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2013年12月

2013年12月31日 (火)

実り多い年でありますように

名古屋の中島顕先生の合宿、最終日だけお邪魔した。夕方までチェロアンサンブルの練習をして帰宅。

このごく個人的な日記を読んで下さって、本当にありがとうございます。2014年も実り多い年でありますように。

2013年12月30日 (月)

切迫した強さを

久しぶりにバッハのロ短調ミサを聴いて、深く動かされた。昔から知っていたし、仕事でも一度弾いたことがある。でもこんなに心を衝き動かされることはなかった。

バッハの当時、音楽はどういうものだったか、考えてみる。ロ短調ミサや、例えば多くのカンタータ、マタイ受難曲は公の性格を持っていた、と思う。一方チェロ組曲は、現在のように何百人の聴衆を前にして、というものではなく、ごく私的な音楽だったのではないか。チェロ一本の、無伴奏の演奏会なんて存在しただろうか。
バッハの時代、人の生はもっと切実で、だからこのミサ曲は切迫した強さを持っているのだ、と思う。冒頭の強さはそれだ。聴きながら様々な人たちのことを思い出した。

夜の新幹線で帰省。本当は昨日のはずだったのだけれど。

2013年12月28日 (土)

「自分の物語を」

本当は昨日は、あの映画に行って、あの展覧会にも行って、写真のプリントも受け取り、と楽しみにしていたのに、風邪気味で断念。修理の終わった旅行カバンを受け取りにだけ外出した。
引っ張る度にすり減った車輪がしゅうしゅう音をたてていたのが、こわいくらい静かでよく回る車輪に替って戻ってきた。内装部品も一部交換してもらい、ばっちりの状態になった。
この金属製のカバンは30歳の時、20年使うつもりで奮発した。30歳の時の20年後、なんて未来永劫やってこない気がしたけれど、なんとまぁ、その20年後まであと7年になってしまった。光陰矢のごとし。随分いろんなところを旅をしてきたカバンだ。うれしかったことも、くたくたになったこともあった。あと10年は一緒に仕事してくれるだろうか。

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仕事道具と言えば、楽譜に書き込みをする鉛筆も大切な道具だ。見やすく消しやすいことから濃い鉛筆を使う。ぱっと書きやすいように、少し短くなったものの方が具合がいい。僕が気に入っているのはお絵かき用の太い鉛筆。ずっと使ってさすがにちびてきたので、これは今年でお疲れ様、ということにした。それで、引き出しを探したら、過去の使い終わったちび鉛筆がたくさん出てきた。僕は片づけられない人間だ。

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先日J-WAVEで放送された沢木耕太郎さんの番組で、著書「月の少年」を読んで感想文を送った小学生への、沢木さんからの返信が紹介された。その中から、

『・・・これからも多くの人の様々な本を読み、それについての感想を書き留めておくことをすすめます。多分、どんな勉強より大事な何かが身につくことになるでしょう。でも世界は書物の中だけにあるものではありません。いつの日にか、広い世界に歩み出し、自分の物語を生み出してください。それは何も、書くという事につながらなくてもいいのです。自分の人間としての背丈を高くしてくれる経験を積むこと、それもまた自分の物語を生み出す、ということでもあるのです。
 もう少し大きくなったら、今回僕が送った本を読んでみてください。扉に書いたのは「in your own way」という言葉です。あなたのやり方で、という意味です。何事も自分のやり方でやればいいのです。ゆっくりと、あせらず、一歩一歩。・・・』

2013年12月26日 (木)

まだまだ、いよいよ

先月末に新しくしたテールピース(11月26日の日記をご覧くださいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-7857.html)、調子よかったのだけれど、なかなか楽器が落ち着かず、いつもよりテールガットのなじみが遅くて変だな、と思っていたら、弦を支える黒檀の細い部品が裂けてはがれかかっていた。幸い今月の厳しい仕事にも持ちこたえ、今朝、重野さんに修理していただいた。限られた時間で的確な対応をしてくださるのは本当に心強い。元々のあまり褒められない細工を丁寧に補修し、張力を上げるためにテールガットを少し短くした。

夜は東京芸術劇場で第九の本番。第九の前のエグモント序曲を弾きながら、セリオーソという名前の弦楽四重奏曲に似ている、と思った。両方ともヘ短調という理由ではなく。(率直なところ、第九の前に別の曲を演奏する必要はあるのか、とはいつもひっかかる何かではある。)
今日の第九で今年の都響の演奏会はおしまい。終演後チェロの全員と握手をした。

テールピースを直し、調整し、楽器はこれまでで一番いい状態になった。このチェロとはもう20年の付き合いになる。苦労してきた。無理だ、と思ったこともある。でも随分いろんなことを教えられた。今では、わたくしが浅はかでございました、あなたのことを何も存じあげておりませんでした、と平身低頭するしかない。今月とうとうようやくこのチェロは(弓もそうだ)、僕の心や体と隙間なくつながった。まだまだ、いよいよこれからだ。
僕のチェロはゴフリラ、モンタニアーナ、ストラディヴァリウス、ガダニーニ、・・・、といった最高のチェロではない。僕があれもこれも足りないいびつな人間であるように(まぁ少しくらいは良い所があってほしい、と思うけれど)、この楽器にも長所短所があり、そこをわからなくてはならない、ということだ。

チェロの調子はかつてない程いい。一方僕は、風邪気味。うむむ。

2013年12月25日 (水)

昨日は東京文化会館に出かける前に、吉祥寺美術館で開かれている「森山大道 モノクローム」展へ。(会期末が迫っている)
http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/exhibitioninfo/2013/10/post-115.html
フィルムかデジタルか、という議論をするつもりはないけれど、デジタルカメラで撮られた最近の作品より、フィルムによる昔の作品の方が、びしりとした画面から伝わるものがずっと強かった。今の僕は、新しいデジタルカメラが欲しいという気持ちの、かつてない高まりに連日襲われている(10年前だったら、後先考えずとっくに買っていただろう)。でもこの写真展を見て少し冷めた。ふぅ。

森山大道展の隣には浜口陽三記念室があり、闇に浮かぶ西瓜やさくらんぼの深い赤が素晴らしかった。
このところ音楽の空気しか吸っていなかったから、久しぶりの展覧会も、久しぶりにフィルムのカメラを持ち出せたことも楽しかった。

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第九を弾き終えて帰宅。毎年12月24日深夜はJ-Waveで放送される沢木耕太郎さんの番組を聞く。
http://www.j-wave.co.jp/special/sawaki2013/
明け方4時までの番組は、録音しておいて、途中で眠ってしまう。今年も旅の話が多く、旅への気持ちがますます強くなった。

2013年12月23日 (月)

ベートーヴェンが楽譜に記すまで

第九の第2楽章を弾く時、映像で見たチェリビダッケのリハーサルを思い出す。
冒頭の強いユニゾンが過ぎると、主題が第2ヴァイオリンから始まり、4小節ごとに他の楽器が加わっていく。その過程を指してチェリビダッケが、耳の聴こえないベートーヴェンはこの響きを想像の中で書いた、それは驚くべきことではないか、という意味のことを言う。

残念ながら、日本のオーケストラにとって、第九を演奏することはルーチン・ワークになっている。少なくとも僕は、第2楽章の冒頭を新鮮な気持ちで弾くことはなかった。
でも、チェリビダッケの言葉を思い出しながら耳を澄ますと、あの部分は様々な高さと色の音が重なり、その無数の音全体を視野に入れた時、これまで見たことのなかったモザイク画のように聴こえてくる。おそらく弾く方も聴く方も、すでに知っている当たり前のものとして、第九のスケルツォを聴いている。けれどこの響きはベートーヴェンが楽譜に記してくれるまで、世界に存在しなかったものだ。

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チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの第九を聴くと(EMIから出ているライヴ録音)、特に第2楽章で目の覚めるようなティンパニが聴こえてきてびっくりする。
久しぶりに彼の演奏を聴き、今こういう流れの演奏をできる人はいるだろうか、と思った。

2013年12月21日 (土)

確かに何かの力を

昨日はいい演奏会だった。
バルトークのヴァイオリン協奏曲、第1楽章の中ほどに数分間のカデンツァがある。本番の舞台で庄司さんの弾くカデンツァを聴いていたら、その緊張感に、僕の手のひらはじっとり汗ばんだ。特に楽器がこちら側を向いた時の音はすごい。弓の毛が弦に触れるか触れないかのうちに、すさまじい速さで音が飛び出してくる。うっかり触れると火傷しそうな音だった。
音楽は、例えば食べ物のように、直接血となり肉となることはない。けれど、素晴らしい演奏は確かに何かの力を持っている、と実感した。

終演後はアークヒルズのオ・バカナルで待望のフレンチ・フライとビール。たまにはこんな日があっていい。

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今日はチャイコフスキーのピアノ三重奏のリハーサル。休憩している時、僕が毎月仙川まで出かけて散髪している話になった。トリオは3人とも桐朋学園の出身だ。
わざわざ仙川に足を運ぶのは、まず学生時代から切ってくれているKさんがおもしろい人、ということがあるし(話題はたいてい、僕の乗れない車に始まり、自転車、ラーメン屋についてなど)、長く住んだ街が懐かしく、よく通ったアンカーヒアや仙川とんかつにも寄りたい、という気持ちもあるし、もう一つ、初めて行く床屋や美容室では、「どんなお仕事を?」に始まる身の上話をするのが面倒、ということがある。

そこでもし、新しい床屋なり美容室なりに出かける時、自分の名前や仕事、家族に至るまで、架空の人物をつくり上げたらどうか、という話になった。この経歴詐称に罪はないはずだし、まぁ、どこかで話が破綻する可能性もあるけれど。どんな人物になってみようか。もちろん、憧れの誰かや職業になってみる、というのはわかりやすい。一方で興味の持てない、あるいは苦手な人になってみる、ということも考えられる。ちょっと小説みたいだ。

さて、明日からは第九のリハーサル。

2013年12月20日 (金)

「まだ心のやわらかな子供のうちに」

昨日の演奏会、イルディコ・コムロシさんの舞台衣装は鮮やかな色彩で、熱帯の鳥や蝶のようだった。
最近読み終えた栗田昌裕著「謎の蝶 アサギマダラはなぜ海を渡るのか?」を思い出した。アゲハチョウほどの大きさの蝶が時として千キロ二千キロを移動するそうだ。本州で見かけた蝶が、実は奄美大島から飛んで来ていたり、あるいは小笠原の父島で視界の片隅に入っていた蝶が本州から、ということらしい。世界には見えているようで見えていないことがたくさんある。

日経夕刊の連載「こころの玉手箱」、今週は作家、北村薫さん。昨日の記事は、小学一年生の時、授業で絵を描いて

『前述の通り、わたしは幼稚園に行かなかった。人前でほめられたことがなかった。生まれて初めての経験だった。身の浮き上がるような幸福感に包まれた。
「これは、五年生ぐらいが描く絵だ」
 という言葉を、今でもはっきり覚えている。子供にとって、先生は神様のようなものだ。神様に認められたのだ。教室が、何倍も明るく感じられた。
 ほめられてうれしい ― という意味であの時ほどの経験は、その後、ない。大人になって、どんな賞をもらってもない。そういう、特別な経験だった。
 まだ心のやわらかな子供のうちに手放しでほめられるのは、一生の宝になる。
 もし身近な子に、そう出来る機会があったら、逃さないでほしい、と思う。』

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さぁ、今日はサントリーホールで本番。

2013年12月18日 (水)

音楽とはこう発するもの

都響のバルトーク・プログラム、昨日のリハーサルからソリストが加わった。「青ひげ公の城」のメゾ・ソプラノはイルディコ・コムロシ。おそらく彼女はこのオペラを熟知していて、楽譜も持たず身一つで現れ、素晴らしい声で生き生きと歌う。格好いいし素敵だ。歌い始める直前の体の使い方を見ていると、なるほど音楽とはこう発するもの、と腑に落ちるようだった。
ヴァイオリン協奏曲は庄司紗矢香さん。春のチェコ・スロヴァキア演奏旅行で弾いたドヴォルザークよりバルトークの方が彼女にあっていると思う。彼女の心の中にある音楽と、実際に出てくる音との間にまったく隙間がない。すごい音がしている。音楽を音にするための技術とか楽器とか、まるで存在しないようだ。

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僕としてはとても珍しいことに、昨日は忘年会のはしご。こういう時、もう少しお酒が飲めたらと思う。でも楽しかったなぁ、今朝はちょっと声が枯れていた。今日はリハーサルの後まっすぐ帰り、コーヒーを飲んでから布団にくるまって、本を読み始めた。外が寒い日に暖かい部屋にいられるのは幸せだ。いくらも進まないうちに眠ってしまった。

2013年12月16日 (月)

心は世界を

ちょうど7時のニュースが終わるあたりでテレビのチャンネルを回すと、たいていどこかの局で旅番組を放送していて、つい見てしまう。今晩はブルガリアのソフィアからの鉄道の旅だった。
http://www.bs-tbs.co.jp/tetsudou/contents/053.html
ブルガリアといえばヨーグルトくらいしか知らなかったけれど、人々は素朴で、市場に並ぶ野菜は丸々と大きく、共産党政権当時から使われている列車はかなりくたびれていて、実に魅力的だった。もし出かけたらどんな世界が広がり、どんな写真が撮れるだろう、とうっとり考えた。

言葉のわからない土地を旅する時、視界に入ってくる意味のとれない文字が、さらに異国に来ている気持ちを高めるのではないだろうか。今年、日本への外国人観光客が増えている。彼らにとって、様々な文字のあふれる街はどう見えるだろう。
昔イタリアはシエナの講習に行っていた時、ミラノから来たマルコやトリノから来たウンベルトと日本語について話したことがある。日本語にはひらがな、かたかな、漢字の3種類の文字があって、ひらがなが50文字、かたかなも50、と言ったら、漢字も50だろ?と聞かれてしまった。数千あるよ、と答えたら、信じられない、と言っていたっけ。
また別の時、僕が読んでいた文庫本をのぞいたヴィット―リオ(彼はフィレンツェから)が、こんなたくさんの文字がある本を読むお前はいったいどうなっているのだ?、という顔をしたことも思い出した。

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旅番組が増えたのは衛星放送のチャンネルが増えたためだと思う。テレビの前でごろごろしていても、心は世界を駆け巡れていい。加えて、もし世界の職人技を紹介する番組があったら欠かさず見るのに。僕は職人の手仕事を見るのが好き、楽器の修理なんてずっと見ていられそうだ。子供の頃、蒔絵や金箔といった伝統工芸の技を取り上げた番組があって、よく見ていた。日本の町工場のすご腕職人とか、大工とか、様々な楽器職人とか、世界に範囲を広げたら大変なことになると思う。どこかの放送局がやってくれないかなぁ。

2013年12月15日 (日)

限られた力を有効に

ブレーキの交換を終え、僕の素晴らしい乗り物、自転車が戻ってきた。
ブレーキ・キャリパーとワイヤーを替えてもらったら、驚くほどスムースで、しかもかっちりとした効き具合になった。シマノ(自転車部品メーカー)ばんざい!と言いたくなる。もっとグレードが上の部品にすると、雲上の乗り心地になるのだろうか。

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小さな部品の一つ一つまで、自転車は美しいと思う。シンプルだし、きっと限られた力を有効に使う工夫がされているからだ。はるかに複雑だけれど、飛行機も美しいと思う。
ところで、僕にとって最も素晴らしい楽器はチェロ、もちろん。

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2013年12月14日 (土)

霊感に満ちた

ナショナルジオグラフィック誌12月号、最初の特集は「全長3万3000キロ 人類の旅路を歩く」。徒歩で7年かけ、人類生誕の地、東アフリカから中東、アジア、北米を経て、南米大陸最南端ティエラ・デル・フエゴを目指す、という壮大なものだ。まだ旅は始まったばかり、歩いているのはジャーナリスト、ポール・サロペック、目的地への到達予定は2019年。
写真を撮りながら旅をするとよくわかるのだけれど、徒歩でなければ見えない世界がある。というよりもしかして、歩かなければ世界は見えないのでは、と思うこともある。それにしてもこの人はすごいことを考えたものだ。
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20131122/374586/

今、見たい展覧会も映画もたくさんあるのに、なかなか出かけられずむずむずしている。

先日読んだミハル・アイヴァス著「もうひとつの街」の中に、こんな一節があった。

『・・・このような出会いは初めてではなかった。どこかに通じているはずの半開きになっている扉のなかに足を踏み入れることはせずに、これまで何度も通り過ぎてしまったにちがいない。見知らぬ建物のひんやりとする廊下や中庭、あるいは街はずれのどこかで。この世の境界は遠くにあるわけでも、地平線や深淵で広がっているわけでもなく、ごく身近な場所で、かすかな光をそっと放っている。私たちが接している空間のはずれの暗がりのどこかにあるはずだが、自分では意識しないものの、つねに眼角を通してしか世界を見ていない私たちは、ほかの世界を見過ごしている。私たちが始終歩いているのは岸辺や原生林のはずれでしかなく、その私たちの振る舞いが隠れた空間を含む全体から浮いてしまっているので、隠れた空間にひそむ闇の生をかえって目立たせているかのようだ。けれども波のざわめきや動物の甲高い声といった、私たちの言葉に不安そうに連れ添っているもの(また、それらの音が生まれる謎の場所)に私たちが気づくことはなく、見知らぬ土地の片隅できらめく宝石に気づくこともない。というのも、たいていの場合、私たちが一生のあいだに道を外れることはいちどたりともないのだから。・・・』

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街を歩いていて、いつもの場所が突然違う顔を見せることがある。でも周囲はいつものように何事もなく過ぎていく、そんな時、不思議な感じがする。

チェロを弾いている時、もしかして素晴らしく深い音を出しかけているのに、気づかず素通りしてしまっていることがあるのではないか、と思うことがある。素晴らしい世界への入り口が目の前にあるのに、気づかず、何もないところでじたばたしているのかもしれない。

バルトークの2番のヴァイオリン協奏曲のスコアを見ていた。四拍子、ハープの四分音符で始まる、それぞれの小節は同じ和音のまま。バルトークはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を思ったのだろうか。そして低弦楽器が和声の動きを示し、ソロのヴァイオリンが登場する。ヴァイオリンの一番太いG線の解放で旋律が始まり、そのままG線のハイポジションに昇っていく。楽器の特性をよくつかんだ素晴らしい書き方だ。4小節ごとにオーケストラの楽器が増える。最初の15小節、ソリストはどんな気持ちで弾くのだろう、何かに持ち上げられてはばたく感じだろうか。霊感に満ちた素晴らしい冒頭だ。人間技でなくなっていくのはもう少し先のこと。
ソロがG線のオープンで始まるヴァイオリン協奏曲といえば、プロコフィエフの2番も浮かぶ。でも今の僕にはバルトークの方がはるかに広く高い世界に聴こえる。伝記を読むと(アガサ・ファセット著「バルトーク 晩年の悲劇」)、彼がとても難しい人で、悲劇的な人生だったことがわかり、辛くなる。

2013年12月12日 (木)

8度の重音

職業音楽家として恥ずかしい事なのだけれど、オクターヴ(8度)の重音が苦手だった。
オクターヴの重音で思い浮かぶのは、ロココの最終変奏や、ポッパーの組曲、終楽章の第1チェロだ。この組曲では、名手だったに違いないポッパーが、「君はこれができる?」と言っているような気がする。延々と続く8度にはトリルまで加わる。

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20年近く前、ジュネーヴのコンクールを受けた時、予備予選の課題の一つにポッパーの13番の練習曲があった。変ホ長調で書かれ、8度、6度、3度の重音を多用した美しい曲だ。あの時、僕は8度がうまくできず、当然コンクールからもすごすご帰ってきた。頑張ってさらってもできるようにならなくて、しかも左手の親指の筋も傷めてしまった。苦い思い出。

8度の重音でシフトをする時、チェロはだいたい親指・薬指という指使いを用い、当然音程の変化に伴い親指と薬指の間隔も変わる。8度音程は少しでもずれると実に聞き苦しい。その指の位置を正確にとることばかり考えていた。
そうではなく、いったん8度の響きを作り、その響きの中で、常に響きを保ちながらシフトするよう心がけたら、なんだこんなことか、と拍子抜けするようだった。問題は肉体的な精度ではなくて、音程の感覚をうまくつかむことだったらしい。これはきっと一人で弾く時だけではなく、例えばオーケストラの中で、1オクターヴ下の同じ音型を弾いているコントラバスの上に乗っかる場合も同じだ。
苦手だった8度はちょっと楽しくなって、ポッパーの組曲は趣味のように時々弾いている。

8度の重音と言えば昔、シャフランが来日公演でシューベルトのアヴェ・マリアを弾いた時のことを聞いたことがある。、後半の旋律を8度の重音で、人差指・小指という指使い(!)で弾き始めた時、それを目の前にした若かりしあるチェリストは、口をあんぐりと開けたそうだ。それはそうだろう。

YouTubeにシャフランの動画があった。前半の旋律をずっと2番線で弾いているのは、きっと後半オクターヴの上の声部を1番線で弾くための伏線だ。後半の8度は伝説通り人差指・小指で始まり、さらにそれに親指・薬指という指使いを加えてフィンガード・オクターヴにしている。シャフランの映像を見たら、眠くてぼんやりしていた頭が一気に覚めた。
http://www.youtube.com/watch?v=JOzKbb8k-IQ

2013年12月10日 (火)

回転草

インフルエンザの予防接種を済ませた。僕としてはかなり早い方のつもりなのだけれど、周囲にはもうとっくに、という人たちがいて驚いた。

雑誌「ナショナル・ジオグラフィック」誌12月号、今号も素晴らしい写真が掲載されている。「米国西部にはびこる厄介者 転がる雑草」 回転草(タンブル・ウィード)、聞いたことはあった。ニューヨークでもないワシントンでもないアメリカはどんなところだろう。
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20131122/374591/
夜の衛星放送の旅・紀行番組ではエストニアのタリン、それからブラジルはサルバドールが画面に映った。

今の僕はチェロが弾ければ幸せではある、でも旅に出たくなった。開高健流に言うなら、自己がとけかかり、いてもたってもいられなくなって、というところだろうか。(幸い僕はまだ溶けていない)
かねてから行きたかったところへ、周到に準備して行くのもいい。でももし数日時間ができたら、ぱっと航空券を手配して、というのもよさそうだ。(実際問題、時間とお金が工面できるかどうか、は今は考えない)カメラ一台に小さな荷物、ヘルシンキまで直行便でひとっ飛び、そこからエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国へ、初めての土地、初めて吸う空気、聞いたことのない言葉・・・。

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2013年12月 8日 (日)

星空が見えるような

ちょっと風が冷たいかな、と思いながら自転車で仙川へ。
以前のようには頻繁には乗らないし、遠くにも行かなくなったけれど、自転車は、今のところ、僕の操れる唯一の、しかも最高の乗り物だ。(この冬、車の運転免許を、と思いはした・・・。)
東京の街が自転車で走ってもおもしろいのは、坂が多く、道が曲がりくねっているからだと思う。名古屋から東京に出てきた時、道が狭くてごちゃごちゃしているのに驚いた。(大自動車会社のお膝元、名古屋の道の立派さは大変なものだ。)多摩川や荒川の河川敷は、何キロも信号の無い道を走れていいけれど、道が平坦で、景色もさほど変化しないから、そのうち飽きてしまう。
坂道の上がり下がり、曲がることで重力を感じられる、この素晴らしい乗り物で好きなように走っていると、僕は自由だと思う。

走りながら、オイストラフのドキュメンタリー「太陽への窓」を思い出した。そのドキュメンタリーの中でロストロポーヴィチが、当時のソヴィエト連邦の制約の多かった音楽家にとって、音楽は太陽への窓だ、この気持ちは西側の人間にはわからないだろう、と言う。

仙川で散髪し、アンカーヒアで懐かしい人たちに会い、唐揚げを食べた。それから自転車屋に寄り、自転車を預けた。ブレーキ・キャリパーの部品が錆びたので別のものへの交換を頼んだ。もっときびきび走り、止まるようになりますように。

夜はバルトークのヴァイオリン協奏曲の勉強。星空が見えるような気がした。この2番の協奏曲もそうだし、ベートーヴェンやチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に接するといつも、独奏楽器として花型だと感じる。ピアノはともかく、他の楽器でこれほどの内容の協奏曲を書くことは難しい、と思う。

先月弾いたマーラーの6番、7番、ショスタコーヴィチの13番、チェロのパート譜はいずれも40ページ前後だった。全てのパートの中で圧倒的に多い方ではないか。選び抜かれた目立つ音で勝負するのではなく、バナナのように、山盛りの音符、一山いくらで扱われる楽器か、と思える時がある。
昨日の第九も、僕たちが弾き続けている間、ヴァイオリンやヴィオラの人たちはけっこう暇そうだった。うぅむ。でも忙しくても、やっぱりあのレシタティーヴォは弾けた方がいいなぁ。それに、高音楽器のような花はなくても、僕たちは和声のバスが弾けるもの。

2013年12月 7日 (土)

今その1ページ目に

演奏会場に向かう途中、ビルの窓ガラスを清掃するためのゴンドラが、風にあおられて大きく揺れているのを見た。中には二人乗っていて、窓を拭いていた。大変な仕事だ、とても僕にはできそうにない。

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宇宙服を着た若田光一さんが、半球形をした透明な部分のあるヘルメットを被る姿を見て、うーん、と思ってしまった。あれを被ると、ダースベイダーのように、自分の呼吸する「しゅこー」という音が聞こえそうだ。

僕は高いところも狭いところも苦手。年を重ねる、とは自分の弱さを知っていくことだろうか。

第九の演奏会の後、都響を応援して下さる方々の忘年会に出てから帰宅。コーヒーを飲み、楽器を出した。
僕にとってのチェロ教本があるとしたら、今その1ページ目に立っている。チェロとはこう弾くもの、と初めて教えられた気がする。今すべてが新鮮でわくわくしている。弦を振動させて音を出し、その音で音楽を作っていくことは本当に楽しい。チェロを弾く感覚は、コップの縁を濡らし、その上を指でなぞって音を出す感覚に似ている。

2013年12月 6日 (金)

果汁が滴り落ちる柑橘類のように

今日の都響は第九のリハーサル。今年初めての第九だ。終楽章のマーチのテンポが速くてびっくりした、冗談かと思った。そしてその後の二重フーガは逆にいつもよりゆっくり(指揮は梅田俊明さん)。何か理由はあるのだろうと楽譜を見たら、マーチも二重フーガもメトロノーム表示は付点二分音符で84とある、うーん確かに。ベートーヴェンのメトロノームは壊れていた、という説もあるけれど。

村上春樹さんの短編「ドライブ・マイ・カー」の中で、主人公が、なぜ俳優になったかと尋ねられる場面、

『「・・・。でもしばらくやっているうちに、自分が演技を楽しんでいることがだんだんわかってきた。演技をしていると、自分以外のものになることができる。そしてそれが終わると、また自分自身に戻れる。それが嬉しかった」
 「自分以外のものになれると嬉しいですか?」
 「また元に戻れるとわかっていればね」
 「元に戻りたくないと思ったことってないですか?」』 

そして小説の後半、

『・・・・ひとしきり深く眠って、目覚める。十分か十五分、そんなものだ。そしてまた舞台に立って演技をする。照明を浴び、決められた台詞を口にする。拍手を受け、幕が下りる。いったん自己を離れ、また自己に戻る。しかし戻ったところは正確には前と同じ場所ではない。』

自分が生まれ変わったような気がする革命的な変化は、そうは起こらない。でも、どんな小さな仕事でも、毎日のちょっとした練習でも、その前と後ではほんの少しでいい、違う自分になっていたい。

アンドラーシュ・シフの弾くバッハを聴いている。この人の伸びやかな歌い方は好きだ。こんな風にアルペジョーネ・ソナタを弾いてみたい。
僕は残念ながらもう若者ではなくなってしまった。けれど、切ると果汁が滴り落ちる柑橘類のようにみずみずしく、そして成熟した音を出したい。

2013年12月 4日 (水)

集中力なし

夜7時のニュースの後半から、画面には宇宙ステーションの生中継映像が映った。宇宙にいる若田光一さんは、地上訓練時の厳しい表情とは別の、生き生きとした様子だった。きっと宇宙ステーションにいることが本当に楽しいのだろうし、もう一つ僕が気づいたのは、重力の影響がなく顔が丸く見えているのでは、ということだ。

いつの日か大宇宙時代が到来し、人類は地上と宇宙空間を自由に行き来するようになる。地上で重力の呪縛を受け垂れ下がっていた、顔を含む人間の体の全ての部分は、なんと素晴らしいことか、宇宙空間では解放される。美容形成外科のフェイスリフト部門や、○○○アップや○○○アップのための補正下着はすっかり廃れ、ほうれい線という言葉は死語となり、お見合い写真や、音楽家のプロフィール写真などはもっぱら宇宙空間にあるスタジオで撮影されるようになる。

問題はその先、もし宇宙空間で誰かと誰かが熱烈な恋に落ち(若者の場合は問題なし)、例えば休暇で地上に降りてくると、すべての部分は垂れ下がり、あぁこんなはずじゃなかった、と百年の恋も一瞬でさめ・・・。でも、恋は盲目、ともいうか・・・。

などぼんやり考えながらチャイコフスキーのトリオをさらっていた。うぅむ、集中力なし。

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それぞれの画像を

それぞれの画像をクリックすると大きくなります。
「2013 チェコ・スロヴァキア」
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/photos/konsyu/index.html

2013年12月 3日 (火)

演奏会の予定を

演奏会の予定を更新しました。

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/ensoukai.html

写真も更新しました。今年5月、チェコ・スロヴァキア演奏旅行の時のものです。

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/photos/konsyu/index.html

2013年12月 2日 (月)

あっという間に

シアターイメージフォーラムで開かれているポーランド映画祭2013、アンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」へ。
http://www.polandfilmfes.com/
見終わって外に出ると、そこは現代の日本、しかも世界には色があって、くらくらしそうだった。

電車に飛び乗り、鎌倉へ。光明寺で猫に会ってから材木座海岸を歩いた。冬の夕方、材木座にはまともに海側から西日が差すのでまぶしい、でも低い光線はいつもより海を劇的に見せた。稲村ケ崎まで足を伸ばしたら、ちょうど日が沈むところだった。黄色かった太陽は、高度を下げるにつれオレンジから赤と素早く色を変え、いったん地平線にかかると、何かにひっぱられるようにあっという間に沈む。

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帰りの電車で開高健さんの「夏の闇」を読んでいたら、こんな部分があった。

『・・・こまかい汗にぐっしょり濡れたドライ・マーティニのグラスをとりあげると宝石のように充実した重さがあり、くちびるに冷えきった滴を一粒のせると、硬い粒のまわりにほのかな、爽快な苦みがただよっていて、粒のつめたさはいきいきしているが、芯まで暗く澄みきっている。淡くて華やかな黄昏はゆっくりとすぎていき、やがて夜が水のように道や、木や、灯や、人声からしみだして、大通りいっぱいにひろがっていき、いつとなく頭をこえ、日蔽いを浸し、窓を犯し、屋根を消して、優しい冷酷さで空にみちてしまうのだが、そうなるまえにほんのわずかのあいだ、澄明だが激しい赤と紫に輝く菫いろの充満するときがある。ほんの一瞬か、二瞬。気づいて凝視しにかかるともう消えている。きびしい、しらちゃけた、つらい一日はこのためにあったのかと思いたくなるような瞬間である。大通りいっぱいに輝く血がみなぎり、紙屑から彫像、破片から構造物、爪から胸、すべてを暗い光耀で浸して、ひめやかにたゆたう。・・・』

もうすぐチャイコフスキーのピアノ三重奏のリハーサルが始まる。そのトリオの演奏会が来年1月に大垣と3月には都内の小さな会場であり、そして無伴奏の演奏会が2月に横浜である。この数カ月つかみかけてきたことを実際に出せるのかどうか、本当に楽しみ。わくわくしている。
今この日記を書きながら、バルトークの2番のヴァイオリン協奏曲を聴いている。ちょっと前の僕だったら、眠る前にバルトークの協奏曲を聴くなんてどうかしている、と思っただろう。

2013年12月 1日 (日)

12月

12月になった。

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