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2014年9月11日 (木)

「思い出のなかに燦然と」

特に弾くあてもなく、ピアソラのグラン・タンゴの楽譜を出してきてさらっている。もう10年は弾いていないと思う。久しぶりに音を出してみると、音色やリズム、フレーズが生き生きと迫ってきて楽しい。この曲を弾くことで、自分に足りていなかったことをひとつひとつ越えて行けるような気がする。
そして、棚に長いこと眠っていたクレーメルの「El Tango」というピアソラのアルバムも出して聴いている。97年の録音、ジャケットはメイプルソープの花の写真だ。正直なところ、クレーメルのヴァイオリンには興味を持ってこなかった。久しぶりに聴いて、見事と思う。弦楽器はこうやって弾くんだなぁ。ミルヴァの声は言うまでもなく、様々な編成で演奏されるそれぞれの曲の作られ方、絡み方も見事と思う。こうしたことに以前はまったく気づいていなかった。

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先日見たベン・シャーンの24枚の版画集「一行の詩のためには・・・」はまさに「マルテの手記」の以下の部分に拠っていた。岩波文庫の望月市恵訳から。

『 見る目ができかけている今、僕は仕事を始めなくてはと考える。僕は二十八歳になるが、まだほとんど仕事らしい仕事をしていはいない。これまでにした仕事を数えてみよう。 ・・・・・ 詩も書いた。ああ、若くて詩をつくっても、立派な詩はつくれない。詩をつくることを何年も待ち、長い年月、もしかしたら翁になるまで、深みと香とをたくわえて、最後にようやく十行の立派な詩を書くというようにすべきであろう。詩は一般に信じられているように、感情ではないからである。(感情はどんなに若くても持つことができよう。)しかし、詩は感情ではなくて ― 経験である。一行の詩をつくるのには、さまざまな町を、人を、物を見ていなくてはならない。動物の心を知り、鳥の飛ぶさまを感じ、小さな花が朝に開く姿をきわめなくてはならない。知らない土地の野路、思いがけない邂逅、虫が知らせた別離、 ― まだ明らかにされていない幼年のころ、そして、両親のことを。幼かった僕たちを喜ばせようとして与えた玩具が僕たちを喜ばせなくて(他の子供が喜びそうな玩具であったから ― )、気色をそんじた両親のこと、妙な気分で始まって、何回も深い大きな変化をとげさせる幼い日の病気、そして、静かな寂とした部屋の日々、海辺の朝、そして、海、あの海この海、また、天空高く馳せすぎ星とともに流れ去った旅の夜々を思い出さなくてはならない、 ― それを思い出すだけでは十分ではない。夜ごとに相の違う愛欲の夜、陣痛の女の叫び、肉体が再びとじ合わさるのを待ちながら深い眠りをつづけているほっそりとした白衣の産婦、これについても思い出を持たなければならない。また、臨終の者の枕辺にも坐したことがなくてはならない。窓をあけはなち、つき出すような嗚咽の聞こえる部屋で死者のそばに坐した経験がなくてはならない。しかし、思い出を持つだけでは十分ではない。思い出が多くなったら、それを忘れることができなければならない。再び思い出がよみがえるまで気長に静かに待つ辛抱がなくてはならない。思い出だけでは十分ではないからである。思い出が僕たちのなかで血となり、眼差となり、表情となり、名前を失い、僕たちと区別がなくなったときに、恵まれたまれな瞬間に、一行の詩の最初の言葉が思い出のなかに燦然と現われ浮かび上がるのである。 』

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