強いるのではなく
昨日からN響にエキストラとしてのせてもらっている。ファビオ・ルイジの指揮でブルックナーの9番。
前回エキストラに行ったのは19年前、イヴリー・ギトリスがベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾いた時だ。その時の第1楽章の展開部は、時間の流れが変わってしまうような悪魔的な魅力があり、以来何度もこの協奏曲を弾いてきたけれど、残念ながらそれを越える経験はない。その演奏会は、チェロの徳永兼一郎さんが公の場で演奏された、おそらく最後の時期だったと思う。他の楽員が楽器を持ったり支えたりして徳永さんが舞台に現れたこと、穏やかな表情でギトリスの演奏を「素晴らしいね」と話されていたことを思い出す。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏する度に、19年前の光景がよみがえる。
あの頃N響の練習場に行くのは、宇宙空間に行くような(行ったことはないけれど)緊張感があった。知らない人たちばかりだったし、そこでどう振る舞えばよいのかまったくわからなかった。久しぶりに練習場に入ると、もう知らない人ばかりではないし、僕より若い人もたくさんいる。2日間のリハーサルを弾いて、N響の人たちの献身的な仕事の仕方に頭が下がる思いだった。
今日のリハーサルでファビオ・ルイジは、ブルックナーの終楽章のある主題を弾く時、強いて(force)音を出すのではなく、音が出ていくのを許す(happenとかallowという言葉を使っていた)ということを言っていた。音が自発的に出ることを求めていたのだと思う。明日から演奏会が続く。
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