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2014年1月

2014年1月31日 (金)

渦を巻いて

都内で仕事をしてから夕方の新幹線に乗った。盛岡で花輪線に乗り継ぎ、安比高原へ。
夜の列車を降りると、ホームには深々と新雪が積もり、あたり一面真っ白。線路も雪に埋もれ、ほとんど見えない。物音は雪に吸われてしまうのか、しんとして、ふわふわの粉雪を踏むと高い音がする。
ホテルに着き、室内楽の練習をし、外を見ると雪はさらに降っていた。風が強く、雪が渦を巻いているようだった。雪面が風に煙り、ぼんやりとしている。確かに、雪女とか座敷わらしとか、見えないはずのものが見える気がした。

日経新聞の連載「私の履歴書」、今月は小澤征爾さん。知らないエピソードが毎日のように紙面に現れ、とても興味深かった。今日の記事から。

『時間がある分、事前の勉強にもじっくり取り組めている。毎日1時間半くらいかけて、4小節や8小節ずつ勉強する。終わりに近づくと名残惜しくて「明日も同じところをやろうかな」と思う。本当に楽しい。自分で言うのも変だけど、それだけ時間をかけて準備すると耳の精度が上がる気がする。』

facebookに

2月9日の演奏会、プログラムについて書いた文章がfacebookに掲載されました。よろしければどうぞご覧ください。
www.facebook.com/salon.de.concert

2014年1月29日 (水)

チェリストの左手

今日は盛りだくさんだった。
少しさらってからギャラリー冬青へ。丹野清志 写真展「東京 1970-1990」
http://www.tosei-sha.jp/TOSEI-NEW-HP/html/EXHIBITIONS/j_exhibitions.html
好きな写真だった。小さかった頃の景色の記憶が呼び起こされるのだろうか。1970年(僕の生まれた年)頃の写真を見ると、東京でも広い空き地や未舗装に見える道があり、人々は小柄でずんぐりむっくりしている。この国は40年の間に激しい変化を遂げ、もう70年代は歴史になっているようだった。

それから銀座へ。そう、その前に、ちょっとだけ被っていたホコリを払って自転車に乗ったのだった。新しいブレーキは快適。昼間はぽかぽかあたたかく気持ちよかった。
銀座ライカギャラリーのルネ・ブリ展へ。
http://jp.leica-camera.com/culture/galleries/gallery_tokyo/
葉巻をくわえるチェ・ゲバラの有名な写真をはじめ、ポートレート、スナップ、風景、どれも実に見事だった。その中にチェロをかまえたパブロ・カザルスが左手の手のひらをレンズに向けたポートレートがあり、その左手と自分の左手をしげしげと見比べてしまった。カザルスの左手、人差指から小指に弦を押さえた痕がついているのだけれど、その場所がかなり奥、指の腹の深いところにある。うぅむ、こんな肉の多いところで押さえていたのだろうか。もう一度見に行きたい。

少し歩いてリコーイメージングスクエア銀座へ、写真展アンセル・アダムス。
http://www.ricoh-imaging.co.jp/japan/community/squareginza/schedule/event_detail_09.html
精緻で明晰な写真は、もっと大きなプリントで見てみたかった。

さらに六本木のフジフィルムスクエアへ。発表されたばかりの新しいカメラを見るためだったのだけれど、そちらは僕には期待はずれ。でも開催中の写真展は素晴らしかった。ウィン・バロックの作品を見てから
http://fujifilmsquare.jp/detail/14010304.html
「日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」」。
http://fujifilmsquare.jp/detail/1401170123.html
それぞれの写真家に一枚ずつ、一度ならず見たことのある有名な写真もずらりと並び、すんなり通り過ぎることはできなかった。粒ぞろいで見応えがあった。

たくさんのフィルムで撮った写真を見て、フィルムは拡大した時、粒子が美しいことを思った。デジタルは拡大するとげじげじの四角形が現れるから解像度を上げて見えなくするしかない。フィルムの粒子が美しく見えるのは、大きさや形が不揃いだからだろうか。

その後タワーレコードへ足を伸ばした。店内でブラームスの二重協奏曲の映像が流れていて、しばらく立ち止まった。ラトル指揮のベルリン・フィル、チェロはモルク、2007年、安永さんがいらしたときのものだ。オーケストラもソリストも素晴らしかった。モルクの左手はタコの吸盤のように指板にすいつく。今日はチェリストの左手に着目する日だ。たくさんヒントをもらった。さぁ、夜はコダーイをさらおう。

2014年1月28日 (火)

新しいチェロのケース

昨年いろいろな所を修理したチェロのケースは、まだ使えるのだけれど、来月から値上げ(このところの円安ユーロ高は大変なものだ・・・)と聞き、また消費税のこともあり、先週チェロの弦を買いに行った時、新しいものを注文しておいた。ほぼ毎日楽器を持って動く。ケースの使い勝手は大事な問題だ。
今日、新しいケースを受け取った。これまで使っていたムジリアのケースは、日本に入った最初のロット。(その時のことは2010年1月15日の日記をご覧ください。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/musilia-7d72.html)

新しいケースは細かいところまで改良されている。背中のストラップ部分に三角の板を入れて背負いやすくしたり、楽器を確実に固定できるようにしたり。カーボンの素材自体もより剛性の高いものになっている。ケースを床に置いたり、何かにぶつかったりした時のために、ある程度の素材のしなやかさは必要だと思う、でも古いものはちょっと柔らかかった。

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仕事を終えてから重野さんのところへ。毛替えと楽器の調整。新しい毛はいい。今度横浜で弾くバッハは、僕としてはかなり挑戦的な弓使い(マグダレーナ・バッハの写本にできるだけ忠実に)をするので、弓が少しでも弾きやすくなるとがぜん楽しくなる。楽器は、音が開き過ぎている感じだったので、少しだけ重く。

6月末にアルペジョーネ・ソナタを弾かせてもらう。まだまだ先のことだからどうにかなる、と思っていた。なんとまぁ、あと半年だ。目の前のことにかまけていて最近さらっていなかったけれど、弾いてみたら昨年の感覚よりいい。このところ取り組んでいること、力を抜くことや右手と左手の組み合わせのことが実を結んできているのだろうか。よし。

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2014年1月24日 (金)

独特の倍音

マリオルッチに弦を買いに行ったら、カーボン製のチェロがすぐ弾ける状態で置いてあり、早速弾かせてもらった。

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意外と良いかも。独特の倍音の出方で楽しく、小ぶりで弾きやすい。しばらく弾いてみたい気がした。音色はどうだろう。駒と魂柱は木製。ふむ、ここは従来どおりということだ。糸巻きの上、通常はうず巻きがあるところには何もない。実はあのうず巻きがあると無いとでは音が大きく違う、と聞いたことがあるのだけれど。
屋外や狭い場所で弾くのにはいいかもしれない。ただ、ひげのおじさんのようなデザイン(僕はけっこう好きだ)の黒いチェロを持っていくと、仕事場によっては怒られるかなぁ。

写真美術館へ。「手仕事のアニメーション」
http://syabi.com/contents/exhibition/movie-2188.html
「つみきのいえ」、「タップ君」、「ゴールデンタイム」、台詞のない3つの短編はいずれも秀作だった。まったく異なる3つの世界に入れて実に楽しかった。今月26日までの上映、お時間とご興味のある方は是非、と申し上げたい。

2014年1月22日 (水)

核心に

リハーサルの後、東京ステーションギャラリーで開かれている「プライベート・ユートピア ここだけの場所」展へ。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/now.html
何をしようと自由だとは思う、なんだかなぁ、勝手にすれば、と言いたくなった。おもしろい作品もあった。ただ、音が出るものが多く、しかもそれらが混在した展示で、家電量販店のミニコンポ売り場の様相だった。展示を工夫すべき。見たい絵を落ち着いて見ることができなかった。さらにメトロノームを3つ使った作品が出現した時は、その音から逃れるしかないと思った。やれやれ。

アンナー・ビルスマ著「Bach,The Fencing Master」の中にこんな一文があった。
『サラバンドは踊りだ、歌ではない。』(『A sarabende is a dance.It is not a song.』)
なるほど。3番の組曲のサラバンドをそう考えるとすっきり腑に落ちる。

この本は無伴奏チェロ組曲の1番から3番までを題材に書いてある。3番のプレリュードのところでとうとう
「Bach,The Fencing‐Master:Prelude of the 3rd Suite」という文章が出てきた。ついに核心に触れたということだ。3番の組曲をできるだけマグダレーナ・バッハの写譜通りの弓使いで弾こうとするのは、どう考えても合理的ではないし、まして暗譜するのはちょっとした狂気の沙汰だ。
同じ音型が続く時、その音型を毎回違う弓で弾くように書いてある。(オーケストラの弓付けは絶対にこういうことはしない。もししたら暴動が起きると思う。)でもその首をかしげたくなる弓で弾くと、同じモチーフから実に多様な音楽が生まれてくる。強拍や和音をいつも下げ弓で、同じ音型をいつも同じ弓使いで弾くのはわかりやすい、けれど単調だ。特に3番のジーグを合理的な弓使いで弾くととたんに退屈な音楽になってしまう。

2014年1月21日 (火)

ごく自然に

ペッテリ・サリオラのアルバムを聴いて、どうして自分はギターを弾けないんだろうと思ってしまう。
http://www.youtube.com/watch?v=JIV12xq6Yg4
ロックの気持ちよさの大きな理由の一つは、強いビートが常に一定の間隔で来続け、それが軽いトランス状態をひき起こすからだと思う。例えばジョバンニ・ソリマの書いたチェロの曲はビートの強さとミニマルミュージックの要素を実にうまく組み合わせている。一方、クラシックのオーケストラなんてその正反対の側にいる。まったく。広い舞台の上で百人近い人間が、発音の原理が異なる様々な楽器で一斉に音を出そうとする時、たとえ一つの和音でも盛大な時差を伴って、大きな波が崩れるようにずざーんと響く。もちろんそれがオーケストラの魅力でもあるのだろうけれど。

ともかく、その一定の間隔で打ち続けるビートをチェロの曲でも、と思ったらコダーイの終楽章がそうだった。うむ。コダーイの無伴奏で、うっかり触れたら火傷しそうな演奏はできるだろうか。
これまで何度かこの曲を弾いてきて、その度にけっこう悲壮な決意をしてから舞台に出ていた。常に一人のピアニストはきっと違う、僕たちチェロを弾く人間が30分一人で弾き続けることはそうない。もちろん易しくはないからそれなりにさらわなくてはならないし、もう昔のように長時間ぐぎぐぎさらうこともない。今試みているのは、悲壮な決意をしなくても弾けるように、技術ではなく、心を準備すること。心のためにさらう。重いものを背負わずに、ごく自然に弾き始められるようになること。

先日新聞記事で、スキージャンプの葛西紀明選手をはじめとして、40歳前後で活躍するスポーツ選手を取り上げ、筋肉を司る神経は年齢を重ねても発達する、とあった。確かに。僕の耳がおかしくなければ、20歳代より今のコダーイの方が確実にいいもの。

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2月9日の演奏会、問い合わせ先の電話がつながりにくい、というご指摘をいただきました。演奏会の予定を更新し、別の電話番号も掲載しました。申し込みは直接「外交官の家」
045-662-8819
までお願いします。皆様のお越しを心よりお待ちしております。
http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/ensoukai.html

2014年1月19日 (日)

柔らかい光に

他のブルックナーの交響曲と同じように、9番の交響曲も弦楽器のトレモロで始まる。そのトレモロをゆっくりとした弓の速さで弾くよう、ファビオ・ルイージは求めた。
新日フィルにいた時、ハウシルトがやはりブルックナーを演奏する際、トレモロの細かさ、粗さ、速さをそろえないで、各自ばらばらに弾くように、と言ったことを思い出した。弦楽器弾きの生理として、自然と皆で一様に速いトレモロを弾いてしまうし、その方が楽だ。

演奏時間が一時間を越えるこの曲を本番の舞台で弾き始める時、果たして終わるのだろうかと不安になる。でも不思議なことに、いつも気がつくと最後のページを弾いている。
未完の9番は第3楽章のアダージョ、長く続くホ長調の和音で終わる。この後に書かれるはずだった終楽章はいったいどんな音楽だったのだろう。
僕はこのホ長調の和音が、柔らかい光に包まれるような感じがして好きだ。そしてその響きに包まれた時、これがこの人の最後の交響曲なんだなぁ、となぜか納得する。

終演後、夜の飛行機で帰京。明日は朝から都響のリハーサル。

2014年1月18日 (土)

博多へ

午前中の新幹線で名古屋へ。
今日の昼ごはんは味噌煮込みうどん、とずっと前から決めていた。名古屋駅地下の山本屋に行ったら、11時半というのに行列。なんとまぁ。急遽方針変更して中日ビルの店へ。
なぜうどんが二千円近くするのか(僕が食べたのは黒豚入り、ご飯のセット)、とか、麺が少なくて味が濃すぎないか、とか、様々なことはあるけれど、美味しくてサービスもよかったので良しとしよう。

お腹が満たされ、安心して愛知県芸術劇場へ。ここのコンサートホールは、桐朋のオーケストラでも新日フィルでも、今回はN響で来たけれど、都響ではまだだった。一日ぶりにブルックナーを弾いて、再び名古屋駅へ。

念願かない、新幹線ホームで花かつおのふわふわ踊るきしめんを食べ、予定より早い列車の自由席に飛び乗った。この前きしめんを食べたのはいったい何年前のことだろう。
朝東京を出て、昼名古屋でブルックナーを弾き、夜そう遅くない時間に博多に着く、というのは実は大変なことではないか、と思う。

車中「Bach,The Fencing Master」の続きを読む。うむ、佳境に入ってきた。次のページから三番の組曲だ。辞書をひくのに疲れたら新聞を読み、スナック菓子をぼりぼり食べ、至福の時間だった。ちょうど昨日買ったばかりの、フィンランドのギタリスト、サリオラのアルバム「Silence」を聴いている。格好いい。

夜はチェロの人たちと。

2014年1月17日 (金)

映画の魅力を

来週の現代曲の譜読みを無理くりしてから、映画「鑑定士と顔のない依頼人」へ。
http://kanteishi.gaga.ne.jp/
「ニューシネマパラダイス」と同じトルナトーレ監督にモリコーネの音楽だけれど、感じは違う。平日昼間というのに劇場はほぼ満席だった。確かにおもしろいもの、映画の魅力を堪能した。見終わってからも、あの場面はこういう意味があり、その台詞はなるほどそういうことだったのか、としばらく楽しかった。

さて、明日からは再びブルックナーの日々。

2014年1月16日 (木)

「失敗しても」

現在公開中の映画「鉄くず拾いの物語」、
http://www.bitters.co.jp/tetsukuzu/
ダニス・タノヴィッチ監督の記事が昨日1月15日の日経夕刊に掲載された。その中から

『脚本はない。ナジフに話を聞いて、その通りに撮った。病院の一部以外はすべて現実の場所だ。登場人物も医者を除けばすべて現実の人物だ。
 ナジフの話から鍵となる場面はわかった。長年やってきたスタッフなので、言葉にせずとも互いに理解できた。
 私は戦場で映像を学んだ。だからこういう撮影の仕方は楽しかった。大作映画の監督は将軍のようだが、スタッフの少ない撮影現場の監督は軍曹のようだ。みなと一緒にアクションの中に身を置ける。』

『大予算で撮るより、低予算で作った方が実験的で創造的になれる。そんな勢いがあった。プロデューサーは「あなたは狂ったか」と言った。確かに映画作家には狂った部分がある。「この物語は語る価値がある」と周囲の人に信じさせ、巻き込むのだから。
 それも戦争中と同じで、本能に導かれた。失敗しても繰り返さなければよい。映画は理性で作れない。自分にとっては自然な映画作りだ。
 私はボスニアの映画作家だ。千人の兵が戦うような大作でなくとも、豊かにドラマを語れる手法はきっとある。』

2014年1月15日 (水)

いつものホールで

ゲネプロの後、恵比寿へ。(N響は夜の演奏会でもゲネプロの開始が早い)
まずラボテイクで現像を受け取った。撮った画像をすぐには見ることができないのは、言うまでもなくフィルムカメラとデジタルとの大きな違いの一つ。これは短所にしか思えないけれど、今年の正月に撮った写真を今日見て、その待つ時間はなぜか大切な気がした。

それから東京都写真美術館3階の「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ」展へ。
・・・・・。確かに「写真であそぶ」という副題がついてはいる・・・・・、道楽にしか見えなかった。お前の目は節穴か、と言われるかもしれない、それにしても気の抜けた展示だった。もちろんクーデルカのような写真家が全てではないとしても、近代美術館での写真展があの力の入りようだったのに対し、写真美術館の写真展がこれでいいのだろうか。

がっかりした後、地下1階の「高谷史郎 | 明るい部屋」展へ。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-2023.html
参考展示として、ウィリアム・クラインやケルテス、アヴェドン、アウグスト・ザンダー、・・・、幾人かによる写真があった。やっぱり写真は力を持つもの、と思った。他は様々な方法の展示が。全周魚眼レンズを使い360度全天を撮ったビデオ・インスタレ―ションは、自分の部屋に置いてみたいと思った。一見して鏡とわかる「mirror type k2」(光学ガラスによるナイフエッジ45°直角プリズム)は、いったい何が普通の鏡と違うのだろうと、映る自分の顔をしげしげ見た。左にあるほくろが左の顔に、右にあるシミが右にある!左右がひっくり返っていないのだ。そうか、僕はこんな顔なのか。

夜はサントリーホールで本番。以前ブルックナーの9番を弾いた時、フレーズとフレーズが関係を持たず、曲の中で何度も音楽的断絶があり、それが腑に落ちなかった。今日は流れがつながっていた。いつものホールで違うオーケストラ、初めての指揮者、違う聴衆。新鮮な夜だった。

2014年1月14日 (火)

強いるのではなく

昨日からN響にエキストラとしてのせてもらっている。ファビオ・ルイジの指揮でブルックナーの9番。
前回エキストラに行ったのは19年前、イヴリー・ギトリスがベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾いた時だ。その時の第1楽章の展開部は、時間の流れが変わってしまうような悪魔的な魅力があり、以来何度もこの協奏曲を弾いてきたけれど、残念ながらそれを越える経験はない。その演奏会は、チェロの徳永兼一郎さんが公の場で演奏された、おそらく最後の時期だったと思う。他の楽員が楽器を持ったり支えたりして徳永さんが舞台に現れたこと、穏やかな表情でギトリスの演奏を「素晴らしいね」と話されていたことを思い出す。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏する度に、19年前の光景がよみがえる。

あの頃N響の練習場に行くのは、宇宙空間に行くような(行ったことはないけれど)緊張感があった。知らない人たちばかりだったし、そこでどう振る舞えばよいのかまったくわからなかった。久しぶりに練習場に入ると、もう知らない人ばかりではないし、僕より若い人もたくさんいる。2日間のリハーサルを弾いて、N響の人たちの献身的な仕事の仕方に頭が下がる思いだった。
今日のリハーサルでファビオ・ルイジは、ブルックナーの終楽章のある主題を弾く時、強いて(force)音を出すのではなく、音が出ていくのを許す(happenとかallowという言葉を使っていた)ということを言っていた。音が自発的に出ることを求めていたのだと思う。明日から演奏会が続く。

2014年1月13日 (月)

茶目っけたっぷりに

これまで何度も読み始めては挫折し、を繰り返してきたアンナー・ビルスマの「Bach,The Fencing Master」を、2月に横浜でバッハを弾く前に何とか読んでしまおうとしている。うまく意味をとれない時があるのだけれど、そういう時は気にせず先へ進むことにした。ビルスマのふわっと柔らかく自由な心が見えるようで、楽しい。これはこうするもの、あれはあぁするもの、という常識の罠がない。「僕はこう思うけれど、君はどうかな?」と茶目っけたっぷりに投げかけられているようだ。

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バッハの分析や自由な文章の間に時々練習の仕方が書いてある。この分厚い本を持ち歩かなくてもいいように、書き出してみた。左手の練習で、指の幅を広げるものはよくある。一方、ビルスマは縮めることの提案もしている。おもしろいなぁ。

2014年1月11日 (土)

いい集中で

昨晩都響の演奏会の後、遅い時間の新幹線に乗った。今日は大垣市の音楽堂へ。岐阜県の音楽ホールというとサラマンカホールが思い浮かぶ。でも、初めてのこの小ぶりな音楽堂も居心地よく、演奏しやすい音響だった。
長く準備してきたチャイコフスキーのピアノ三重奏は、50分の演奏時間中電池切れすることなく、いい集中で弾けて楽しかった。高橋さん礒さんとのB型トリオ、今度は3月初めにチャイコフスキーを仙川で弾く。

Ongakudo

打ち上げの後、夜の新幹線で帰京。最近乗る新幹線は夜ばかりで、車窓の景色を見てないなぁ。さぁ明日からはコダーイをさらおう。

2014年1月 8日 (水)

空想の種

昼休み本屋に入り、発作的に手に取ったのが「地球の歩き方 バルトの国々 エストニア ラトヴィア リトアニア」。
なになに、エストニアの首都タリンは港町で、ヘルシンキから高速艇で一時間半・・・。知らない国に海から船で入るなんて、それだけでうっとりしてしまう。公用語はそれぞれエストニア語、ラトヴィア語、リトアニア語。ラトヴィア語リトアニア語は共にインド・ヨーロッパ語族、エストニア語はまた別の言葉らしい。なるほど。
仕事からの帰り際、宝くじを買った。当たれば躊躇なくヘルシンキ行きの航空券を買うつもりだった。

僕の空想の種の一つに、もしお金が売るほどあったら、というものがある。楽器はとっくに考えた。本や写真集を無尽蔵に置ける本棚のある家、とか、極上のLPレコードプレーヤーもいい、ポルシェに乗りたい、という子供じみた夢もある(911にチェロは乗せにくそうだ)。
最近そのラインナップに加えたのは、思い立った時に好きなところに行くこと。大西洋を見たくなったらポルトガルへ、波を見たくなったら冬のハワイ、ノースショアへ、パスタが食べたくなったらイタリアへ、昔の飛行機が見たくなったらワシントンのスミソニアン博物館へ、・・・・・。もちろん憧れのビジネスクラスで快適な空の旅。うむ、大変素晴らしい。

アンナー・ビルスマ著「Bach,The Fencing Master」を読んでいたら、「和音の準備をするに際して、(左手の)指は上の弦から先に置くといい」(In preparing chords,it might be good policy to place the fingers on the upper strings first.)という記述があった。ほとんどの場合、和音は下から弾くから何も考えず低弦を先に押さえていた。この人はおもしろいことを言う。早速やってみよう。

2014年1月 7日 (火)

しっとりとした弾力を

年末に楽器のセッティングが決まったこともあり、年が明けてから弦を新品に交換した。
以前は下二本を三か月ごと上二本を二か月ごとに換えていたこともある。今は、これが適当なのかどうかはわからないけれど、本番の日程を気にしながら三か月で四本とも新しくする。ただし、四本一度に交換すると元の状態がわからなくなるので一日一本ずつ。(一日一善みたい)

新しい弦はいい。日々頑張っていることへの褒美のようだ。弦が本来のしっとりとした弾力を取り戻し、苦労していたことも難なくできたりする。心と体と楽器と弓が弾力を保っていれば、本番の舞台もきっと大丈夫。弾力を持った弾き方が楽器をいい状態にするのではないか、と思っている。今その、僕にとっては壮大な、実験中。

2014年1月 6日 (月)

「20 FEET FROM STARDOM」

昨日が仕事始め。
これまで、忙しく仕事する人たちを見て、どうして休まずそんなに働くのか不思議だった。今は少しわかる。仕事するのは楽しいし、お金以前に、仕事によって生かされているのだと思う。いい仕事をしよう。

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今日は映画「バックコーラスの歌姫たち」(原題「20 FEET FROM STARDOM」)へ。
http://center20.com/
観ながら何度も泣きそうになった。やっぱり歌だなぁ、心の底からの歌。楽譜とか解釈とか、そんなことは全て放り出したくなる。音楽を愛する人たちにはもちろん、音楽に興味のない人にも是非この映画を、と申し上げたい。

2014年1月 4日 (土)

もう一つ大きなテーマが

年賀状の返事を書きながら、ずらずらと並んだ自分の字を見て、それにしてもひどい字を書いていると呆れた。
もちろん僕は丁寧に書いているつもりで、その時はそんなに悪くないと思っている。でも書き終えて見返すと驚く。受け取った人に、長谷部は面倒くさいと思って書いているに違いない、と思われてはいけないと心配し、せめて自分の名前だけでもどうにかしようと思った。例えば長谷部の部の、口の部分、右肩が限りなく丸くなってだらしない。もっと角を立てて、全体のバランスをとって小さく・・・、などいろいろしたら、いったい誰の字か誰の名前かわからなくなりそうだった。やれやれ。

小学生の時、書き方の時間に、僕は反骨精神を発揮して、わざと書き順を違えて覚えた。できあがる字の形が同じならいい、と思ったのだ。まったく妙なところで反骨精神を発揮したものだ。僕の字が変な理由の一つはそこだし、人前で書くとけげんな顔をされて恥ずかしい。
先日ある書家の個展に伺い入口で名前を書くよう求められた時、絶望的な気持ちになった。硯の上に細い毛筆が置いてあったのだ。真直ぐ書けずのたうちまわる縦書きの上に毛筆なんて・・・。

ところで都響のチェロには、僕に勝るとも劣らない字を書く人が何人かいて、ちょっと安心する。それぞれ立派な経歴を持ち舞台の上ではすました顔をしているのだけれど。

夜は映画「ウォールフラワー」へ。
http://wallflower.gaga.ne.jp/
よかったなぁ。甘く切ないだけの映画ではない。もうひとつ大きなテーマがある。公式サイトの予告編はなんだか的外れ(わざと外しているのかもしれない)、しかもそのサイトに掲載されている様々なコメントは不思議なものが多い。よくある青春映画だろ、と思って観に行かないのは残念な気がするし、甘く切ない青春映画だと思って観ると、?、ということになるかもしれない。

さぁ、明日は朝からさらおう。

2014年1月 3日 (金)

まったく違った街に

名古屋で年越しするのは、この前そうしたのがいつか思い出せないくらい、久しぶりだった。
昨晩の新幹線で帰京。まだ正月2日というのに夕刻の列車は満席で取れず、遅い時間になった。夜の列車は景色が単調で退屈な分、本を読んだ。車中で勢いがついて、帰宅後一気に読み終えたのはローラン・ビネ著「HHhH - プラハ1942年」。
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488016555
フィクションなのかノンフィクションなのか、しかも小説を書くことを小説にしてしまっているから現実なのか小説なのか、現在なのか第2次世界大戦中なのか、その境界がぼんやりとしてくる。
昨年5月にプラハを訪れた時、何かを感じていた。意識の隅には、1968年プラハの春に対するワルシャワ条約機構軍の侵攻があったのだけれど、それをさかのぼることわずか20数年のうちにこんなことが起きていたとは。今度プラハを訪れることがあったら、まったく違った街に見えると思う。

今日は少し楽器に触れてから国立近代美術館へ。どうしてももう一度クーデルカ展を見たかった。
http://www.momat.go.jp/Honkan/koudelka2013/index.html
初期の作品に続いて、ロマの人たちを撮った「ジプシーズ」が現れる。強い目、見開かれた目、虚ろな目、悲しみの目、目、目、・・・。胸ぐらを掴まれて揺さぶられるようだった。むき出しの生がこれらの写真にはある。それは今の日本人が自意識を幾層も分厚くぬり重ね、見えなくしてしまったものではないか。
この展覧会に来た目的はもう一つあり、それは図録を求めることだった。(いつもは買わない。もし展覧会に足を運ぶ度にそうしていたら、僕の住処はとっくにパンクしている。)前回手に取って、欲しいとは思っていたのだけれど、家の小さな本棚はとっくにあふれているし、とあきらめていた。クーデルカは写真が素晴らしいように、言葉もまっすぐで魅力的だ。図録には対話も掲載されている。それはこのように始まる。

『かつて、すばらしい男に出会った。彼はユーゴスラビアのジプシーで、我々は友達になった。ある日彼は言った。「ジョセフ、おまえはどこにも留まることなく、ずいぶん長く旅をしてきた。多くの人に会い、多くの国、あらゆる土地を見てきたんだろう。どこが一番だったか教えてほしい。どこになら居続けてもいいと思う?」私は何も言わなかった。そこを発つ時になって彼はまた尋ねた。私は答えたくなかった。でも彼はしつこく食い下がり、最後にこう言った、「わかった!おまえはまだ一番だと思える土地を見つけていない。おまえが旅を続けるのは、まだそんな土地を探しているからだろう」「友よ」と私は答えた。「それはちがう。わたしはそんな場所を見つけないよう必死にがんばっているのだ。」』

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