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2014年8月

2014年8月29日 (金)

世界の様相が一変して

先日アインシュタイン/インフェルト著「物理学はいかに創られたか」を読み終え、わかったようなわからないような僕は、ほんの少しでも相対性理論のことを理解したい、とジェームズ A・コールマン著「相対性理論の世界 はじめて学ぶ人のために」を読んでいる。今半分を過ぎたあたり。何だか大まかな感じはつかめるような気がするし、おもしろい。世界の様相が一変して見えるようだ。読み続けるのではなく、少し読んではぼんやりして、頭に入っていくのを待ちながら。
夜7時のニュースを見ると、毎日悲しい、いたましい、腹立たしい、理不尽な、そんなニュースばかりで、良い知らせは本当に少ない。ニュース番組を見るのをやめにしようかとも思う。でも、100年以上も前に一人の人間がこういうことを考えていた、というのは本当に驚くべきことだ。僕ももう少しがんばってみよう。

これ以上ドヴォルザークの協奏曲のCDは買わないつもりだった。それが少し前、タワーレコードの試聴コーナーにフルニエとチェリビダッケ指揮、というCDがあり、聴いたら予想通り素晴らしく、また1枚増えてしまった。悠然とスケールの大きなオーケストラと白熱したフルニエのチェロだ。ライヴ録音。フルニエのドヴォルザークは、クーベリック指揮ウィーンフィルとの1950年代の演奏も好きだ。ただ一つ残念なことは、途中で音質が急にこもること、違う条件で録ったテイクをつなげたのだろうか。
同じ1950年代には、若いロストロポーヴィチの録音もある。ターリヒ指揮のチェコ・フィルも素晴らしく、音楽の自然な流れから多くのヒントをもらえる。
そしてもちろんシャフランの録音を忘れてはならない。弓の毛がぴたりと弦に吸いつく魔術のような弓使いを、是非少しでも身につけたいと毎日さらっている。

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昨日、最初のドヴォルザークの練習だった。虎の門交響楽団の人たちと2年ぶりに会い、そして久しぶりに弾くドヴォルザークはのびのびして楽しかった。昨日の目標はとにかく暗譜で弾くこと。今日少しさらったら、ちょっと自分が変わったようだった。本番まで時間があるから、練習の都度ゆっくり試行錯誤できるのはうれしい。

2014年8月26日 (火)

胸のすくような

空気が入れかわり、東京は急に涼しくなった。

一昨日は久しぶりに東京都写真美術館へ。会期末の「原点を、永遠に。」
http://syabi.com/contents/exhibition/index-2252.html
を見てから、3階の「岡村昭彦の写真 生きること死ぬことのすべて」へ。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-2242.html

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ずいぶん前から昨日は釣りに行くつもりだった。けれど、局地的な雷雨という天気予報と、どんよりした空に方針変更、もう一日写真の日となった。新宿伊勢丹のショーウィンドウを見てから、銀座キヤノンギャラリーの「横木安良夫写真展:GLANCE OF LENS 2014」へ。
http://cweb.canon.jp/gallery/archive/yokogi-glance2014/index.html
それから六本木に足を伸ばし、IMAギャラリーで開かれている石川直樹写真展「Makalu」へ。
http://imaonline.jp/list/imagallery
ヒマラヤの8千メートル峰で撮られた写真には、胸のすくような強さと大きさがあった。今日釣りに行けなかったことはどこかに行ってしまった。

先日チェロアンサンブルの演奏会があり、ハイポジションを弾くことが多かった。生まれ変わったようなつもりでいたけれど、実際の舞台に上がるとなかなか思うようにいかず。まだまだだなぁ。
ドヴォルザークの協奏曲の、最初のリハーサルがせまってきたので、少しだけペースをあげてさらっている。よくさらったはずの曲は、右手も左手も、その組み合わせも、弾き方が変わったので、知らない曲に取り組んでいるような感覚だ。毎日弾く度に頭の中が少しずつ組み変わっている。少しずつ、でも確実に変わりつつあると思う。秋の終わりにある演奏会では、これまで見たことのなかった世界が見えますように。

リルケ著「マルテの手記」の中の一節を思い出した。
『僕はもう書いただろうか? 僕は見る目ができかけている。そうである。僕は目が開き始めた。まだ少々おぼつかない。怠らずに修行しよう。
 たとえば僕はきょうまで、だれもがいくつもの顔を持ち合わせていることに気がつかなかった。何億という人間が生きているが、顔はそれよりもたくさんにある。・・・・・』

音楽をすることは大きな喜びだ。もちろん実際問題、音楽でお腹がふくれる訳ではないから食べ物を食べなくてはならず、そのためには稼がなくてはならない。
先日乗り物に乗ったら、目の前の席に座っていた人が下車する際、声をかけてきた。(確かに大きなチェロを持って出歩くのは、自分が何者であるかはっきり言っているようなものだ。) 彼女も職業音楽家で、20年近く前の僕の演奏を覚えていてくださった。おそらくコンクールの本選の時のことと思う。時々、誰かの一言に励まされ、それが大きな力になることがある。ありがたかった。

2014年8月17日 (日)

持たないこと

ソニーイメージングギャラリー銀座の「ウィリアム・クライン作品展 BROOKLYN + KLEIN」へ。
http://www.sony.co.jp/united/imaging/gallery/detail/140808/
素晴らしかった。画面に写り込んでいる様々な事柄や事件は、全て意識して撮影したのか、あるいは偶然の要素なのか、それとも無意識か・・・。この人はいったいどうなっているのだろう、すごいなぁ。見終わって銀座の街に再び出ると、もう以前と同じには見えなかった。

それからコニカミノルタプラザで始まったマグナム・フォトグラファーズ写真展「MAGNUM FOOTBALL」へ。
http://www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2014august/magnum_football/index.html
点数はさほど多くないけれど、いつものマグナムの人たちの感じとはちょっと違って、楽しかった。写真の魅力を満喫した。世界には素晴らしい写真家がたくさんいる。

先日観たのは映画「ジゴロ・イン・ニューヨーク」。
http://gigolo.gaga.ne.jp/index.html
大人の機微をお洒落に描いて見事。ウディ・アレンが、そのどもり具合も含めて、役柄に実によくはまり(他の人たちは皆シリアスな感じ)、話の進みを軽快なものにしていた。
この先もおもしろそうな映画が目白押しで、できるだけ多く観るにはどうしたらよいか思案中。

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チェロの弓使いの話。僕の持っている中で一番個性的な弓をどうしたら使えるようになるか、試してはあきらめ、試してはあきらめ、してきた。癖はあっても、もしかしてそれをはるかに上回る魅力や能力があるかもしれない、ということだ。
今日気が付いたのは、とにかく弓を持たないこと。弦に対してはできるだけ直角を保ち、毛が弦に噛んでいる感覚をつかんだら(安定したレールの上に乗る感じ)、決して縦には押さず、ひたすら柔らかくねばっこく、弦と蜜月の関係になるように・・・。

2014年8月14日 (木)

魔法のようだった

昨晩は映画「友よ、さらばと言おう」へ。
http://www.tomoyo-saraba.com/
こんなに引きつけられる映画だとは思わなかった。あっという間に終わっていた。何がそれほど魅力的だったのだろうと考えた時、予想を裏切るような何かとか、大どんでん返しといったものはなかったと思う。画面の作り方や色調、優れた俳優陣、スピード感、そういった映画を作る力の強さだったのだろうか。フランス映画おそるべし。学び始めて10日ちょっとのフランス語力ではほとんど言葉は聞き取れなかったけれど。
原題「MEA CULPA」の意味を調べてみたら、「自分の過ちを告白する [認める] 」だった。なるほど、確かに・・・。

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今日は三菱一号館美術館の「ヴァロットン展」を見てから、一度行ってみたいと思っていた、東京駅前のKITTEに隣接するインターメディアテクへ。
http://www.intermediatheque.jp/
おもしろかったなぁ。クジラやキリン、ワニの骨格はこんなに大きいの、という驚きがあった。骨が苦手な人にはおすすめできないけれど。

フランス・ブリュッヘンが亡くなった。僕が新日フィルにいた3年に満たない短い期間で、最も印象深かった演奏会の一つがブリュッヘンの指揮したものだった。要所要所で音楽の流れを整えただけで、オーケストラから見違えるような音が出た。魔法のようだった。その人だけが持つ音楽というものがあり、その一つがなくなった。ご冥福をお祈りします。

2014年8月13日 (水)

耳元で

中学高校生の頃の宝物はウォークマンだった。高校の一時期はブラームスの2番のピアノ協奏曲の入ったカセットテープばかり聴いていた気がする。
あの頃、様々な機能が次々と実現されていって、カタログを見るだけで楽しかった。録音機能、ラジオ、防水、安定したテープの走行を謳った高音質機、Wカセット、リモコン、カセットケースサイズへの小型化(衝撃的だった)、ワイヤレスのリモコン・イヤホン、・・・。

時代は変わり、僕もiPodを使うようになった。iPodの使い勝手は革命的だったと思う。でも音は圧縮して取り込むし、結局仕事で必要なものを時々聴くくらいだった。
それが先日、ソニーからCDを上回る音質の規格に対応したウォークマンが出ていることを知り、手に入れた(Fシリーズ)。そしてそのハイレゾと言われる音源もダウンロードした。オイストラフの弾くベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、指揮はクリュイタンス。

悠然としてスケールの大きな演奏は言うまでもない。もともとの録音もいいのだと思う。様々な種類の弓使いはもちろん、弓の毛が弦にいい条件で接している時の、鼓膜を直接こすられるような、音にならない音が聴こえてくるし、左手の指が指板に落ちる時の音も、とても音楽的なシフトの具合も、耳元で弾いてもらっているようにわかる。これを聴いて、僕のチェロの弾き方も変わらない訳にはいかない。
それにしてもいったい、アナログのマスターテープにはどれだけの音が入っているのだろうか、と思う。素晴らしいアナログレコードのシステムがあったら、どんな音を聴けるのだろうか。

本体を揺らすと音もふらふら揺れ、単三乾電池の減りを気にしながら使ったカセットテープのウォークマンの時代は、遠くなったなぁ。

2014年8月10日 (日)

どういう演奏を

昨日から東京にも雨が降り始めた。今回西日本に大きな被害をもたらした規模の雨がもし東京に降ったら、この街は大丈夫だろうか。

先日読み終えたのがスティーヴン・ストロガッツ著「SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか」。
東南アジアでいっせいに明滅するホタルの群れに始まり、人間の睡眠周期、同期する二つの大きな振り子時計、レーザー光、高圧送電網、GPS、超電導、橋、カオス、不整脈、交通渋滞、・・・。様々な事柄を、同期という視点から解き明かそうとする。残念ながら僕の頭では充分に理解できたとは言えないのだけれど、その自由で思いもよらない発想と過程には、自分にも世界が違う様相を見せてくるようで、わくわくした。
どのくらいの割合の人たちがそうなのかは知らない、僕は中学高校で数学や物理に随分劣等感を抱いた。でも今こういう本を読むと、その考え方が本当におもしろいと思う。

その勢いで読み始めたのが、岩波新書から出ているアインシュタイン/インフェルト著「物理学はいかに創られたか」。この本はなぜかなかなか読み進められない。上巻の最初のほうにこんな文章があった。

『物理学の概念は人間の心の自由な創作です。そしてそれは外界によって一義的に決定せられるように見えても、実はそうではないのです。真実を理解しようとするのは、あたかも閉じられた時計の内部の装置を知ろうとするのに似ています。時計の面や動く針が見え、その音も聞こえて来ますが、それを開く術はないのです。だからもし才能のある人ならば、自分の観察する限りの事柄に矛盾しない構造を心に描くことは出来ましょう。しかし自分の想像が、観察を説明することの出来る唯一のものだとは言えません。自分の想像を、真の構造と比べることは出来ないし、そんな比較が出来るのかどうか、またはその比較がどういう意味をもつかをさえ考えるわけにゆかないのです。けれども、その知識が進むにつれて、自分の想像が段々に簡単なものになり、次第に広い範囲の感覚的印象を説明し得るようになると信ずるに違いありません。また知識には理想的な極限があり、これは人間によって近づくことのできるのを信じてよいでしょう。この極限を客観的真理と呼んでもよいのです。』

最近よく聴いているのがハイフェッツの弾くプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番(ミュンシュ指揮ボストン響)。
音の立ち方、弓の毛と弦との噛み具合、アタックやアクセントの入れ方、柱になる音の強調の仕方、オンザストリングとオフザストリングの使い分け、音程感、ポルタメントの入れ方・・・、書き出すときりがないけれど、この録音には、オーケストラと一緒に弾く時、ソリストはどういう演奏をしなくてはならないか、ということが見事に示されていると思う。

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一昨日で仕事が落ち着き、久しぶりに中古カメラ店に足を運んだ。前から気になっていたカメラを触らせてもらう。ピントの山をつかみやすいファインダーと、絶妙な形と大きさと、しっとりとした感触にまいった。ペンタックスのLX。メンテナンスの問題がなければ、欲しいなぁ。最新のデジタルカメラが失ってしまったものは確実にあると思う。

2014年8月 5日 (火)

まさに

早速アレサ・フランクリンのCDを入手した。もちろん、映画「マッスル・ショールズ」でそのレコーディングの顛末が語られた「I never loved a man the way I love you.(貴方だけを愛して)」。
今のすっかりデジタル化されて、ほとんど何でもできるスタジオ録音からすると粗い部分もあるけれど、1960年代の録音はなまなましく、そして、アレサ・フランクリンの歌声はまさにソウル・ミュージックという感じがする。これを聴いた後でチェロを弾くと、僕の音は何も物を言っていないようだ。

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今年の4月から再びラジオのフランス語講座を聞くつもりだった。4月が過ぎ5月になり6月になり7月・・・。先日本屋に行って、CD付きの易しそうなテキストを買ってきた。夏の宿題のつもりで今月から始めている。それにしてもこの頭の硬さ、回らなさ。

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2014年8月 1日 (金)

グルーヴは

今日から8月。昨日は映画「黄金のメロディー マッスル・ショールズ」へ。
http://www.muscleshoals-movie.com/
テネシー川のほとりの小さな町、マッスル・ショールズにある2つのスタジオの物語。大都市ではなく自然の多く残る町のスタジオからヒット作が出ていく。特に映画の前半、アレサ・フランクリンやウィルソン・ピケットのエピソードや歌が登場するあたりのエネルギーは圧巻だった。彼ら彼女たちの録音を聴きたくなる。
映画に出てくる様々な歌手やミュージシャンたちがよくグルーヴ、ということを言っていた。「最高のグルーヴが生まれたんだ」というように。僕のチェロからもグルーヴは生まれるだろうか。

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180度話は変わって。先日、チェリビダッケが38年ぶりにベルリン・フィルを指揮した時の映像を見せてもらった。92年、ブルックナーの7番。彼の映像はそれほど見たことはなく、あんなに顔の表情が豊かに変化する人とは知らなかった。演奏は、さらにゆっくりなテンポで、厳密に聴き比べたわけではないけれど、90年代前半のミュンヘン・フィルとの方がスムースに運んでいる感じはした。
もう一つ、ベルリン・フィルの弦楽器の奏法が興味深かった。ヴァイオリンの中に、弓使いに関して、右手の手首が先行する奏法の人が幾人もいた。チェロは、弓の幅をあまり使わない印象だった。ほんの20数年前のことと、現在とではきっと異なっていると思う。

ところで、HMVが渋谷にアナログレコードを扱う店をオープンするらしい。
http://recordshop.hmv.co.jp/
もし時間とお金が充分にあったら、僕も道具をそろえてLP盤に針を下ろす時間を満喫したい、と時々思う。しかし、「時は金なり」の言葉どおり、両方を持つことはとても難しいことだ。

コダック社が映画用フィルム製造の継続をするための方策が考えられているそうだ。
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304180804580062551749334306
僕としてはとにかく、写真用フィルムの製造が続くことを祈るのみ。

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