AからZへ
6月29日深夜に放送されたJ-WAVE、GrowingReedのゲストは佐藤雅彦さん。発想がおもしろく話にひきこまれた。
http://www.j-wave.co.jp/original/growingreed/contents/
彼は地下鉄有楽町線で桜田門駅のアナウンスを聞くと、「桜田門、さくらだもん、さくらだもん」から「うめじゃないもん、さくらだもん(梅じゃないもん桜だもん)」と連想したり、五反田駅では「ごたんだだったんだ」という音を思い浮かべてしまったりするそうだ。なるほど、ここから湖池屋「スコーン」やNEC「バザールでござーる」などのCMが生まれたのだ。
学校で教えている佐藤さんは方法論を書くようにしているが(方法論があれば、それを勉強すれば身につけることができる)、それは踏み台でしかない。そこから跳ばなくては、という話も興味深かった。AからB、BからC、・・・YからZ、ではなく、いきなりAからZ、のように。
少し前にサポルスキー著「サルなりに思い出すことなど 神経科学者がヒヒと暮らした奇天烈な日々」を読み終えた。http://www.msz.co.jp/book/detail/07832.html
半ば過ぎまでおもしろい。著者が石油を運ぶソマリ人のトラックに乗せてもらいケニアを目指すくだりは、椎名誠さんの近未来SFのようだった。読み進むにつれ、どうして深刻な状況をおもしろおかしく描いているのかがわかってくる。個人の力ではどうしようもない様々な事柄が押し寄せてくるからだ。
まもなく読み終えるのはボリス・シリュルニク著「憎むのでもなく許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜」。
http://www.yoshidapublishing.com/booksdetail/pg645.html
ユダヤ人精神科医である著者が、戦中だけでなく戦後に及ぶ自身の過酷な体験を読み解いていく。傷のない人なんていないと思うし、もしかして読むことによってパンドラの箱が開いてしまうかもしれないけれど、傷を負った人にすすめたい。
「サルなりに思い出すことなど」も「憎むのでもなく許すのでもなく」も、日本語訳が刊行されたのは最近、でもかなうことならもっと前に読みたかったと思う。「憎むのでもなく許すのでもなく」の中から。
『私は、あらゆることを詳細に覚えていたが、活発に暮らしている自分がトラウマに悩まされているわけがない、と信じこもうとしてきた。大人たちから「悪夢にうなされることがあるか」と尋ねられたときも、私は、夜はぐっすり眠っていると答えたように、自分は強い人間だと思いこんでいた。だが私は、単にそれを避けてきたのだ。前進することで逃れ、行動すること、夢見ること、恵まれた出会い、言ってはならないことを封印するためのおしゃべりなどによって、自己の殻に閉じこもっていたのだ。感情をよみがえらせることなど、耐えられなかっただろうし、私の話を信じない相手の疑り深い態度や無理解に、私は打ちひしがれた思いをしただろう。』
20年前の僕だったらクラシックかジャズ以外のCDを聴くなんて考えられなかったかもしれないけれど、今聴いているのはエド・シーランの新しいアルバム「X(マルティプライ)」。若い彼の歌にどうしてひきつけられるのだろう。
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