果汁が滴り落ちる柑橘類のように
今日の都響は第九のリハーサル。今年初めての第九だ。終楽章のマーチのテンポが速くてびっくりした、冗談かと思った。そしてその後の二重フーガは逆にいつもよりゆっくり(指揮は梅田俊明さん)。何か理由はあるのだろうと楽譜を見たら、マーチも二重フーガもメトロノーム表示は付点二分音符で84とある、うーん確かに。ベートーヴェンのメトロノームは壊れていた、という説もあるけれど。
村上春樹さんの短編「ドライブ・マイ・カー」の中で、主人公が、なぜ俳優になったかと尋ねられる場面、
『「・・・。でもしばらくやっているうちに、自分が演技を楽しんでいることがだんだんわかってきた。演技をしていると、自分以外のものになることができる。そしてそれが終わると、また自分自身に戻れる。それが嬉しかった」
「自分以外のものになれると嬉しいですか?」
「また元に戻れるとわかっていればね」
「元に戻りたくないと思ったことってないですか?」』
そして小説の後半、
『・・・・ひとしきり深く眠って、目覚める。十分か十五分、そんなものだ。そしてまた舞台に立って演技をする。照明を浴び、決められた台詞を口にする。拍手を受け、幕が下りる。いったん自己を離れ、また自己に戻る。しかし戻ったところは正確には前と同じ場所ではない。』
自分が生まれ変わったような気がする革命的な変化は、そうは起こらない。でも、どんな小さな仕事でも、毎日のちょっとした練習でも、その前と後ではほんの少しでいい、違う自分になっていたい。
アンドラーシュ・シフの弾くバッハを聴いている。この人の伸びやかな歌い方は好きだ。こんな風にアルペジョーネ・ソナタを弾いてみたい。
僕は残念ながらもう若者ではなくなってしまった。けれど、切ると果汁が滴り落ちる柑橘類のようにみずみずしく、そして成熟した音を出したい。
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