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少しさらってから出かけた。フィルムの入ったカメラでぶらぶら写真を撮りながら。
鷲尾倫夫作品展「THE SNAP SHOT」
http://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/photo-exhibition/2014/20140930.html
言葉による説明はまったく必要なく、写真それ自体が強く訴えかけてくるようだった。見事だった。
それから四ツ谷のルーニイへ。曽根陽一写真展 「Breath」http://www.roonee.com/schedule/
さらにコニカミノルタギャラリーで開かれている宮嶋康彦 写真展「アジアモンスーン」に。http://www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2014october/gallery_c_141021.html
日本各地を撮った写真の厚みに圧倒された。
ところで。そもそも買えるかどうかは別として、それに僕に似合うとも思えないけれど、川久保玲さんがデザインしたルイヴィトンの鞄がおもしろい。こんなに大きな穴が堂々とあいているなんて。これをさりげなく持てる人は、格好いいだろうなぁ。http://celebrating.monogram.lv/m/iconoclast-rk.html?lang=jpn_JP
演奏会の予定を更新しました。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/ensoukai.html
11月28日に杉並公会堂で虎の門交響楽団とドヴォルザークの協奏曲を弾きます。(昨日その3回目の練習があり、いつもと違う環境でチェロが弾けて、また楽しかった。音楽は様々な場所で様々な意味を持ち、素晴らしいと思った。)
それから、10月の土曜日21時から放映されているNHKのドラマ「ボーダーライン」、劇中で時々流れるチェロのソロは僕が弾いています。
(7月27日の日記もご覧ください。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-9b5a.html)
ドラマの舞台は大阪の消防署。以前、都心の消防署前ををたまたま通りかかった時、そこから出動する消防車を見たことがある。消防士たちの緊張した面持ちに、はっとした。もちろん、「ボーダーライン」はドラマだけれど、何か常ならない事が起きている場所に行く仕事は、どんなに大変なものだろう、と思う。
全5回のドラマはとてもよくできていて、普段テレビドラマを見ることはないのだけれど、見てしまう。
http://www.nhk.or.jp/dodra/borderline/
弁当屋の前を通ったら人懐こい猫が寄ってきた。
今日のゲネプロは午後から。朝、重野さんのところに行き、弓の毛替えと、このところ生傷の絶えなかった楽器 (本番で力が入り弓の毛箱が表板の縁に、ピチカートの右手が表板に、指板から左手が落ちて表板に、それぞれ激突。あぁ、職業音楽家にあるまじき雑な・・・) のニスを補修して頂く。気持ちが落ち着いた。
先日観たのは映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」(原題「Bloody Daughter」)。http://www.argerich-movie.jp/
舞台で見るアルゲリッチには、とにかく豪快な人、という印象を持っていた。ところが、三女ステファニーがカメラを回し監督を務めたこの映画では、素敵な、素の顔が見える。演奏だけでなく、アルゲリッチ本人や3人の娘、それぞれの父親の人生も描かれ、音楽に興味のない人がある家族の映画として観ても、音楽映画として観ても、経験を積んだ職業音楽家が観ても、それぞれに深く入ってくる言葉や仕草があるのではないかと思う。
あまり一般的とは言えない人生を歩んだアルゲリッチとその家族を見て、こんなに自由な心の有り様でいいんだ、と思った。同時に、やはりその基にあるのは深い愛情だと感じた。励まされ、心が軽くなるようだった。
昨日20日の都響定期演奏会のソリストはスティーヴン・オズボーン。プログラムは、ユーモアと、おそらくそれ以上の技巧にあふれたブリテンのピアノ協奏曲だった。オズボーンは、はがねのような強さと、柔軟性と、静かな集中力を持ち、見事だった。ソリストはこうありたい、と思った。
今日は映画へ。「アンナプルナ南壁」http://7400-movie.com/
2008年、標高7400mで動けなくなったスペイン人登山家を救うために様々な国籍の登山家12人が動いた。その時の映像と、インタビューで構成されたドキュメンタリーフィルム。素晴らしかった。なぜ山に登るのか、なぜ自らの危険もかえりみず救出に向かうのか。観終わって劇場の外に出ても、長い時間ぼんやりしてしまった。僕はしっかり生きているだろうか。目の前にあるたくさんの様々な事柄に気を取られ、見えなくなっていたことがあった。
映画に出てくる登山家たちの言葉がとても印象的だった。
『「大自然の中を歩きたい」最初はそれだけだった。孤独を求め山に魅せられたんだ。"登山"という言葉の延長線上にあるもの ―。それは限界との闘いだ。高い山に登ると焼けるような筋肉の痛みや寒さや空腹、疲労などに苦しめられる。問題は、その辛さとどう向き合いどうやり過ごし、受け容れ、不快を快適に変えるかだ。山は力業で登るのではない、心で登るんだ。人は日々メディアによる情報攻撃にさらされている。現代社会で人々は急き立てられるように生き基本に立ち返る時間がない。・・・・・』
天気が悪くなる前にもう一つ美術館へ、森美術館「リー・ミンウェイとその関係」。
http://www.mori.art.museum/contents/lee_mingwei/highlight/index.html
これを含めて最近見た3つの展覧会はいずれも、完成された絵画や彫刻を展示するというより、そのアイデアや行動、場を共有しようとするものだったと思う。だから実体としての美術品を期待して出かけるとがっかりするかもしれない。こういうものをコンセプチュアル・アートというのだろうか。その何が魅力的だったり、共感を呼び起こすものだったりするのかは、はっきりとはわからないのだけれど、確かに何かあったと思う。
リー・ミンウェイの最初の展示は、壁一面に取り付けられた色とりどりの糸巻きから糸を出し、それを様々な人が様々な布に縫いつける、というものだった。
他の作家の展示も興味深かった。田中功起さんのインスタレーション「あれもこれも」は、居酒屋の厨房で手際よく働く料理人を淡々と映したもの。うまく説明できないけれど見入ってしまった。
リー・ミンウェイの展示で一番好きだったのは、確か「水の星座」と名付けられた広いリビングルームのような作品。作家の祖母が実際に使っていた椅子が芝生の前に置かれ、その椅子には座ることができる。座ると、眼下には地上53階からの東京の街が広がる。
「もの」や「かたち」としてのリー・ミンウェイの作品はあまりなかったかもしれない。しかし彼のあたたかく自由な発想に、こちらの心が解き放たれるようだった。不思議な経験だった。
東京都現代美術館で開かれている「ミシェル・ゴンドリーの世界一周」展へ。
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/michelgondry.html
ミュージックビデオなんてきちんと見たことはなかったけれど、あふれるように豊かな発想の映像世界はとても楽しかった。『ムード・インディゴ:うたかたの日々』など、映画に使われた小道具も展示されていた。この映画観ておけばよかった。
別の展示スペースにホンダの広告動画が紹介されていた。こちらもおもしろかったなぁ。「ピタゴラスイッチ」をもっと洗練した感じ。
http://www.youtube.com/watch?v=_ve4M4UsJQo
ところで、ライカ社が興味深い新製品を発表した。http://us.leica-camera.com/Photography/Leica-M/Leica-M-Edition-60/Details
デジタルカメラの背面に必ず付いているはずのモニターがなく、あるのは感度設定ダイヤルだけ。フィルム時代のライカと同じだ。素晴らしい写真が撮れるような気がする。撮った画像をモニターで見て、あれを変えこれを直し、とやって、良くなるはずがどんどん写真が悪くなる、という経験はよくする。演奏の録音も、プレイバックを聴きながらあれを直しこれを直し、だんだん鮮度や勢いがなくなり、結局最初のテイクが一番良かった、ということがあるもの。
このカメラに50ミリと35ミリの明るいレンズがあれば。もし宝くじが当たったら、という空想に新しい使い道が加わった。
テレビではブロムシュテットが指揮したN響定期の模様を放映していた。素晴らしいチャイコフスキーの5番だった。
今読んでいるのは村上春樹著「遠い太鼓」。ちょうど「ノルウェイの森」が書かれていた頃の日記のような文章が集められている。なるほど、と思うところがいくつもあり、創作の秘密が明かされているような気がする。もう一つ、思わず笑ってしまう箇所も多い。村上さんにこんな本があることは知らなかった。少し前の日経新聞でWBS(テレビ東京の経済ニュース)キャスターの大江さんが紹介していた。
「遠い太鼓」の中から、
『長い小説を書くというのは、僕にとっては非常に特殊な行為であると言っていいと思う。どのような意味あいにおいても、それを日常的な行為と呼ぶことはできない。それは、たとえて言うならば、深い森の中にひとりぼっちで入りこんでいくようなものだ。地図も持たず、磁石もなく、食料さえ持たずに。樹木は壁のごとく密生し、巨大な枝が重なりあって空を被い隠す。そこにどのような動物が生息しているかも僕にはわからない。
だから長い小説を書いているとき、僕はいつも頭のどこかで死について考えている。』
品川の原美術館へ、『「アート・スコープ 2012 -2014 」―旅の後もしくは痕』展。http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
今村遼佑さんの作品、なかでも「やがて雨は静かにノックする」という光と音を巧みに組み合わせたインスタレーションがおもしろかった。いつもの原美術館がちょっと違う空間になっていた。
日本全国津々浦々の美術館を巡った訳ではないけれど、時々出かけたくなる美術館がある。一つは葉山の神奈川県立近代美術館で、もう一つがこの原美術館。居心地が良く、展示を見終わってもしばらくぼんやりしていたりする。
今夜もシューベルトのピアノソナタを聴いていた。家にはシフの弾く10枚組のシューベルト全集があり、昨日一番好きなD960(鉄腕アトムに聞こえる変ロ長調のソナタ)から始め、さかのぼって少しずつ若い番号のものを聴いている。一人の人間がこれほど多くの自然な流れの音楽を生み出したことに驚く。
さっき聴いていたソナタは、アルペジョーネソナタにそっくりだった。D568、変ホ長調のソナタの第2楽章。同じ作曲家だから驚くことではないか。シューマンのピアノ協奏曲の冒頭のリズムがアルペジョーネのそれと同じなのは有名な話と思うけれど。
路線バスに乗りながら音楽を聴くのが好きだ。電車でもなく、もちろん地下鉄でもなく、飛行機でもなく、高速バスでもなく、路線バスに乗り、音楽を聴きながら車窓を流れていく東京の街を見るのが好きだ。たとえ気持ちが落ち込んでいても、天気が悪くて窓が曇っていても、そんなことは一向にかまわない。台風が近づいていた昨日の東京は朝からずっと暗かった。雨の日曜、空いている幹線道路を疾走するバスの中でディープ・パープルを聴いていた。
びっくりするようなことがあり、ぽっかり予定が空いてしまった。http://www.tmso.or.jp/j/topics/detail.php?id=688
慌ただしかったから、その話を聞いた時ほんの少しだけほっとする気持ちはあった。でも日がたつにつれヨーロッパが恋しくなってきた。秋の光はきっと、素晴らしいだろうなぁ。
それなら自分で旅行を組み立てても、とヨーロッパ行きの航空券を調べたりもしたけれど、結局大きな移動はしないことにした。今の僕にはゆっくり過ごす時間が必要かもしれない。
今日の東京は午後から急に天気が回復した。すっかりほこりをかぶっていた自転車に油を注し空気を入れ、久しぶりに乗った。羽が生えたようだった。夜はやはり久しぶりにシューベルトのピアノ・ソナタを聴いている。もしシューベルトのソナタがなかったなら、世界はどんなに味気ないものだろう。