日本語のようにも
村上龍著「心はあなたのもとに」の中にこんな文章があった。
『・・・ていねいになれる何かをつかんでいる人は具体的に努力できる、その何かと出会えれば、目標がどんなに遠くても、近づくように少しずつ努力できる、自分にとってたいせつなものと、ていねいに対処できるものが一致していないといけない、・・・』
演奏の仕事をしていると、高い能力を持っているのに、その楽器を演奏することがそんなには好きじゃない、という人がいることに気づく。確かに、最初から上手にできたらあまりおもしろくないかもしれない。
できなかったことができるようになることは、大きな喜びだ。僕はそろそろ43歳になる。チェロを弾くことはこれまでで今が一番いい状態で、きっともっと良くなれる。
40歳台は、もし運動選手だったら、多くの場合、引退している年齢だ。彼ら彼女たちは引退する時、すでに燃え尽き、やり残したことは何もない、と思うのだろうか。それとも、こんなに様々なことが見えているのに、残念ながら体がついていかない、と思うのだろうか。
来月(今日で11月は終わり・・・)、都響にはバルトーク・プログラムの演奏会がある。オペラ「青ひげ公の城」のスコアを借り、音を聴きながら読んでみたら、ハンガリー語がまったくわからず驚いた。ちんぷんかんぷん。時々日本語のようにも聞こえるし。普段、イタリア語ドイツ語フランス語の歌詞がわかっている訳ではないのだけれど。
それにしてもまったく見当がつかず困っていたら、なんとコントラバスの柴田さんが日本語ハンガリー語の対訳をお持ちで、プリントしてくださった。
「ねむのき」と聞こえていたのは「Nem nyitom ki」(「開けてはならぬ」)、と青ひげ公がユディットに言う台詞だとわかった。なるほど。
「青ひげ公」は想像していたよりずっと聴きやすく美しい音楽だ。歌手はたった二人。プログラムのもう一曲はヴァイオリン協奏曲の第2番、こちらのソロは庄司紗矢香さんで、楽しみ。
画像は都響のステージマネージャー、山野さんが指揮台の縁を塗り直しているところ。指揮台の赤、椅子や譜面台の黒、何かの青、リハーサル室の壁や椅子の垂直、水平の線が、モンドリアンのコンポジションのように見えた。
http://www.moma.org/collection/artist.php?artist_id=4057
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