『木の中に埋っているのを』
最初のうちは数ページ読むと、どうにも眠くなって仕方なかった。しかし後半、話が展開し始めるとおもしろく、一息に読み終えたのがS.シン著「フェルマーの最終定理」。
ピエール・ド・フェルマーが『私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない』というメモを添えた定理が、それから300年以上たって1990年代、ついにアンドリュー・ワイルズに証明されるまでの物語だ。
僕は中学生の頃、飛行機を設計する人になりたい、という無邪気な夢を持っていた。数学の出来があまりに悪くてその夢ははかなく消えたのだけれど、「フェルマーの最終定理」を読んで久しぶりに数学の世界にほんの少しだけ触れ(読むのに専門的な知識は必要ない)、その世界は確かに人を惹きつけるものだと思った。物として存在するわけではなく、人間の都合で変えられるものではもちろんなく、見事な証明ははっとするほど美しい。(幸か不幸か、音楽の世界は主観が少なくない割合を占める。)
その証明の過程を読みながら、夏目漱石が短編「夢十夜」の中で、仏師運慶が仁王を刻むことを書いた部分を思い出した。「第六夜」から
『「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。』
証明を成したワイルズの言葉から
『新しいアイデアにたどりつくためには、長時間とてつもない集中力で問題に向わなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです』