「海と風」
昼間一つ仕事をしてからギャラリー冬青へ、Kyunghee Lee写真展「海と風」。
http://www.tosei-sha.jp/TOSEI-NEW-HP/html/EXHIBITIONS/j_exhibitions.html
展示してある写真の他に、冬青社から出版されている2冊の写真集も置いてあり、それらを見ると、彼女に世界がどう見えているのか、少しわかるような気がした。おもしろかったなぁ。
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昼間一つ仕事をしてからギャラリー冬青へ、Kyunghee Lee写真展「海と風」。
http://www.tosei-sha.jp/TOSEI-NEW-HP/html/EXHIBITIONS/j_exhibitions.html
展示してある写真の他に、冬青社から出版されている2冊の写真集も置いてあり、それらを見ると、彼女に世界がどう見えているのか、少しわかるような気がした。おもしろかったなぁ。
常磐線の特急で上野からいわきまでは2時間と少し。コーヒーを飲み、本を読んで眠くなり、目が覚めてもまだ着かずまた本を読む。そんな時間が好きだ。そして昼間だと車窓の景色は常に動き、明るくて字を読みやすい。
日立、勿来あたりでは時々太平洋が見える。今年になってからまだ海に行っていないのだった。旅への気持ちがまた強くなった。
車中読んでいたのは「文藝春秋」の今月号(2014年3月号)。村上春樹さんの書き下ろし小説「独立器官」も、そのすぐ後に掲載されている村上龍さんの連載「オールドテロリスト」もおもしろかった。他に、150回を迎えた芥川賞記念特集も興味深かった。選考委員でもある宮本輝さんと村上龍さんの対談から村上さんの言葉を。
『作者が読者に伝えたいことを、僕は広い意味で「情報」という言い方をするんですけど、大切な情報は簡単に他者に伝えることができない。そういうとき普通の人は、どうしても文章で説明してしまうんです。本当は説明ではなくて、的確な一行で描写して、読者のイマジネーションに訴える方が遥かに有効なんです。でもどういう言葉を使えば読者に届くかというのは、何度も書き直して、試行錯誤して気付くしかない。』
『僕が新人作家に求めるのは、全体の洗練や完成度よりも、ヒリヒリとした切実さなんです。
「限りなく透明なブルー」の終盤、錯乱状態になった主人公が、自分の体の輪郭もわからなくなり、小さい頃、走って転んだりするときにできる擦り傷のようなヒリヒリとした感覚を求めるという場面があるんです。そうした自分の身体と外部をつなぐヒリヒリ感、切実さを昔の作家は持っていたと思うんですけど、最近の若い作家から感じることが非常に少なくなってきていますね。日本が豊かになったことと関係があるのかどうかわかりませんけど、そういった切実な感情が文学だけでなく、社会全体からも失われている気がするんです。』
今日明日と都響は福島県いわき市に来ている。常磐線の車窓からは冬枯れの景色と、仮設住宅が見えた。もうすぐ3年たつのに・・・。
リハーサルの後チェロの皆で食事をし、部屋に戻ってから、ピアノトリオのリハーサルの録音を聴いた。(2月19日の日記をご覧下さい。) あれ、もう少しいいと思っていた。音が生っぽく遅い。たくさんあるアクセントのついた音は機械的だった。うぅむ。心して、心の底から表現しよう。
昨日はチェロを弾かなかった。今日も仕事は休み、連休は久しぶりだ。少しチェロを弾いてから、ふらりと原美術館へ。少しだけ春らしくなった日差しの下、美術館内のカフェ・ダールでゆっくり昼を食べ、「ミヒャエル・ボレマンス:アドバンテージ」展を見た。http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
何が良いのかはわからなかったけれど、よかったなぁ。
それから六本木へ。禅フォトギャラリーで西村多美子「しきしま」写真展を見(とてもよかった)http://www.zen-foto.jp/web/html/exhibition-current.html、
同じ建物の上の階にあるワコーワークスへ。ヴォルフガング・ティルマンス「Affinity」展。http://www.wako-art.jp/top.php
斬新な視点はおもしろかったけれど、プリントにはものすごい値段がついていた。はて。
2月24日の日経夕刊には、現在沖縄県立美術館で写真展(「森山大道 終わらない旅 北/南」)が開催されている森山大道さんの記事が掲載された。その中から。
『僕のスタンスは今も昔も同じ。流れ者の視線で、目に見える表層だけを撮っている。いくら心情や美学を込めてもそんなものは写らない。表層がすべてというしたたかさが写真にはある』
「昨年の撮影は4回にわたって行われた。車で島内を回り、『野良犬や野良猫のようにほっつき歩きながら』撮っていく。シャッターチャンスを狙って一つの場所で待つことはしない。『待つというのは予定調和なイメージを期待すること。そうじゃなくて撮るべき一瞬に自分から出合いに行く。あの角を曲がったらきっと面白いものがあるはずだ、といつも考えて歩いている』
あの大雪で観に行けなかったミキ・カウリスマキ監督の映画「旅人は夢を奏でる」へ。
http://www.alcine-terran.com/tabiyume/
人生はこれくらいいい加減な方が、と思いながら見ていると、きちんと締めてくる部分もある。その描き分けが見事だった。シューベルトのト長調のピアノ・ソナタ(D894)をはじめとして、音楽の使い方もよかった。今そのソナタを聞きながらこの日記を書いている。ところで、フィンランド語は「キィートス」(ありがとう)以外まったく分からなかった。
先日観た大作「ゼロ・グラビティ」は迫力があってよかった。いっぽう「旅人は夢を奏でる」(「ROAD NORTH」が原題だろうか)がアカデミー賞の作品賞にノミネートされることはなかったかもしれないし、上映されている渋谷の小さな映画館はがらがらだったけれど、心に残る映画だった。
今回のオペラは今日でおしまい。終演後、銀座ニコンサロンへ。写真展や映画に出かける時間が戻ってきた。
藤岡亜弥写真展「Life Studies」http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2014/02_ginza.htm#02
日常生活が写っていて、どうしてそれがおもしろいのかはわからないのだけれど、おもしろかった。会場には藤岡さん本人の文章も掲示してあり、そちらも興味深かった。その中から。
『2007年秋、文化庁の留学生として1年間の予定で、私はニューヨークを選んだ。予想もしなかったことだが、それから4年間もニューヨークで生活することになった。
これまでにない解放感と高揚感が自分にあったこと、エキサイティングな出会いやこの街の不思議なエネルギーは語るに語り尽くせない。しかし、美しくうそをついてしまいたくなるほど隠しておきたいことも多い。逆風は、まず最初のアパート探しからはじまり、その後も気が遠くなるような失敗や事件や失望があった。
・・・・・・・・
そんな日常が本編なら、この物語の本編をおもしろがる余裕など私にはなかった。いつもそこから逃げ出し外に向かって歩こうとする自分がいた。私が目をそらした先、物欲しそうに見つめたもの、それがここにある私のニューヨークなのかもしれない。
強烈な都市の魔力にわなないたり救われたりしながら、私は何度小さな自分を見つめたことだろう。
ニューヨークを想うと今でも心が震えるのは、それが私にとって鈍く光りつづける時間だからだ。
それは私に与えられたかけがえのない「Life Studies」だった。』
ニューヨークはどんなところだろう。行ってみたい。
先日の横浜の演奏会は暗譜で弾いた。ヒンデミット、バッハ(不規則な弓使いで)、コダーイという無伴奏のプログラムを覚えるのは楽々、という人は多くいるだろうし、僕も20代だったら何とも思わなかったかもしれない。でもオーケストラの仕事をするようになり、常に目の前に楽譜が置かれ、その膨大な音符を見ては弾く習慣がつくと、いつのまにか暗譜が特別なことになっていた。
無伴奏は最高の自由度を持つ。そこで本当に自由になれたら幸せだ。一方、一度体勢を崩すとなかなか回復できないという裏返しの難しさがある。ピアニストと一緒だったり、室内楽だったりしたら、他の奏者が弾いている間に一息ついたり、助けてもらえたりできる。でも一人で暗譜が飛びそうになりながら弾く時の恐怖は、あまり思い出したくないものだ。自分が弾くのをやめたら音楽は止まってしまう・・・、とか、次のパッセージはどんな具合に展開していくんだっけ、などと考え始めたらもう弾けなくなる。
ソチで開かれているオリンピックの様々な競技を見て、高度な技はほとんどが無意識下で行われているのでは、と思った。無意識という言葉を、高い集中力、と言い換えてもいいかもしれない。すでに体が覚えていて無意識なら難なくできることを、緊張から意識してしまったり、あっと思ったり、はっとしたりした瞬間にバランスを崩すのではないだろうか。
例えばヒンデミットの7度の重音で次々に跳躍する部分や、コダーイにたくさん出てくる速くて難しいパッセージは、一旦指使いや暗譜を意識し始めるととたんに難しくなるし、間違えやすい。無意識にゆだねてしまえばいいのだ、と気づいた。自分の中の知らない自分にゆだねてしまえばいい。もちろんそのためには充分な準備が必要。でも、うまく無意識の流れに入れれば、難しいパッセージも無事過ぎ、長い曲もあっという間に終わる。
意味は違うだろうけれど、ルカ伝の中にこんな言葉があった。
『人なんぢらを会堂、或ひは司、あるひは権威ある者の前に引きゆかん時、いかに何を答へ、または何を言はんと思ひ煩ふな。聖霊そのとき言ふべきことを教へ給はん』
横浜での演奏会は本当に楽しかった。知らない世界が見えた気がした。普段のオーケストラの仕事は徹底的に意識的なものだ。常に周囲へのアンテナを張り、その時々の自分の役割を把握し、一つの歯車としての仕事を全うする。自由に弾ける部分はあまりない。それもおもしろいのだけれど。
暗譜で弾くのは全く違う世界だ。楽しかったなぁ。強制されるのは勘弁願いたいけれど、また暗譜しよう。今度は6月末のアルペジョーネ・ソナタ(終楽章がロンド形式でぐるぐる回り、実に覚えにくい)と、昨年覚えきれなかったチャイコフスキーの奇想的小品を(学生時代は平気だったのに)。
今日はオペラは休みで、昼前に横浜の本町小学校でのアウトリーチ。「銀河鉄道の夜」に基づく大窪晶さんの朗読に僕のチェロで音楽をつけた。初めてお会いした大窪さんとはわずか数時間一緒に仕事をしただけ、でも仕事の仕方や姿勢など、はっとすることがたくさんあった。
(NPO法人SEED of ARTS のfacebookに掲載されています。https://www.facebook.com/pages/NPO法人-SEED-of-ARTS/611757598909860)
いったん帰宅し、プールで体をほぐしてから待望の映画へ。「ゼロ・グラビティ」http://wwws.warnerbros.co.jp/gravity/#/home
このところ規模の小さな単館上映を見ることが多く、シネマコンプレックスに入るのは久しぶりだった。最新鋭の3D上映でチケットは高かったけれど、絶体絶命の連続に手のひらは汗をかきっぱなし、せっかくのポップコーンを食べるゆとりはほとんどなかった。うぅむ、恐るべし無重力。最後の方で詰めの甘い感じはしたけれど、これまで見たことのない映像に圧倒された。いったいどうやって撮ったのだろう。もし自分が宇宙服を着て宇宙空間にいたら、世界はこんな風に見えるのか。
盛りだくさんの一日は楽しかった。さぁ、明日からもがんばろう。
今日は夜のオペラの前に、来月の演奏会のリハーサル。一月ぶりのピアノトリオは伸び伸びと楽しかった。
演奏会のお知らせです。
3月2日15時開演、場所は仙川のせんがわ劇場。今日初めて音を出しましたが、演劇用の小さなスペースは居心地のよいところでした。プログラムはチャイコフスキーの「偉大なる芸術家の思い出」と、小品です。
500円/全席自由・事前予約制
予約・問い合わせ:調布市せんがわ劇場TEL.03-3300-0611
安比高原に行った時は、雪は美しいと思ったけれど。いざ東京が大雪に見舞われると大変だった。
先週からオペラ「ドン・カルロ」のリハーサルが始まり、明日から4回の本番がある。
パート譜にガイドとして記されているイタリア語の歌詞と、日本語字幕を見比べると、うーむなるほど、と思うことがある。イタリア語がわかったらきっとずいぶん世界が広がるはず。昔初めてイタリアに行った時、イタリア語なんて英語の親戚だろう、くらいに思っていたら、まったくわからなかった。(本当にお粗末な話だ。)
実は今度の4月からラジオのフランス語講座に再挑戦するつもり。前回は4か月くらいで挫折してしまった。その後はイタリア語を頑張ってみようか。音の感じはイタリア語が一番好き。
イタリアといえば、今月号のナショナルジオグラフィック誌にフィレンツェの有名な大聖堂の建設の歴史が取り上げられ、とても興味深い。http://nationalgeographic.jp/nng/article/20140123/381101/
詳しいことは知らないけれど、500年くらい前、フィレンツェとシエナはトスカーナ地方の覇権を争っていたはずで、どちらの街にも素晴らしい大聖堂がある。フィレンツェのドゥオモは外観は圧巻だけれど、中に入るとがらんどうのようだった。同誌の記事を読んだ今、そのドームの壮大さがよくわかる。一方、シエナのドゥオモは小ぶりだけれど、白と黒の石を交互に積んだ縞々の外観も、内部の床(石で見事な模様が築かれている)も壁も、それから天井の深い青色も本当に好きだった。
帰宅したらテレビで昨年のウィーン・フィル来日公演(ティーレマン指揮でベートーヴェンの8,9番)の模様が放映されていて、そのまま最後まで見てしまった。第九は合唱もウィーンから連れて来ていた。楽器はもちろん、おそらくチェロの人たちが座っている椅子まで運び、大変な規模のツァーだったのだと思う。圧倒的だった、すごかったなぁ。
先月岩波文庫から文語訳の新約聖書が出版され読んでいる。聖書を読んで、こういう言い方は適当ではないかもしれないけれど、ものすごくおもしろい。今はルカ伝の最中。これまでマタイによる福音書と黙示録には目を通したことはあった。でも以前読んだ時とは全く別の書物のようだ。有名なマタイ伝の言葉から。
『「目には目を、歯には歯を」と云へることあるを汝ら聞けり。されど我は汝らに告ぐ、悪しき者にてむかふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。』
『野の百合は如何にして育つかを思へ、労せず、紡がざるなり。されど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。』
昨晩スタイナー・ラクネスの動画を探していて見つけたのはたくさんのボビー・マクファーリンの動画。見ているこちらが自然と笑顔になってしまう。大変な才能だ。僕の好きなアルバム「アパラチア・ワルツ」のメンバー(ヨー・ヨー・マ、マーク・オコーナーのヴァイオリン、エドガー・メイヤーのベース)と共演しているものがあった。
http://www.youtube.com/watch?v=GczSTQ2nv94&list=RD4boy-eXQBHg
こちらは2人の声だけで、即興だと思う。こんなことができてしまうんだなぁ。
http://www.youtube.com/watch?v=4boy-eXQBHg
今日もまたたくさん雪が降り、映画には行けなかったけれど、しばらく前に頼んでおいたCDが届き聴いている。(Steinar Raknesの「Stillhouse」というアルバム http://www.youtube.com/watch?v=gP8CotCXEQ8 )
外が寒く雪が降っていても、部屋が暖かくて温かいものを食べられたら幸せだ。そう、ヴィヴァルディの有名な「冬」の第2楽章のような。
時々教えに行く大学オーケストラでは、彼ら彼女たちが卒業旅行を控えているということもあって、若者たちにどんなところに行くのか聞いたりする。実際にはなかなか出かけられなくても、話を聞いて想像をふくらませることは得意だ。
先日の衛星放送ではアルゼンチンのブエノスアイレスが映った。本当に外国という感じがした。昨年ポルトガルに行った人に聞いたら、いいところだったらしい。うむ。
新聞に兵庫県立美術館で開かれている「ポンピドゥー・センター・コレクション フルーツ・オブ・パッション」展が紹介されていた。おもしろそう。
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1401/index.html
とても残念なことに東京に巡回することはないそうだ。でも、パリにはなかなか行けなくても神戸なら・・・。国内の美術館では金沢21世紀美術館にも行ってみたい。
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=30&d=7
カメラ1台と最小限の荷物で時間も決めずまず金沢に行き(雪景色だろうか)、美術館などを見て1泊。翌日神戸へ、という旅なんていいなぁ。
明日は映画を観に行くつもりだけれど、また雪の予報。やれやれ。
この冬は本当に寒い。
先日見たカザルスのポートレートやモルクの映像が強く印象に残っていて(1月29日の日記をご覧くださいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-048f.html)、今も弾く時は彼らの左手を意識する。
写真を見る限り、カザルスは左手指のかなり深いところで弦を押さえていた。指の腹で弦を押さえるのはゆったりとした旋律を弾く時に効果的、と思っていたけれど、もしかして技巧的なパッセージにも実はいいのではないかと思い、チャイコフスキーの小品やアルペジョーネをさらっている。
チェロを弾くのは尽きることがなく楽しい。小さい頃は練習するのが本当に嫌いだった。今はどんなに遊んでも決して飽きることのない、愉快で正直なおもちゃのようだ。
「移動祝祭日」を読み終わった。晩年のヘミングウェイが、若かった頃、パリでの作家修業時代を回想して書いた本だ。表面は落ち着いた透明な調子で書かれている。でもその下には生々しく血が流れていて、胸を衝かれるようだった。生きていくとはどんなことだろうか。本を閉じても、しばらくはいろいろなことが手につかなかった。
昨日、横浜への行き帰りに読んでいたのは本書の後半、スコット・フィッツジェラルドとの交流を扱ったくだり。とても興味深かった。「グレート・ギャツビー」をもう一度読み返してみたくなった。
「移動祝祭日」の中の、「スコット・フィッツジェラルド」という文章から。
『彼の才能は蝶の羽根の鱗粉が綾なす模様のように自然だった。ある時期まで、彼は蝶と同じようにそのことを理解しておらず、模様が払い落されたり、損なわれたりしても、気づかなかった。のちに彼は傷ついた羽根とその構造を意識し、深く考えるようになったが、もはや飛翔への愛が失われていたが故に、飛ぶことはできなかった。残されたのは、いともたやすく飛ぶことができた頃の思い出だけだった。』
昨日の大雪にもかかわらず、「外交官の家」での演奏会、多くの方々にお越しいただき本当にありがとうございました。
「外交官の家」で弾くのは2度目。床材や柱が十分に乾いた古い建物だからなのか、部屋が楽器の振動にすぐ反応してくれるようだった。
ヒンデミット、バッハ、コダーイというプログラムは、取り組んでみるとずっしり重く大きかった。でもがんばってよかった。自分のぎりぎりのところまで行けてよかった。また行こう、もう少し遠くまで行こう。
本番は、始まるとあっという間に終わってしまった。あっという間に終わる本番はいい本番のはずなのだけれど、あっという間に終わってちょっと残念だった。もう少し弾いていたかったなぁ。
コダーイの無伴奏を弾いておもしろいのは、下2本の弦を半音ずつ下げてそれぞれシ♮、ファ♯にするので、普段と違い、ハイポジションのシ♮やファ♯、ド♯が柔らかくよく伸びるようになること。全曲を通してシ・レ・ファの和音が常に支配しているから、広い音域で大きな音程の跳躍をするのは易しいことではないけれど、その響きの中にうまくいられるように振る舞えば、ずっと楽に純度の高い音の世界にいられることが、ようやくわかってきた。
バッハとコダーイの通し稽古をしてから品川のキャノンギャラリーSへ。ヘミングウェイ流に、上手に音楽のことから離れるようにしてみた。出かけている間は、潜在意識の中で様々なことが起きているに違いない。
(2月4日の日記をご覧ください http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-e214.html)
キャノンギャラリーSでは「北井一夫写真展:COLORいつか見た風景」が始まったばかり。
http://cweb.canon.jp/gallery/archive/kitai-color/index.html
昨年見た北井さんの2つの写真展(ギャラリー冬青、東京都写真美術館)はとても印象的だった。今回はカラーフィルムを使ったもの。僕は白黒写真の方が好きだった。白黒の方が何かがはっきりしている。
それからラボテイクに行き、先日の安比高原、郡山で撮ったフィルムを出した。現像の上がってくるのが本当に楽しみ。
山手線のホームで、雪かき用だろう、新品のスコップを2本担いだ若い男の子を見かけた。大雪にならないといいのだけれど。明日、目が覚めたら外は真っ白だろうか。
夜はヒンデミットの通し稽古。
明後日9日横浜での演奏会、まだ少し席にゆとりがあります。皆さまのお越しを心よりお待ちしております。(明日、雪の予報が出ていてちょっと心配なのですが)
2月9日(日)18時開演(17時30分開場) 横浜山手西洋館 外交官の家(定員50名)
ヒンデミット:無伴奏チェロのためのソナタ Op.25-3
バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番
コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ Op.8
3,000円 休憩時ワンドリンク付き
申し込み:外交官の家 045-662-8819
問合せ:NPO法人 SEED OF ARTS 070‐6650‐2712
http://www2.yamate-seiyoukan.org/yamate-arts/2014/
今日は広い部屋で、僕としては長い時間さらった。
ずいぶん前、ピアノのシューラ・チェルカスキーが来日時のインタビューで(彼はその時90歳近かったと思う)、練習は一日3時間、それ以上は必要ない、と言ったことをよく覚えている。その時はこんなに上手な人が3時間しか・・・、と驚いた。
今、彼の言おうとしたことは少しわかるような気がする。同じことを繰り返し練習することはもうほとんど意味がなく、より広い所へ、より高い所へ行くためのきっかけとなる何か、つまずきとなる技術的な何か、あるいは音楽を司る心の何かを変えることが必要なのだと思う。その練習の前と後とでは別人になれるような。
いつも誰か他者が聴いている室内楽とは異なり、一人で弾く時は、自分のことを完璧に把握できる人は別として、録音して聴きながらさらうことが必要だと思う。それは僕には楽なことではないけれど、自分の録音を聴いても、以前ほどひどく落ち込むことはなくなった。
しばらく前の毎日新聞書評で紹介されたヘミングウェイ著「移動祝祭日」(新潮文庫)、本屋に行く度に気にしていたのだけれど、なぜかいつもなかった。
郡山に行く日、駅構内にある比較的大きな書店に入ったら、やはりなく、文庫本のコーナーにいた若い店員に「ヘミングウェイの移動祝祭日はありませんか」と尋ねたら、結局端末で探してくれることになった。ところが思いのほか時間がかかり、「一致するものがありません」と見せてくれた検索結果は、書名欄に「ヘミングウェイ ・・・」と入力してあった。
僕の説明がまずかったのだろうか。本を取り巻く環境は厳しい。数年前、池袋の大型書店で、僕が書名を忘れてしまった本を、店員が見事に探し当ててくれた時は感激したのだけれど。
郡山のジュンク堂で「移動祝祭日」を見つけた。その中から。
『いったん書くのをやめたら翌日また書きはじめるときまでその作品のことは考えないほうがいい、ということに思い至ったのも、その部屋で修業を重ねているときだった。そうすることで、目下の仕事のことは自分の潜在意識に受け継いでもらい、私はその間、他の人たちの話に耳を傾けたり、森羅万象の観察に努めたりすることができるだろう。学ぶことができるだろう。そして目下の仕事のことを考える余地がないように読書をして、しばし仕事から手を引くのだ。いい仕事をして、それも、不断の努力に加えて幸運をも必要とするような仕事をやりとげて、階段を降りていく気分は格別だった。そのあとは、パリのどこを歩きまわろうと自由だったのだから。』
郡山でのアウトリーチ、今日は橘小学校、芳山小学校を訪れ帰京した。
毎回子供たちの質問を受けるようにしていた。「どうして弦は4本なのですか?」と聞かれた時は、はっとした。子供はすごいなぁ。小さい頃からチェロを弾いてきた頭では考えもしなかった。僕もそんな自由な心を持っていたい。