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2014年4月

2014年4月30日 (水)

風のホール

午前中、都響の室内楽で三鷹市芸術文化センター、風のホールへ。
このホールは開館時から知っていて(96年だったと思う)、響きはあるけれど、音が硬くてちょっと難しいホールと思っていた。10年ぶりに訪れたホールは、よく響く弾きやすい場所だった。ホールも人間も変わったのだろうか。(写っているのはヴァイオリンの山本翔平君)

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午後は写真美術館で開かれている「101年目のロバート・キャパ」展へ。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-2149.html
写真の素晴らしさは言うまでもなく、プリントも美しく、見事な展示だった。キャパの写真は人生の重さと、それに対する共感、温かさ、ユーモア、愛情にあふれている。5月11日まで、お時間のある方は是非。

夜、FMをつけたらピアノのシプリアン・カツァリスの演奏が流れている。
10年以上前、カツァリスが風のホールの室内オーケストラで、確かモーツァルトの協奏曲を弾いた時のこと。ゲネプロと本番の間に僕が舞台でさらっていたら、彼が現れて、舞台にあるピアノに向かった。チェロを弾くのを止めたら、「気にしないで、君も練習するし僕も練習するし」というようなことを言って、ふたを閉めたままピアノを弾きはじめたことを思い出した。

2014年4月28日 (月)

映画「ワールズ・エンド」へ。http://www.worldsend-movie.jp/
前半は実に気持ちのいいテンポで進み、期待通りの愉快さだったのだけれど、後半話しの風呂敷を広げたあたりからなんだか力が薄まってしまった。うぅむ。

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先日観たのは「世界の果ての通学路」。http://www.sekai-tsugakuro.com/
子供たちの明るいたくましさにこちらも笑顔になる。ただ、とてもとてもよくできているので、全てが素なのだろうか、と感じてしまった。勘ぐりすぎだろうか。とにかく、観終わって映画館を出た瞬間は、自宅まで歩けるような気がした。

これも先日、ギャラリー冬青での張照堂写真展「少年心影 Images of Youth(1959-1961」を見た。(もう終わってしまった)
http://www.tosei-sha.jp/TOSEI-NEW-HP/html/EXHIBITIONS/j_1404_chang.html
10代半ばから後半の撮影だそうだ。驚くほど成熟した眼だ。

2014年4月27日 (日)

新聞、雑誌から

日経新聞夕刊、米文学者越川芳明さんの4月25日の連載から。

『キューバの黒人信仰で司祭が行うイファ占いは、格言の宝庫だ。
 256通りある運勢のひとつには、「人間の体にとって魂とは、空を飛ぶ鳥の羽根のようなものだ」という格言がついている。
 いくら体が丈夫でも、魂が傷ついていると生きていけない、という意味で、心の大切さを述べたものだ。』

今日4月27日の毎日新聞書評、最相葉月著「セラピスト」を評した池澤夏樹さんの文章がとても興味深かった。その中から。

『ぼくには心は小さな窓がいくつか開いた家のように見える。ブラックボックスで、中の仕掛けはわからない。入ってゆくものがあって出てくるものがあるだけ。窓から覗いても内部の狭い範囲しか見えない。
 人のことを言っているのではない。自分の心もそういうものとしか思えないのだ。
 ・・・・・・
 絵画や箱庭の治療に効果があるのはそれが物語を紡ぐことだからか、という問いに中井(久夫)はそこには無理があると答えて、「言語は因果関係からなかなか抜けないのですね」と言う。
 描かれた絵を心の物語の挿絵にしてしまってはいけない。村上春樹は河合隼雄と親しかった。彼の物語はあちこちに謎が残る。ひょっとして彼は物語を書きながら因果関係を抜けだそうとしたのではないか。『ねじまき鳥クロニクル』を大がかりな箱庭療法・絵画療法の成果と考えるとつじつまが合うのだが。』

雑誌「Number」852号はF1ドライバー、アイルトン・セナの特集。セナの広報担当を務めたベアトリス・アスンソンの「ゆったりとした時間を生きている人」という文章から。

『彼らしさがわかるのは、この言葉ではないでしょうか。
「僕にはアイドルのように憧れる人なんていない。僕が認めるのは、その人がやった仕事についてなんだ。いかに仕事に専念し、そして戦ったのか。それが一番重要だと思う」』

2014年4月26日 (土)

affettuoso

クララ・シューマンからブラームスへの1863年7月10日の手紙の中にこんな文章がある。

『・・・作品26のイ長調の四重奏曲には、キルヒナーも私も魅せられて、二度ばかり家でお客の折に演奏しました。二度ともルビンシュタインが聴いてくれましたよ。私にはまったく素晴らしい作品だと思われました。仰せのようにト短調より立派で、音楽的にも意味深く、第一楽章はずっと完成しております。』

ブラームスのピアノ四重奏曲は、手紙で言及されているト短調作品25とイ長調作品26、それからハ短調作品60がある。現在演奏される頻度は、おそらくト短調(わかりやすいし、後にシェーンベルクが管弦楽に編曲している)が多く、それからハ短調(第3楽章はチェロ・ソナタのように始まる。その上向きの分散和音を聴くといつも、第1番の交響曲、第2楽章の有名なヴァイオリン・ソロを連想してしまう)で、イ長調はあまり演奏されないような気がする。

CDの棚からイ長調の四重奏を出してきて聴いたら、いい曲だ。楽譜は見たことがないけれど、冒頭にはaffettuosoという楽語がぴったりする気がした。

2014年4月25日 (金)

もう一つの収穫は

新宿から中央本線の特急に乗った。大月あたりまで新緑の美しさに感心し、少し眠って目を覚ましたら、桜の花が見えた。八ヶ岳山麓はちょうど満開だった。小淵沢で下車、中村キース・ヘリング美術館へ。http://www.nakamura-haring.com

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照明や展示室の奥行き、傾斜を巧みに用いた見事な展示だった。これは一体何だろう、というグロテスクなものはあったけれど、陽気なキース・ヘリングの作品に囲まれて楽しかった。
ただ、遠方に足を伸ばしたにしては、館内を2周してもすぐに展示を見終わってしまい、好天の下、八ヶ岳や南アルプス、赤松の林、桜を見ながら、駅までゆっくり歩いた。途中、道の駅こぶちざわでカツ丼。(ところで、道の駅に徒歩で行く人はあまりいないかもしれない。)

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もう一つの収穫は、昨年春やはり中央線に乗った時、駅舎近くに桜があり甲府盆地を眼下にする絶景をねむけまなこで見、それがどこだったかずっと気になっていたのがはっきりしたこと。勝沼ぶどう郷駅。来年写真を撮りに来ようか。

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2014年4月24日 (木)

田代島の猫

田代島は昔から猫を大切にしてきたそうだ。島の中央には猫神様がある。猫たちはとても穏やかな顔をしている。(それぞれの写真をクリックすると大きくなります)

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1匹の写真を撮っていると、いつの間にか背後にも他の猫たちが現れていて、ということがよくあった。猫の写真に夢中だった10年以上前、湘南の江ノ島や大磯港、城ケ島の猫たちはこんなだったような気がした。丸々として幸せそうな江ノ島のあの猫たちはどこにいってしまったのだろう。

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久しぶりにジーンズに猫の毛が付いた。よく見るとそれぞれの猫には生活やたたかいの痕がある。

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夕方、網地島ラインの船が仁斗田港に停泊するのを猫たちは待ち構えている。

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えさをもらえるからだ。

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2014年4月23日 (水)

田代島

 

仙台からは高速バスで石巻へ。地震から3年たってもJR仙石線には運転見合わせ区間がある。3年ぶりに訪れた石巻は瓦礫の山はなくなり更地が広がっていた。(2011年7月11・12日の日記をご覧ください http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-d571.html
この春も変わらず咲く花の白さに地震からの時間を思った。人口が減り、しかも大都市への人口流入が進む中、復興はどのように・・・。
石巻から網地島ラインに乗り、1時間弱で田代島へ。

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田代島に行こう、と心に決め民宿に電話したら、1軒目は月末まで営業しない、と言われ、2軒目はその日お父さんが病院だから・・・、と言われ、3軒目も駄目だったら諦めよう、と思っていた。

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島には仁斗田と大泊の、2つの集落がある。大泊は本当に小さい集落だった。それ以外の場所にはあまり建物はなく、島の南半分を歩いたらひたすら道、道、道だった。

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民宿に僕以外の宿泊客はおらず、とても静かだった。高名な名所旧跡を訪れるのも旅だと思う。でもいつもの生活を離れ、知らない場所の知らない時間の流れに身をゆだねることも旅の醍醐味と知った。

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2014年4月22日 (火)

今日は響く場所でさらった。まぁ、悪くないところもあった。でもちょっとへこんでいる。

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2014年4月21日 (月)

新しい弓毛


今日は毛替えに。
1年以上毛替えしていなかった弓を久しぶりに使ったら、はて、こんな硬い弓だったか、と思った。毛のひっかかりが少なくなってきたら歯ブラシで、という奥の手がある。(2012年1月19日の日記をご覧ください。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-c4ab.html
でも消耗して失われた弓毛の弾力はいかんともしがたいのかもしれない。新しい毛にしてもらったら、音も手元の感触もしっとりした。

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最近、弓を使うことに革命的な変化があった。いつも動いている弓は、全体のバランスは崩れていた方が具合が良く、だからしっかりと弓を保持する必要はまったくない。弓は持たずに、ただし、弓毛と弦が接する場所は常に理想の条件を保つように、不動の一点として意識する、・・・。
その革命的な進化は必ずや音に表れているに違いない、という希望的観測は先日の録音で見事に裏切られた。明日もう一度挑戦する。さて。

2014年4月20日 (日)

空の虱

少しさらってから立川へ。復元された古い飛行機を見に行った。
http://www.tachihi.co.jp/ap_public/
先日オープンして話題になった北欧大型家具店と通りをはさんだ向かい側に2機の飛行機はあった。もちろんIKEAほどではないけれど、こちらもなかなかのにぎわいだった。

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大きい方がR-53、小さくて丸いのが「プー・ド・シェル(空の虱)」と呼ばれるR-HM。R-53の尾翼に近い胴体にはジッパーで開け閉めする部分があり、方向舵や昇降舵を操作するワイヤのメンテナンスをしやすいようになっていたり、R-HMには軽自動車のような小さなエンジン(最高速150km)と、軽自動車よりずっと狭い2人乗りの操縦室、手で押せば簡単にしなりそうな翼、など、ほのぼのしてくるようだった。(実際の操縦は難しかったらしい)

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常設は難しくても、時々公開してくれたら。

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2014年4月19日 (土)

再び心して

今ちょっとした充電期間。今日は広い部屋で様々なことを試し、それを録音しながらさらった。このところ楽器の調子も良く、人間もかなり良くなったつもりだった。ところが。 倍音を多く含んだ感じが小さな録音機には入らない。そこから聞こえてくるのは止まったような音だ。録音を聴いた後、楽器を弾くと、いやそんなに悪くないのに・・・、ということを繰り返した。素晴らしい音が機械に入りきらないのだ、と思いたいけれど、実際は僕がボンクラなのだろう。うむ、明日から再び心してさらおう。

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2014年4月18日 (金)

心洗われる

20代の頃、2年に1度は室内楽を習っていた先生が日本にいらしていて、レッスンの聴講に出かけた。
聴いたのはシューベルトのピアノソナタD960(何度聴いてもいい曲だ)とプーランクのチェロソナタ。受講生は当時からの生徒が多い。先生も生徒も皆、年を重ねたけれど、その分音楽はそれぞれにとってより切実なものになり、そして先生と音楽の素晴らしさは変わっていなかった。やっぱりこうだった、ということがあった。心洗われる時間だった。

2014年4月15日 (火)

いいことづくめ

昨日写真展を二つ見た。一つは最新のデジタルカメラで、もう一つはフィルムの時代に撮られたもの。撮影機材の進歩はものすごく、以前では考えられなかったような高感度や高解像度、速いオートフォーカスが可能になっている。でも僕に魅力的に見えるのは昔の写真のことが多い。

先月末からこの日記に写真を多く載せているのは、久々に物欲が爆発して新しいデジタルの一眼レフを買ったため。見やすいファインダーときびきびした動作、安定したホワイトバランス、3200くらいならまったく問題のない素晴らしい高感度、・・・。でもだんだん満たされない何かがあらわになってくるから不思議だ。気持ちが写る、というその緊張感だろうか。フィルムの残量を気にすることも交換も不要、空港でのX線検査を気にすることもなく。いいことづくめなのだけれど。

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2014年4月14日 (月)

手のひらの中に

シューベルトのD960のソナタの楽譜を求めに出かけた。銀座のヤマハでピアノ・ソナタの楽譜を買うのはちょっと気恥ずかしかった。
ただ聴くのと、楽譜を見ながらとは全く違う。チャーミングなモチーフは少しだけ変化して、もし制約がなければどこまでも転調が続いていきそうだ。もし流暢にピアノが弾けたなら、こんな曲は時間を忘れていつまでもさらっていそうだ。まるで手のひらの中に宝物があるような感じだろうか。
「冬の旅」やこの美しいソナタを書いてほどなく、シューベルトは短い生涯を終えた。そのことを思うと胸がいっぱいになる。

2014年4月13日 (日)

今日も東京文化会館で本番。

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ちょっとゆっくりしよう。

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2014年4月11日 (金)

新緑

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新緑の美しい季節になった。僕の好きな季節だ。

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2014年4月10日 (木)

倍音の列に

今日からの仕事はマーラーの「復活」も部分的に演奏する。昨晩、「復活」の歌が入る部分を聴いていて、思い当たることがあった。(バーバラ・ヘンドリクスのソプラノ、クリスタ・ルートヴィヒのアルト、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル)
声も楽器も様々な原理で音を発する。でもその種火のような音を、何かを共鳴させて大きくすることは同じ。共鳴させることにあまり力は要らない。妨げず、共鳴体をできるだけ伸びやかに振動させ続けること。そのためにはきっと音程も大切だ。倍音の列にうまく音程が並ぶように。
このところずっと弾き詰めでちょっと体に疲れがたまり始めたから、帰宅してからはさらわなかった。せっかくおもしろくなってきたところなのに、ちょっと残念。

時間が空いたので、以前少し読みかけただけで本棚に眠っていた「クララ・シューマン ヨハネス・ブラームス 友情の書簡」を出してきた。手紙がほとんど唯一の、大切な通信手段だった時代に比べ、高性能なスマートフォンを持つ現代は、幸せになっただろうか。

1855年2月3日、ブラームスからクララ・シューマンへの手紙。

『・・・・・ 胸の想いを紙に写すことが、僕の場合はきわめて稀なことを、もうなんとたびたび申し上げたことでしょう。作曲の場合も同様で、どんなに稀にしか書かぬかあなたはご存じです。僕は求めている音にゆきあたらず、長い間考え感じています。そしてどんなに心の中で温められても、どうしたわけか心から溢れないのです。
 だから何かお慰めするよいことが書きたく、書簡箋を前にしばしば座りますが、いまだに成功したことがありません。文字は音符のように取り扱えないのです。』

2014年4月 9日 (水)

「ダブリンの時計職人」

映画「ダブリンの時計職人」(原題Parked)へ。
http://uplink.co.jp/dublin/
青やグレーを基調とした画面の映画にすっかり入り込んでしまい、見終わって映画館の外、春の日射しがまぶしい街に出てもなかなか現実に戻れなかった。甘さはなく、いい映画だった。

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映画の世界から現実に戻っていく時、雑誌「MONKEY Vol.2 SPRING 2014」に掲載されている村上春樹さんの小説「シェエラザード」の一節を思い出した。
http://www.switch-store.net/SHOP/MO0002.html

『・・・ どんな種類の話であれ、彼女が話すとそれは特別な物語になった。口調や、間の取り方や、話の進め方、すべてが完璧だった。彼女は聴き手に興味を抱かせ、意地悪くじらせ、考えさせ推測させ、そのあとで聴き手の求めるものを的確に与えた。その心憎いまでの技巧は、たとえ一時的であるにせよ、聴き手にまわりの現実を忘れさせてくれた。頭にこびりついているいやな記憶の断片を、あるいは思い出したくない心配事を、濡れた雑巾で黒版を拭うようにきれいに消し去ってくれた。・・・』

2014年4月 8日 (火)

昼間、恵比寿に寄ったら枝垂れ桜が見事に咲いていた。

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夜は東京文化会館で本番。文化会館で演奏会がある時は、おもしろい落書きを一つは見つけよう。

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2014年4月 6日 (日)

旅に


日経新聞4月4日夕刊に掲載された越川芳明さんの文章から。

『友人によれば、キューバ政府はテレビやラジオ、新聞などのマスメディアには規制が厳しいが、本や雑誌はそれほどでもないという。部数が少なく、手に触れる人が圧倒的に少ないからだ。
 知識人たちは、口コミで良書が出たと知ると、たとえ自分で買っていなくても友達や知り合いから借りて読む。そんな「まわし読み」の文化が根づいている。だから、世界の情勢に疎いということはない。
 「旅は人を謙虚にする」と、述べたのは、フランスの小説家フローベールだ。旅によって、「世界の中で自分の占める位置がいかに小さいかを知ることができる」からだ。
 本の好きな人で、傲慢な人はいない。旅と同様に、本の世界もまた人を謙虚にする。』

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いつかハバナやそのもっと南、ブエノスアイレスに行ってみたいと思う。
中南米は遠くても、国内を旅行するなら、まず小淵沢にあるキースヘリング美術館に行き、それから金沢21世紀美術館、さらに舞鶴を経て伊根の舟屋を見、さらに足を伸ばして奈良の唐招提寺(高校の修学旅行以来だ)へ・・・、ちょっと頑張りすぎかなぁ。石巻の田代島にも行ってみたい。

2014年4月 5日 (土)

「長距離ランナー」

今都響に来ている指揮者はロシア系ブラジル人のロベルト・ミンチュク。ストラヴィンスキー、ヴィラ=ロボス、ラフマニノフというそれほどなじみのないプログラムは、実は彼にとって体に入った音楽、ということになる。プロフィールを見ると、ホルン奏者として1989年までゲヴァントハウスにいたそうだ。ベルリンの壁が崩れる前の、東側だったゲヴァントハウスにいたということは、もしかして僕の持っているCDの中にも彼のホルンの音が入っているかもしれない。

リハーサルの時、ミンチュクは「アナクルーシス」という言葉をよく使う。今まであまり聞いたことがなかった言葉だ。最初、人の名前かと思った。少ししてアウフタクト(アップビート、あるいは弱起)を意味することはわかった。はて、何語だろうと思ったら英語らしい。「anacrusis」。知らないことはたくさんある。

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ある人と小説の話しをしていて、村上春樹さんの執筆の仕方に話題が及んだ。そのことが掲載された雑誌「考える人」2010年夏号(ちょっと前です、1Q84が刊行された後)のインタビューから。

『・・・・
村上 習慣はすごく大事です。とにかく即入る。小説を書いているときはまず音楽は聴きませんね。日によって違うけれども、だいたい五、六時間、九時か十時ころまで仕事します。
 
 ― 朝ごはんは食べずに。
村上 朝ごはんは、七時ころチーズトーストみたいなのを焼いてちょっと食べたりするけど、時間はかけない。

 ― あとはひたすら書いているのですか。
村上 そうですね。だれとも口をきかないで、ひたすら書いています。十枚書くとやめて、だいたいそこで走る。

 ― 十枚というのは、四百字づめの原稿用紙に換算して十枚。
村上 そう。僕のマックの書式だと、二画面半で十枚。書き終わると、九時から十時くらいになります。そうしたら、もうやめてしまう。即やめる。

 ― そこから先は書かないんですね。
村上 書かない。もう少し書きたいと思っても書かないし、八枚でもうこれ以上書けないなと思っても何とか十枚書く。もっと書きたいと思っても書かない。もっと書きたいという気持ちを明日のためにとっておく。それは僕が長距離ランナーだからでしょうね。だってマラソン・レースなら、きょうはもういっぱいだなと思っても四十キロでやめるわけにはいかないし、もっと走りたいからといってわざわざ四十五キロは走らない。それはもう決まりごとなんです。

 ― たとえば青豆と天悟の章が交互に出てくるBOOK2で、青豆とリーダーの対決のシーンが終わったところが、その日の六枚目だとしても、つぎの章を四枚書くわけですか。
村上 もちろん。

 ― 内容で区切るということにはならないんですね。
村上 ならない。つけ加えると、翌日は前の日書いた分の書き直しから始めます。前の日に十枚書いた分を頭から直して、それからつぎに続ける。でもそんなにぐしゃぐしゃには直しませんよ。だいたいそろえるぐらい。関係をつけ加えたり、削ったりして、流れをよくする。本格的な直しは第二稿以降でやりますから。前日の直しの流れにのって、新しいところに行く。』

2014年4月 4日 (金)

休園日はきっと

休みの日にも上野に行くのはなんだか気がきかないけれど、上野動物園へ。動物たちの顔が見たくなった。

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僕たちは動物を見に動物園に行く。でもそれ以上に動物に見られている気がする。動物たちはものすごく人間を意識しているように見える。

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休園日はきっと、緊張感なくぐずぐずしているのでは、と思ったりする。

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動物園の後は、銀座リコーイメージングスクエア銀座へ。写真展「Landscape」。
http://www.ricoh-imaging.co.jp/japan/community/squareginza/schedule/event_detail_11.html
フランコ・フォンタナの写真を見るのは初めて。やっぱりフィルムで撮った写真はいい。粒子の感じも、今のデジタル画像を見なれた目にはかなりくすんで見える発色も好きだった。

夜は明日から始まるラフマニノフの1番の譜読み。2番の交響曲は弾いたことがあった。ふむ、1番。終楽章に2箇所ちょっと理不尽なところがある。バスでも旋律でもなく、間を埋める役割だ。ラフマニノフのチェロソナタを弾く時、どのピアニストも悲鳴をあげる。その気持ちが少しだけわかる気がした。演奏会の前半はストラヴィンスキーの小組曲第1番、ヴィラ・ロボスのモモプリコシ、知らない曲ばかりだ。

2014年4月 3日 (木)

サントリーホールで本番。アークヒルズ近く、榎坂の桜を楽しみにしていたら、今日は雨。

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雨が降り続き、伊豆大島では避難指示、避難勧告が出されたそうだ。先日訪れた時、崩れた斜面の復旧はまだまだだった。大丈夫だろうか。

2014年4月 2日 (水)

事実は小説より

映画「あなたを抱きしめる日まで」へ。http://www.mother-son.jp/
事実は小説より奇なり、その重さに打ちのめされた。主演したジュディ・デンチの素晴らしさは言うまでもなく、すきのない作りだった。音楽はロンドン交響楽団。いい映画を観た。

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2014年4月 1日 (火)

すべらないバナナ

消費税が5パーセントから8パーセントに上げられた。
これからの少子高齢化社会、増えていく社会保障費をまかなうために税負担が大きくなるのは仕方ない、と僕は思っている。

先月成立した平成26年度予算、一般会計総額は過去最大規模の95兆8823億円。社会保障費は初の30兆円台、公共事業費は12.9パーセント増額。歳入は税収が消費税増税などで50兆円台、新規国債発行額は25年度当初予算に比べ3.7パーセント減の41兆2500億円。首相は3月20日の記者会見で「消費税増税による悪影響を最小限に抑え、できるだけ速やかに景気が回復軌道に戻るよう万全を期す」と強調した。(3月20日産経ニュースより)

足りないから増税するのに、どうして大きな予算を組んだのだろう。なんだか腑に落ちない。それだったら増税せずに歳出を削減すればいいのに。それともこれは今年度だけのことで、来年度以降はうまく機能するのだろうか。そして、予算の4割以上を借金(国債)に頼るこの国は大丈夫だろうか、と思ってしまう。
今日のニュースでは国債が買われ金利は低下、と伝えられた。でももし逆のことが起こり(ぞっとするような事態だ)金利が上がったら、日本は首が回らなくなる。

週刊現代3月29日号に掲載された投資家ジム・ロジャースのインタビューから。

『・・・日本はすでに先進国で最悪レベル、GDPの240%という財政赤字を抱えています。その額は1000兆円を超す巨額赤字にもかかわらず、安部首相がさらに借金を膨らませて無駄な橋や高速道路を作ろうとしているのは正気の沙汰とは思えません。
 今日本政府が取り組むべきは、チェーンソーを手に取って、無駄な財政支出をカットすることなのに、安部首相はなにを考えているのか、完全に逆行しているわけです。
 そこへきて、この4月からは消費税を5%から8%に増税するというのだから、クレイジーですよ。増税して得た予算は社会保障費の充実に使われるとされていますが、本当は無駄な橋や道路を作ろうとしているのでしょう。
 安部首相が借金に目をつぶっているのは、最終的に借金を返さなければいけなくなる時には自分はもうこの世にはいないから、関係ないということでしょう。そのツケを払うのはいまの日本の若者です。』

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あまり心配し過ぎると、しまいには道端に落ちているバナナの皮にすべって転んだら・・・、とまで考えるようになるかもしれない。2年前のエイプリルフール、イギリスのスーパーマーケットが世界で初めて「滑らないバナナ」を販売する、というものがあったそうだ。

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