手書きで
店頭に来年の手帳が並ぶ時期となった。手帳屋さんの売上に貢献できなくて申し訳ないのだけれど、毎年買うことや、気に入るものを探すことが面倒になり、自分で白い手帳にカレンダーを書き込んで作るようになった。3年分。3年分が一冊に入っていると、どんな仕事をしてきたか、とか、いつチェロの指板を削った、とか、いつ駒を替えた、とか、あるいはいつ物欲が爆発してカメラを買ってしまったか、などわかっていい。
今使っているのは2011年から2013年までのもの。2011年3月は11日以降の仕事がすべてキャンセルになっている。
僕の手帳には地下鉄の路線図も住所録も付いていないかわり、余白のページはたくさんある。旅に出た時のメモや、小説の気になった部分が書きとめたりしてある。気に入っていて時々読み返すのは、近未来を描いたマーセル・セロー著「極北」の中の最も印象的な一節。
『ムースの肉を捌きながら、私は不思議な思いにとらわれた。その思いはどこからともなく私の中に入ってきたようだった。私は独り言を言った。死ぬ前に一度でいいから、オレンジというものを食べてみたい、と。その「オレンジ」という言葉は、たまらなく美しいものに思えた。オレンジ色の空がどんなだったかを思いだし、その味を想像してみようとした。キャラメルと苺のあいだのどこかにそれはあるのではないか、という気がした。』
3年分、36か月+数か月分のカレンダーを無地の紙に書いていくのはなかなか骨の折れる作業ではある(完成は当分先)。目安の定規のようなものは使うけれど、基本的には、幼稚園児のような字しか書けない僕のフリーハンドによるもので、縦横の線はかなりのたくっている。でも自分しか見ないからいいのだ。
ただし、線を引くのは心穏やかな時のみ。心ちぢに乱れている時は間違えたりして、さらにかんしゃくの原因になりそうだもの。もちろん、来年以降もいい仕事ができますように、という願いをこめて。
ところで、今日はマーラーの7番のリハーサルの3日目。初日にあまりに弾けなかった、ということはあるけれど、2日目3日目、とより弾けるようになっていくことが楽しい。明日はみなとみらい、明後日は東京芸術劇場で本番。なんと新日フィルもまったく同じ日程で7番の演奏会をするそうだ。あちらはハーディングの指揮。