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2014年6月 8日 (日)

仙川へ散髪に。髪を切ってくれるKさんと、もし宝くじが当たったら、という話しになった。彼は、もしそうなったら、これまで欲しいと思っていたものは欲しくなくなるかもしれない、と言った。なるほど確かにそうかもしれない。
僕は行きたい時に行きたい所に行き(また旅に出たくなっている)、本をたくさんしまえる家に住みたい、と思う。

本屋へ。棚から棚へと歩きまわり、分厚い本を3冊。短いけれど旅の仕事があり、どのカメラを持って行くか、と同じくらい本も重要だった。今回のお供はずっと読みたいと思っていたガルシア=マルケス著「コレラの時代の愛」。帰りの電車で冒頭を開いたら、すぐに引き込まれた。素晴らしい映画の場面に魔法のように入ってしまうようだ。

今日読み終えたのはやはりガルシア=マルケスの講演集「ぼくはスピーチをするために来たのではありません」。その中の1993年2月18日、「ベリサリオ・ペタンクール、七十歳の誕生日を記念して」から。

『コロンビアは詩のおかげで、約半世紀遅れで二十世紀に突入しました。それは狂熱的な情熱であり、勝手気ままに動きまわって、いたるところに出没する火の玉のような生き物で、絨毯の下にゴミを隠そうとしてほうきで持ち上げると、詩がそこにいて、隠すことができず、新聞を開くと、経済欄や裁判関係のページの中に身を潜めていました。カップの底に残ったコーヒーはわれわれの運命を予言しますが、そこににも詩がいました。エドゥアルド・カランサはスープの中に潜んでいるのを見つけて《スープの湯気の中にいる家庭の天使を通して互いに見つめあう目》と書きました。ホルヘ・ローハスはみごとなグレゲリーアの遊び心に富んだ喜びの内に詩を見出しています。《人魚が両脚を開かないのは、鱗に覆われているからだ。》ダニエル・アランゴは完璧な十一音節の中に詩を見出し、百貨店のショーウィンドーに《存在の全的な実現(レアリサシオン・トタル・デ・ラ・エクステンシア)》と大急ぎで書きつけました。・・・・・』

ガルシア=マルケスは自伝「生きて、語り伝える」の続編にきっと取りかかっていた、と思う。それが読めなくなったことをとても残念に思う。

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