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2014年3月15日 (土)

普段のふるまいと

 

一昨日のピリスのリサイタル、彼女は舞台に現れてお辞儀をし、ピアノの前に座るとすぐに音楽が始まった。そのことがとても印象的だった。普段のふるまいとピアノを弾くことの間に境がない様子だった。チェロのペレーニもそうだった。楽器を構えることがなく、すぐに演奏が始まる。心と楽器を弾くことの間に隙間がない。昨日、横浜のフィリアホールではペレーニのリサイタルがあり、当初予定されていたフランクのソナタはアルペジョーネ・ソナタに変更されたそうだ。そして素晴らしかったそうだ。

確かにピアノは手を伸ばせば弾く体勢になっている、という良さはある。僕はチェロを持って舞台に出ると、椅子の高さやエンドピンの長さが気になってもぞもぞごそごそ、そして弾く前には意を決して・・・、という作業が要る。もうそろそろそういう落ち着きの無さからは卒業しよう。

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今日は東京芸術劇場でマーラーの9番を弾いてから、月末に演奏会のある新曲のリハーサル(3月31日東京文化会館小ホール)。大編成のオーケストラの後にオーボエとチェロというシンプルな編成の、しかもシンプルな曲を弾くのはなかなか新鮮だった。この初めてのリハーサルには作曲者の栗林さんも立ち会った。彼はオーボエという楽器を知るためにリコーダーをオーボエに見立てる工夫をしていた。これにはオーボエの大植君も僕も感心した。

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もちろん楽器の特性はよく理解してほしいとは思うけれど、一方、作曲家の無謀とも思える試みで楽器の奏法が飛躍的に向上してきた歴史がある。オーケストラのレパートリーでは、そんな無茶な、ということはよくある。100年近く前、コダーイの無伴奏を初演した人は不可能と思わなかっただろうか。フルニエがプーランクにチェロソナタを委嘱して、実際にその出来上がりを見た時は驚かなかっただろうか。2曲とも今やすっかりチェロのレパートリーだ。

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