まったく違った街に
名古屋で年越しするのは、この前そうしたのがいつか思い出せないくらい、久しぶりだった。
昨晩の新幹線で帰京。まだ正月2日というのに夕刻の列車は満席で取れず、遅い時間になった。夜の列車は景色が単調で退屈な分、本を読んだ。車中で勢いがついて、帰宅後一気に読み終えたのはローラン・ビネ著「HHhH - プラハ1942年」。
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488016555
フィクションなのかノンフィクションなのか、しかも小説を書くことを小説にしてしまっているから現実なのか小説なのか、現在なのか第2次世界大戦中なのか、その境界がぼんやりとしてくる。
昨年5月にプラハを訪れた時、何かを感じていた。意識の隅には、1968年プラハの春に対するワルシャワ条約機構軍の侵攻があったのだけれど、それをさかのぼることわずか20数年のうちにこんなことが起きていたとは。今度プラハを訪れることがあったら、まったく違った街に見えると思う。
今日は少し楽器に触れてから国立近代美術館へ。どうしてももう一度クーデルカ展を見たかった。
http://www.momat.go.jp/Honkan/koudelka2013/index.html
初期の作品に続いて、ロマの人たちを撮った「ジプシーズ」が現れる。強い目、見開かれた目、虚ろな目、悲しみの目、目、目、・・・。胸ぐらを掴まれて揺さぶられるようだった。むき出しの生がこれらの写真にはある。それは今の日本人が自意識を幾層も分厚くぬり重ね、見えなくしてしまったものではないか。
この展覧会に来た目的はもう一つあり、それは図録を求めることだった。(いつもは買わない。もし展覧会に足を運ぶ度にそうしていたら、僕の住処はとっくにパンクしている。)前回手に取って、欲しいとは思っていたのだけれど、家の小さな本棚はとっくにあふれているし、とあきらめていた。クーデルカは写真が素晴らしいように、言葉もまっすぐで魅力的だ。図録には対話も掲載されている。それはこのように始まる。
『かつて、すばらしい男に出会った。彼はユーゴスラビアのジプシーで、我々は友達になった。ある日彼は言った。「ジョセフ、おまえはどこにも留まることなく、ずいぶん長く旅をしてきた。多くの人に会い、多くの国、あらゆる土地を見てきたんだろう。どこが一番だったか教えてほしい。どこになら居続けてもいいと思う?」私は何も言わなかった。そこを発つ時になって彼はまた尋ねた。私は答えたくなかった。でも彼はしつこく食い下がり、最後にこう言った、「わかった!おまえはまだ一番だと思える土地を見つけていない。おまえが旅を続けるのは、まだそんな土地を探しているからだろう」「友よ」と私は答えた。「それはちがう。わたしはそんな場所を見つけないよう必死にがんばっているのだ。」』
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