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2015年3月 1日 (日)

『放っておいて気づくまで』

先日教えている大学オーケストラの演奏会があり、そのゲネプロを聴きに行った。少し遅れて会場に入ると、「威風堂々」が始まっていて、その清々しさに驚いた。プログラムの中心はチャイコフスキーの「悲愴」、僕が年を取ったということはあるかもしれないけれど、第2楽章を聴きながら思わず目頭が熱くなった。いつもの彼ら彼女たちと何かが違っている感じがした。

チャイコフスキーの5番と悲愴とは全く異なる音楽だと思う。改めて悲愴の楽譜を見て、チャイコフスキーの凄さを感じた。この音楽を感じることだけで大変なことだし、それを残し伝えることのできる楽譜にしてくれた彼にただ感謝するしかない。

しばらく前に観たのは映画「ナショナルギャラリー 英国の至宝」http://www.bunkamura.co.jp/s/cinema/lineup/15_nationalgallery.html
修復作業や美術館の運営など、興味深いことが次々出てくるのだけれど、大きなストーリーはなく、じっとしていることの苦手な僕には3時間の上映時間はちょっと長かった。

また先日、足を運んだのは銀座ニコンサロンでの本橋成一写真展「炭鉱<ヤマ>」
http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2015/02_ginza.html#02
はっと胸を強くつかまれるような写真だった。

2月28日、日経新聞夕刊に宮大工小川三夫さんの記事が掲載された。その中から

『先輩がきれいにカンナをかけているのを見ていると、自分も1日でも早くああいうふうにかけたい、かけたいと思ってくる。十分に思わせておいて「削ってみい」って削らせるんですよ。すると、うれしくて柱が板になっちゃうくらいに削ります。その時大切なのは、自分の持っている一番いいカンナを貸すこと。最高の切れ味を知ったら、人間が一気に変わります』
『だから、弟子には簡単に教えたらだめなんです。教えたら何かできなかった時、「教わってないからできません」というふうになってしまう。教わらないで自分で苦労して考えてやった子は、その限界を乗り越えられる。放っておいて気づくまで待つということをしていかなくちゃ、人なんか育っていかないんじゃないですかね』

信じられないことに、もう3月になった。

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