「移動祝祭日」
「移動祝祭日」を読み終わった。晩年のヘミングウェイが、若かった頃、パリでの作家修業時代を回想して書いた本だ。表面は落ち着いた透明な調子で書かれている。でもその下には生々しく血が流れていて、胸を衝かれるようだった。生きていくとはどんなことだろうか。本を閉じても、しばらくはいろいろなことが手につかなかった。
昨日、横浜への行き帰りに読んでいたのは本書の後半、スコット・フィッツジェラルドとの交流を扱ったくだり。とても興味深かった。「グレート・ギャツビー」をもう一度読み返してみたくなった。
「移動祝祭日」の中の、「スコット・フィッツジェラルド」という文章から。
『彼の才能は蝶の羽根の鱗粉が綾なす模様のように自然だった。ある時期まで、彼は蝶と同じようにそのことを理解しておらず、模様が払い落されたり、損なわれたりしても、気づかなかった。のちに彼は傷ついた羽根とその構造を意識し、深く考えるようになったが、もはや飛翔への愛が失われていたが故に、飛ぶことはできなかった。残されたのは、いともたやすく飛ぶことができた頃の思い出だけだった。』