音の立ち昇り方に
日曜夜、別のものを見ていて(テレビ東京の住宅番組)気付くのが遅く、終楽章の途中からしか見られなかったのだけれど、ヨハネス・モーザーの弾くラロの協奏曲、上手だったなぁ(5月16日N響定期演奏会)。ちょっと時代が変わってきた気がする。指揮のヘスス・ロペス・コボスの二つの瞳を見て、ブルネロの目を思い出した。似ていると思う。
ハイフェッツの演奏をよく聴いている。1925年から34年の古い録音は手に取るように音が見える。音の立ち方、立ち昇り方に秘密があると思う。弓の毛と弦の噛み具合にきっと何かある。
僕は何本か弓を持っている。手に入れる時は、もうこれしかない、と思ってのことなのだけれど、しばらくすると?、ということはある。弓が変わるのか楽器が変わるのか、人間が変わるのか。数ヵ月間、惚れこんだようにその弓を使い、ある時はたと別の弓の良さに気付く。弾き方が変わるとその弓の別の面が見えてきてうれしい。それはつまり、相手の器全体を見ていなかったことになるのかもしれない。
レイモンド・チャンドラーの「さよなら、愛しい人」はあっという間に読み終え、今は「ロング・グッドバイ」に。版権で見ると2作の間には13年の開きがあり(「ロング・グッドバイ」が後で1953年)、その間に作家が変化したことがわかる。その変化も含めて、こんなにおもしろいものをころころ横になりながら読むのは本当に楽しい。
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