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2013年11月14日 (木)

「俳優のノート」

思いのほかおもしろかったのは、映画「ニューヨーク バーグドルフ 魔法のデパート」。
http://bergdorf.jp/
浮世離れした、お金持ちのための場所だとは思うのだけれど、あっけらかんとして嫌味なところがなかった。ショーウィンドウの準備も、販売の店員も、バイヤーたちも生き生きしている。僕は、毒舌の販売員が好きだった。(商品の服を試着した客の、似合ってる?という問いに、ぜんぜん駄目よ、でも今着ているものよりよっぽどマシだから買いなさい、と言う。日本のデパートのあからさまに偽善的な「よくお似合いですよ」というのよりずっと・・・・・。)
早い進行で様々な人たちが出てくる。ニューヨークタイムズのカメラマン、ビル・カニンガムも、あの青い服を着て画面に出ていた。見る人が見たら、業界の人たちがいっぱい映っているのだろう。
虚像、とまでは言わない、でも人々の頭の中にあるむらむらしたものが結晶した場所だと思う。おもしろかったけれど、人間の思惑とは関係のない自然を見たくなった。

201311enoshima

シェイクスピアの「リア王」を読んだ。恥ずかしながら、シェイクスピアの戯曲を読んだ記憶がなかった。知らなかった世界への扉が開いた。

「リア王」を読んだのは山崎努著「俳優のノート」を読むため。1998年1月、新国立劇場のオープンに際して演じられた「リア王」の準備、稽古、公演の間の山崎さんの日記だ。
以前、演劇の人たちと仕事をした時も思ったのだけれど、あの人たちの仕事への打ち込み方に接すると、我々音楽家は欲の皮の突っ張った怠け者にしか見えない。

体を使う俳優が、シェイクスピアの戯曲を、理屈ではなく、どのように取りこんでいくか、その過程がものすごくおもしろい。演劇も音楽も、同じ舞台に立つものとして、共感できるところがたくさんあった。本書の中から

『謎。人間には、どうしても理解できない謎の部分がある。無理なこじつけをしないこと。謎は謎なのである。』

『演技すること、芝居を作ることは、自分を知るための探索の旅をすることだと思う。役の人物を掘り返すことは、自分の内を掘り返すことでもある。そして、役の人物を見つけ、その人物を生きること。演技を見せるのではなくその人物に滑り込むこと。役を生きることで、自分という始末に負えない化けものの正体を、その一部を発見すること。』

『我々は毎日白紙の状態で演技しなければならない。きのう描いた絵はきのうのもの、どんなにうまく描けた絵でも捨ててしまうこと。毎日新しいキャンバスにその日の絵を描く。油絵のように色を重ねて行くのではなく、水彩絵の具をたっぷり筆に含ませ、一気に描き上げる。書にたとえた方がいいかもしれない。即興性、リズム、パワー、スピード、そしてなによりその一回性。習字はなぞると醜くなる。字が死んでしまう。演技も同じなのだ。』

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