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2013年12月23日 (月)

ベートーヴェンが楽譜に記すまで

第九の第2楽章を弾く時、映像で見たチェリビダッケのリハーサルを思い出す。
冒頭の強いユニゾンが過ぎると、主題が第2ヴァイオリンから始まり、4小節ごとに他の楽器が加わっていく。その過程を指してチェリビダッケが、耳の聴こえないベートーヴェンはこの響きを想像の中で書いた、それは驚くべきことではないか、という意味のことを言う。

残念ながら、日本のオーケストラにとって、第九を演奏することはルーチン・ワークになっている。少なくとも僕は、第2楽章の冒頭を新鮮な気持ちで弾くことはなかった。
でも、チェリビダッケの言葉を思い出しながら耳を澄ますと、あの部分は様々な高さと色の音が重なり、その無数の音全体を視野に入れた時、これまで見たことのなかったモザイク画のように聴こえてくる。おそらく弾く方も聴く方も、すでに知っている当たり前のものとして、第九のスケルツォを聴いている。けれどこの響きはベートーヴェンが楽譜に記してくれるまで、世界に存在しなかったものだ。

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チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの第九を聴くと(EMIから出ているライヴ録音)、特に第2楽章で目の覚めるようなティンパニが聴こえてきてびっくりする。
久しぶりに彼の演奏を聴き、今こういう流れの演奏をできる人はいるだろうか、と思った。

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