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2013年10月10日 (木)

ノリのいい音楽のようだった

「ライ麦畑でつかまえて」を読み終わった。読み直してみようと思ったきっかけは新聞の書評にサリンジャーの伝記が載ったことだった。読みようによっては馬鹿げたことが書き続けられているだけに見えるかもしれない。でも僕は読んでいる間、救われていた。心に大きな傷を負った人でないと書けない小説だと思う。文章自体はノリのいい音楽のようで、どこまでも読み進めそうだった。村上春樹さんの訳文によるところもきっと大きいと思う。読めるかどうかは別としてサリンジャーの書いた原文に接してみたくなった。

もう一冊、あっという間に読んだのが真板昭夫著「草魚バスターズ もじゃもじゃ先生、京都大覚寺大沢池を再生する」。タイトルにあるとおり大沢池の環境を再生しようとする10年以上の苦闘が書かれている。実際に何かをしてみると頭で考えたようには物事は容易ではない、ということか。楽器を弾くことやオーケストラで音楽をつくっていくことにも少し似ている。草魚を捕獲するために地引網を引くところ、どんなだったのだろう。今度京都に行ったら大覚寺にも足を運んでみよう。

10月9日日経夕刊に掲載された写真家畠山直哉さんのインタビューの中から、

『人が海や山を見て「いいなあ」と思うのはなぜなのか。それは「自分がいなくてもこの世界は存在し、続いていく」という感覚が湧き起こるからではないか。人間は言葉を使って世界を分節化し、解釈して生きている。その半面、意味にがんじがらめになっているともいえる。だが本来、自然はどこまでも人間に無関心なものであるはずだ。
 だから、ただそこにあるだけの風景を前にして意味の閉塞感から解放されるとき、不思議に気持ちが慰められる。写真を「自然の鉛筆」と言った写真家がいるが、それは人間の心とは無関係に存在する世界の姿を写すからだ。』

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