著「意味がなければスイングはない」の中のある文章を教えてくれた。

『でもなにはともあれ、僕はシューベルトのピアノ・ソナタが個人的に好きだ。・・・そこにはベートーヴェンやモーツァルトのピアノ・ソナタにはない、心の自由なばらけのようなものがある。・・・』

ずいぶん以前に「意味がなければスイングはない」は読んでいたけれど、その頃シューベルトのピアノソナタは1曲しか知らなかったし長く退屈に思えたので、この文章(『シューベルト「ピアノ・ソナタ第十七番ニ長調」D850』)も素通りしていた。

帰宅してニ長調のソナタを聴きながら、本棚から取り出したこの本を読んだ。その中から

『思うのだけれど、クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分なりのいくつかの名曲を持ち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことにあるのではないだろうか。それは場合によっては、世間の評価とは合致しないかもしれない。でもそのような「自分だけの引き出し」を持つことによって、その人の音楽世界は独自の広がりを持ち、深みを持つようになっていくはずだ。・・・・・。
 そしてそのような個人的体験は、それなりに貴重な温かい記憶となって、僕の心の中に残っている。あなたの心の中にも、それに類したものは少なからずあるはずだ。僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ。』

都響は今日から「火の鳥」のリハーサルが始まった。指揮はクリスチャン・ヤルヴィ。
1945年版の「火の鳥」(僕は初めて弾く)やラフマニノフの「コレルリの主題による変奏曲」(日本初演だそう)の音を探したら両方ともネーメ・ヤルヴィ指揮のものが出てきた。この人も父親ネーメの影響を強く受けているのか、そのレパートリーを受け継いでいるのか、と思った。(カルロス・クライバーのドキュメンタリーを見た時、彼は父エーリッヒ・クライバーのレパートリーしか振らなかった、ということを知ってショックだった。あんな天才的な才能だったのに・・・。)
ベートーヴェンの7番ほどではないにしても、「火の鳥」はオーケストラにとってかなり手垢のついたレパートリーだ。でも今日のリハーサルはいつもと違う「火の鳥」でおもしろかった。一番大事な旋律ではないところを浮き立たせたり、伴奏の音形を立体的にしたり、弦楽器や木管楽器の音色を有効に使ったり。

月末から他の仕事に重なってマーラーの6番が始まる。僕としては珍しく早めに勉強を始めている。今だってそれなりに忙しいけれど、間際になっての譜読みは本当に最悪だから。新日フィルにいた時、定期演奏会を弾き終えて帰宅後、翌日からの定期のリハーサルの譜読みをすることがよくあった。あの頃はとにかくオーケストラのレパートリーがなかったから大変だった。
このところ譜読みで苦労することが少なかった。都響は演奏旅行に出ればチャイコフスキーの5番だったし、インバルが来ればマーラーのチクルス。それはそれで派手でお客さんも入るだろうけれど、オーケストラにとっていつも同じ曲ばかり弾くのは必ずしもいいことではない。
来季の都響は、これまでより珍しいプログラムが増える。譜読みも増える。よく演奏される曲にはその理由があるように、多くの場合、演奏されない曲にもその理由がある。集客の問題もあるからなんでも冒険すればよいというものではないけれど、オーケストラが伸びるシーズンになりますように。
http://www.tmso.or.jp/data/pdf/2014TMSO_LineUp_leaf.pdf

マーラーの6番は、新日フィルでも都響でも弾いた。でも旋律はまったく記憶になくて、大きな木槌でどっかん!、とやることしか印象にない。コントラバスのパート譜、1ページ目を見たらラの音ばかりだった。「ラしかない」と言ったら、次のページからは他の音もある、とベーシストに抗議された。
今日の勉強は第3楽章までいったけれど、なかなか頭に入らない。シューベルトの「グレート」が僕の体にすっかり入り、能登半島を歩いている時ずっと鳴っていたように、マーラーも入ってくるだろうか。
 

2013年10月10日 (木)

ノリのいい音楽のようだった

「ライ麦畑でつかまえて」を読み終わった。読み直してみようと思ったきっかけは新聞の書評にサリンジャーの伝記が載ったことだった。読みようによっては馬鹿げたことが書き続けられているだけに見えるかもしれない。でも僕は読んでいる間、救われていた。心に大きな傷を負った人でないと書けない小説だと思う。文章自体はノリのいい音楽のようで、どこまでも読み進めそうだった。村上春樹さんの訳文によるところもきっと大きいと思う。読めるかどうかは別としてサリンジャーの書いた原文に接してみたくなった。

もう一冊、あっという間に読んだのが真板昭夫著「草魚バスターズ もじゃもじゃ先生、京都大覚寺大沢池を再生する」。タイトルにあるとおり大沢池の環境を再生しようとする10年以上の苦闘が書かれている。実際に何かをしてみると頭で考えたようには物事は容易ではない、ということか。楽器を弾くことやオーケストラで音楽をつくっていくことにも少し似ている。草魚を捕獲するために地引網を引くところ、どんなだったのだろう。今度京都に行ったら大覚寺にも足を運んでみよう。

10月9日日経夕刊に掲載された写真家畠山直哉さんのインタビューの中から、

『人が海や山を見て「いいなあ」と思うのはなぜなのか。それは「自分がいなくてもこの世界は存在し、続いていく」という感覚が湧き起こるからではないか。人間は言葉を使って世界を分節化し、解釈して生きている。その半面、意味にがんじがらめになっているともいえる。だが本来、自然はどこまでも人間に無関心なものであるはずだ。
 だから、ただそこにあるだけの風景を前にして意味の閉塞感から解放されるとき、不思議に気持ちが慰められる。写真を「自然の鉛筆」と言った写真家がいるが、それは人間の心とは無関係に存在する世界の姿を写すからだ。』

2013年10月 9日 (水)

ネジの釦

今日重野さんに弓の毛替えをしてもらっている時、昨日のカーボン製チェロの話からヴァイオリンのあご当て、弓の毛の張りを調整するネジのボタンの話になった。多くの弓のボタンは銀と黒檀と貝で精巧につくられている。これを黒檀で作ったり象牙で作ったりすると音が違うそうだ。確かに、弓全体のバランスを変えるために毛箱に小さな小さな鉛の粒を貼りつけただけでバランスどころか音まで変わるもの。僕の持っている一番個性的な弓のボタンを作ってもらうよう息子さんにお願いした。できあがりが本当に楽しみ。

2013年10月 8日 (火)

驚くほど鳴るチェロが

リハーサルの後、銀座のヤマハに楽譜を買いに行こうとしたら、今日は月1回の定休日だった。ヤマハには年に2回くらいしか行かないのに、なんと。
同じ銀座の山野楽器に行った。スコアを求めた後、弦楽器の売り場ものぞいてみた。カーボンでできたチェロがあった。弓は知っていたけれど、楽器とは、うぅむなるほど。例えば競技用自転車のフレームは、場所によってカーボンの厚さを変えたり強度の違うカーボンを組み合わせたり、繊細な技術を用いているようだから、楽器にも充分応用できそうだ。強度の違う素材をうまく組み合わせて剛性のコントロールをしたら、驚くほど鳴るチェロができるのでは。
それにカーボンだったら野外の舞台で突然の降雨があっても、まぁ後でふけば大丈夫そうだし、衝撃で駒が動く心配は別としてソフトケースでも持ち歩けそうだ。今のところかなり目立つデザインだから、仕事場に持っていったら、「・・・何しに来た?」と言われる可能性はある。2020年東京オリンピックの開会式で誰か使ったりするだろうか。

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ソフトケースと言えば昔、あるチェリストが演奏会場にソフトケースで行ったら、いつの間にかエンドピンが抜け落ちていて、仕方なく火箸(!)で代用した話を聞いたことがある。バロックチェロの心得がないと、エンドピンなしではとても弾けない。案外火箸のエンドピンはいい音がしそうだ。

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2013年10月 7日 (月)

午前中譜読みをして無理くり音符を頭に詰め込んでから、国立新美術館で開かれている「アメリカン・ポップ・アート展」へ。
これを見て「アートな気分」にでもなるのだろうか・・・。僕には薄く浅い展示に見え、がっかりしてしまった。でも今日は美味しいランチを食べられたから、それでよしとしよう。

先日、10年ほど前の新宿駅の映像がテレビで流れ、人々の髪型や服装が大きく変化していることに驚いた。銀座や新宿などで街の変貌をとらえた写真は見たことがある。街並みが主題ではなく、例えば新宿南口や渋谷のスクランブル交差点で毎年同じ時期に同じ場所から同じ画角で、しかも人々がたくさん写るように、写真を撮り、それが10年分20年分たまったらものすごくおもしろいことになるような気がする。今の風俗は当たり前のことに見え、当たり前のことは残そうとは思わないから。

もちろん写真にばかりかまけていた訳ではない。今、チェロを弾く上で大きな変化を経験している。長く続けてきたことを、その毎日の営みの中で大きく変えるのは難しい。先日旅行に出て、弾かない時間ができたことはよかった。その数日間で頭の中が整理されたような気がする。
楽器を弾く体をハードウェアと考えると、残念ながら僕の体はもはやぴかぴかの新品ではなく、もっとチェロ向きの体はきっとあり、それに最上級の楽器や弓を持つことも難しい。ずっといかに楽器や弓を操るか、を考えてきたけれど、体や楽器を司る心や感覚の方がはるかに大事だと思うようになった。恥ずかしながら最近、なるほどチェロはこう弾くものか、と感じている。がんばってぐぎぐぎ弾いていたのは、どうやらちょっと違っていたらしい。

踏切で人を助けようとして亡くなった村田奈津恵さんの報道に接して、生かされている命、精いっぱい生きようと思った。

2013年10月 5日 (土)

帰京

午前中の新幹線で帰京。品川から直接ラボテイクに行き、旅行中に撮ったフィルムを出した。現像の上がってくるのが本当に楽しみ。
六本木のアクシスギャラリー、「SAVE THE FILM」展へ
http://www.gs-s.info/activity/exhibition/2013/
会場の熱気、あるいは活気が薄い気がした。フィルムは救えるだろうか・・・。

ヨドバシカメラのフィルム売り場に行ったら、富士フィルムのポジ、カラーネガ製造中止品のアナウンスが出ていた。ますます肩身が狭い。それから新宿ニコンに行き、3回目の修理の終わったF100を受け取った。修理代の総額を思うとため息が出るし、そもそも3回も壊れていいのか、という問題はある。でもこのカメラが壊れて旅行にM6を持って行ったから、永観堂でリュックからライカを出した男性に「どこから来たのですか?」、と声をかけられたのかもしれない。旅は不思議だ。

明日から早速仕事。荷ほどきをしてから、僕としてはあまりぐずぐずせずチェロのケースを開けた。

旅行中、10月1日からの日記に画像を加えました。

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2013年10月 4日 (金)

淡く透明な光に

今日はゆっくり。昼前に京都御所西側の路地を気のむくまま歩き始めた。観光地ではない京都の表情が見えて楽しかった。
出町柳駅手前の団子屋で休憩してから(美味しい団子だった)、叡山電鉄で一乗寺へ。駅近くの雑貨屋がおもしろそうだったので入ってみた。ハンガリー製のきれいな色の木のおもちゃがあり、店の若い男の子に由来を聞いたら、そもそも彼がリトアニアにリネンの買い付けに行った時たまたま・・・、ということだった。

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彼の口からリトアニアのビルニュスとかカウナスとかいう地名が出てくると、次の旅はバルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)かなぁ、と思ってしまった。ヘルシンキまで飛べばすぐだ。夏は日が長く、きっと遅い時間まで街は淡く透明な光に包まれる・・・、のではないだろうかとうっとり考える。
実に今風の男の子の、言うことがおもしろかった。ではそもそもなぜリトアニアに、と聞いたら、ほぅ、そんなことがあるんだね、と感心する話しが出てきた。
東京都心に大型の商業施設がオープンすると必ず雑貨店が入る。行くと、確かにこじゃれているけれど必要のないものばかり、という結論に達して帰ってくるのが常だった。でもこの一乗寺の店はおもしろかったなぁ。

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その後今日の本題、詩仙堂へ。詩仙堂でゆっくり過ごした。まっすぐ駅に戻るのももったいない気がして、細い道をたどりながら金福寺へ。こうして無計画に歩かないと入らなかったかもしれない小さなお寺には、実に絵になる猫がいた。猫を見るこちらが幸せになった。これで旅はおしまい。
京都から名古屋に行き、実家泊。まる4日間チェロを弾かないのは本当に久しぶりだった。うむ、この秋冬を乗り切る気持ちは充実した。

2013年10月 3日 (木)

うれしくもありかなしくもあり

七尾から各駅停車と特急を乗り継いで京都へ。昨日張り切りすぎたせいか行程のほとんどを眠ってしまい、気付いたら琵琶湖の西岸を走っていた。能登の海を2日間見た後で、琵琶湖も広く美しいと思った。

京都には昼すぎの到着。永観堂へ。もちろん紅葉はまだまだだけれど、人が少なく美しい境内をゆっくり見ることができた。
椅子に座って休憩しようとしたら、隣の男性がライカの一眼レフ(R5)をリュックから出したので、カメラの話しにまた花が咲いた。彼はオーストラリアのキャンベラから、日本はもう3回か4回目で前回はクリスマスシーズンに2週間(!)東京に滞在したこと、フィルムは日本の方がずっと安いこと、ヨドバシカメラやマップカメラに行ったこと、自分で現像をし暗室にはフォコマート2C(ライカの引き伸ばし機)があること、これから四国九州に行くこと、など話した。知識として知っていた通りのオーストラリア訛り(todayが”トゥダイ”に聞こえる。びっくりする。)に最初戸惑ったけれど楽しかった。
今年チェコとスロヴァキアに行ったとき、フィルムで写真を撮っている人なんて一人も見なかった。昨日は穴水で、今日は京都でフィルムで撮る人と話しが弾んだ。

それから南禅寺へ。方丈庭園を見てから抹茶をいただいた。しみじみと京都を旅できる年齢になったことは嬉しくもあり悲しくもあり。東山を吹き抜ける風はこの上なく心地良かった。かつて此の地が日本の都であったのは、決して偶然ではないと感じた。

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知恩院、八坂神社を過ぎ、夕暮れの先斗町を歩いた。以前の秘めやかな感じはなく、誰でも入れそうな店が増えていた。
久しぶりに観光した京都は外国人であふれている。確かに外国から来たらいっそうこの町の感じに魅了されると思う。日本人の僕だってそう思うもの。

2013年10月 2日 (水)

皆少しはにかんでから

昨晩、日記を書き終えて外に出たら、たくさんの星に驚いた。カシオペア座のWが他の星に埋もれそうだったし、水平線近くにも星が見えた。輪島の夜風の気持ちよさは格別だった。

今朝バス停に急いでいた時、穏やかな顔をした猫たちに会った。輪島の海側ばかり歩いたけれど、山側を丁寧に歩けばいろいろな猫に会えたかもしれない。
バスで穴水へ。途中コスモスをいっぱい見た。穴水で電車を待つ間、町を少し歩いた。長谷部歩道橋(ここには長谷部神社もあるそうだ)から穴水港へ。足下を手のひらくらいの何かが動いている、と思ったら小さな2匹のエイだった。海沿いを歩くと生き物の気配が濃くて楽しい。
駅に戻る途中、コンビニエンスストアに寄ったら店長が僕のカメラに目を留め、短い間カメラ談義で盛り上がった。

穴水からはのと鉄道を1駅乗っては周囲を歩き、1駅乗ってはご飯を食べ、と七尾に着くまでに能登鹿島、西岸、田鶴浜、和倉温泉で降りた。
今回はNo Musicの旅のはずが、頭の中でずっと「グレート」が鳴っていた。実はあの曲はクラシックには珍しく一定のビートやパルスが続き、それがジャズやロックにも通じる心地よさを生み出しているのではないだろうか。歩いている時はずっと第2楽章が鳴っていた。歩くテンポにぴったりだ。

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今日も熱中症になりそうな晴天の暑さ。旅に出る前のイメージとしては、たとえば曇天の下で、それもどんよりとした方の曇天で、ボラ待ちやぐらを写真に撮るはずだったのだけれど。
着替えと身の回りのものはリュックに詰め、あとは50ミリレンズのついたカメラ1台。サブのカメラもなし。リュックの中にはサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」があり、スマートフォンにはシフの弾くシューベルトのピアノソナタが入っていて、しかも初秋の日本海を見に行く、なんてなんだか傷心旅行のようだけれど、実際はひたすら強く歩け歩けの旅。おまけに2日間の晴天ですっかり日焼けしてしまった。和倉温泉では自転車を借りて広い範囲を走り回った。くたくたになった。心からも体からもいけないものは出ていった感じだ。

少しの下調べと思いつきで電車に乗ったり降りたりする旅は、楽しかった。会う人たちは親切だった。能登はいいところですね、と言うと、皆少しはにかんでから、ありがとう、と言ってくれた。海の色は鮮やかな緑色に近く(北の方が澄んでいて鮮やかだと思った)、昔父に連れられて行った若狭湾の海を思い出した。
長いこと来たいと思っていた能登半島へ、実際飛行機に乗ってしまったらあっと言う間だった。これも温め続けているイタリア、トスカーナ地方10日間行き当たりばったりの旅、にも出かけてしまえばいいのか!?

「ライ麦畑でつかまえて」はずいぶん前に読んだ。あんなに有名だけれど僕にはぴんとこなくて、どうやら古本屋に売ってしまったらしい。それが、読み落としていることがある気がして買いなおした。今度は村上春樹さんの訳(キャッチャー・イン・ザ・ライ、という邦題になっている)。
読み落としているどころか何も読んでいなかったらしい。読み始めると頭の中がサリンジャーの、あるいはサリンジャーと村上さんの言葉でいっぱいになる。たとえば

「・・・つまりさ、僕はこれまで、どさくさみたいな感じで学校とかいろんな場所をあとにしてきたんだけど、そういうのは正直言ってもううんざりだった。それが悲しい別離であったとしても、いやな感じの別離であったとしても、僕としちゃべつにかまわないんだ。ただどこかをあとにするときには、自分がそこをあとにするんだということを、いちおう実感しておきたいんだよ。そうじゃなくっちゃ、救いってものがないじゃないか。」

くっつきかけた傷口が何かのきっかけですぐ開いてまた血が流れる、この本を読んでいるとそんな感じがする。それが青春っていうものか。

2013年10月 1日 (火)

別世界に

昨日、都響の定期演奏会を弾き終え帰宅してから楽器の弦をゆるめた。それからプールに行って人間の体もゆるめた。
今朝少し早起きして羽田空港へ。なんだか体が重く旅に出て大丈夫かと思っていたのだけれど、能登空港に降りて空気を吸ったらすっかり元気になった。乾いた匂いのする、東京とはまったく別の空気だ。1時間も飛ばないで別世界に来られるなんて。
予想は見事に裏切られ、抜けるような晴天。汗ばむ陽気の下、輪島をとにかく歩き回った。輪島港近くで餌に群がるたくさんの猫たちを撮っていたら猫おばさんに、「写真を撮ってばかりいないで一匹持っていって」と言われた。

袖ヶ浜で波の音を聞きながら夕焼けの空をしばらく見ていた。昨日の本番前、舞台裏でさらいながら、旅に出るとチェロを弾けなくなることをとても残念に感じていた。でも夕暮れの海を見たらそんな考えは消えた。チェロを弾く心にも体にも休息が必要だ。

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昨日の「グレート」、僕の隣では26歳の若者が、彼にとって初めての「グレート」を弾いていた。僕が初めてこの曲を弾いたのも26の時、サイトウキネンだった。
一昨日深夜、今年のサイトウキネンのことを放映していた。その中で、小澤さんが中国人の若い指揮者に、これは生命(life、と言っていた)なんだ、テクニックじゃないんだ、と強く言っていたことがとても印象的だった。そうだ、舞台の上ではさらけ出さなくてはならない時がある。

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