核心に
リハーサルの後、東京ステーションギャラリーで開かれている「プライベート・ユートピア ここだけの場所」展へ。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/now.html
何をしようと自由だとは思う、なんだかなぁ、勝手にすれば、と言いたくなった。おもしろい作品もあった。ただ、音が出るものが多く、しかもそれらが混在した展示で、家電量販店のミニコンポ売り場の様相だった。展示を工夫すべき。見たい絵を落ち着いて見ることができなかった。さらにメトロノームを3つ使った作品が出現した時は、その音から逃れるしかないと思った。やれやれ。
アンナー・ビルスマ著「Bach,The Fencing Master」の中にこんな一文があった。
『サラバンドは踊りだ、歌ではない。』(『A sarabende is a dance.It is not a song.』)
なるほど。3番の組曲のサラバンドをそう考えるとすっきり腑に落ちる。
この本は無伴奏チェロ組曲の1番から3番までを題材に書いてある。3番のプレリュードのところでとうとう
「Bach,The Fencing‐Master:Prelude of the 3rd Suite」という文章が出てきた。ついに核心に触れたということだ。3番の組曲をできるだけマグダレーナ・バッハの写譜通りの弓使いで弾こうとするのは、どう考えても合理的ではないし、まして暗譜するのはちょっとした狂気の沙汰だ。
同じ音型が続く時、その音型を毎回違う弓で弾くように書いてある。(オーケストラの弓付けは絶対にこういうことはしない。もししたら暴動が起きると思う。)でもその首をかしげたくなる弓で弾くと、同じモチーフから実に多様な音楽が生まれてくる。強拍や和音をいつも下げ弓で、同じ音型をいつも同じ弓使いで弾くのはわかりやすい、けれど単調だ。特に3番のジーグを合理的な弓使いで弾くととたんに退屈な音楽になってしまう。
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