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2015年7月

2015年7月31日 (金)

美しい緑と

先日26日は米原市民交流プラザでハープの福島青衣子さんとの演奏会。300席ほどのホールは弾きやすく、熱意あふれるスタッフの皆さんも素晴らしかった。もう一つ驚いたのは土地の良さ。伊吹山の麓、美しい緑とからりとした空気に、それだけで嬉しくなってしまった。湧水があり、米も美味しいそうだ。住んだらどんなところだろう。ホールのデザインは蛍にちなんでいると聞いた。
東京にいると、いつの間にかこれが当たり前になってしまう。でも日本には素晴らしい場所がきっとたくさんある。

終演後名古屋へ。実家に泊まった翌朝、開けられた窓からは熊蝉だろうか、わしわしわしわしという強烈な鳴き声が入ってきて目が覚めた。

今読んでいるのはヘイエルダール著「コン・ティキ号探検記」。こんなにたくましく痛快な本をまだ読んでいなかったなんて。その中から

「何週間か経った。船とか、漂っている残骸とか、この世界には他に人間が住んでいるのだということを示すようなものは、何一つとして目につかなかった。海は全部われわれのものであり、水平線のあらゆる扉が開かれて、本当の平和と自由が蒼穹自体からつり下げられていた。」

2015年7月28日 (火)

「もう一度大きな声に」

7月25日の日経新聞夕刊に掲載された刀匠河内國平さんの記事から

「はじめ、よし出来ると思うわけや。そのうちに自信がのうなって、小さい声になる。そやけど、もう一度大きな声に出して『必ず出来る』と言う。僕の基本姿勢は絶対に『出来ない』とは言わない。それから途中でやめないことや。やめなければいつかは必ず出来る。弟子にはそればっかり言うねん」

「伝統工芸が技術を伝えるとよく言うけど、技術なんか伝わらない。親方がいかにうまくても、そんなん伝わりませんよ。弟子は初めから練習せなあかんのや。だから本当の技術の伝承なんて実は難しい」
「それでも、できた物があるから伝わるんや。教わるというのには人から教わるのと、物から教わるのと、このふたつがある。今は、人から教わることが多すぎる。」

2015年7月23日 (木)

「道は」

本棚には読まずに忘れていた本が何冊もあった。その一つがダーウィンの「ビーグル号航海記」上巻。

これは多分20年前の夏ヨーロッパに1ヶ月半滞在した際、途中で読むものがなくなって、父に何でもいいから送ってほしい、と頼んだ時の1冊だと思う。
(あの頃、読み古されてぼろぼろになった少し前の週刊文春が、日本人旅行者の手から手へと渡っていたりした。今そんなことはあるだろうか。)

その「ビーグル号航海記」がおもしろいので同じ岩波文庫で中、下巻を、と思ったらなんと絶版だった。
大手インターネット通販サイトで調べたら、送料の方が高いくらいの値段で何冊も出品されている。でもこんな時こそ古本屋だろう、と都心の古書店街に出かけた。

まず岩波書店の出版物を多く扱う店に入ると、確かにあった。いずれも3冊組で、きれいなものには¥2,500、古いものには¥1,500の値札が付いている。聞くと分売はしないという。上巻は持っているこちらの事情を話すと、それなら別の店を探してみては、とやはり岩波文庫を多く扱う店を親切に紹介してくれた。

そちらの店の書棚に目当てはなく、尋ねると無言で店主が奥から3冊組の「ビーグル号航海記」を出してきて、本当は¥4,500と言いたいところだけど¥3,000で、と言われ、店を出た。

僕は個人が経営する個性的な店が好きだし、そういう店が繁盛してほしいと思う。でもインターネットで簡単に情報を得られる今は難しい時代だなぁ。
その日複雑な気持ちだった。結局大手サイトに出品している関西の古書店に中、下巻を注文し、果たしてかなりきれいな本が届いた。

今読んでいるのは宮本常一著「家郷の訓」(かきょうのおしえ)。その中から

『・・・ 道を歩くのさえうかうかと歩いてはならなかった。いつも母から「道はアングリアングリあるくものではない」と言われた。道のシャンと歩けぬようなものは、人の上に立てぬ。道を歩いている姿が一番人の眼につくものである。これは今考えてみてもむずかしいことである。そうして道のシャンと歩けるようなものは仕事をきちんとする人である。』

2015年7月20日 (月)

もしかしてものすごい力が


今回もまたサッカーW杯、なでしこジャパンのにわかファンになっていた。

実に清々しい試合の数々だった。僕には表面的なことしか見えていないのかもしれないけれど、選手たちにはいい意味で気負ったものがなく、皆その人本来の姿でいる気がした。そして自分のため、というより誰かのためにサッカーをしている。そうしたことが彼女たちの強さの秘密だろうか。笑顔も印象的。佐々木監督の、選手たちの方向づけも見事だった。
決勝前日の記者会見、キャプテンの宮間選手が女子サッカーを「ブームではなく文化に」と言ったことに感心した。何かの試合で今回の決勝戦ほど応援したことはなかった。

一方、ヨーロッパでは世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランスが始まっている。

僕の家の小さな本棚はとっくにあふれている。だから少しの間、本を買うのをやめて棚の本を読み直すことにした。古典ばかり、そのおもしろかったこと。たとえば、クセノポン著「アナバシス」、カエサルの「ガリア戦記」、ジャン・マルテーユ著「ガレー船徒刑囚の回想」。これらの本に出てくる人々のたくましさが、時々信じられなかった。
でもツール・ド・フランスに出場している選手たちの強さを見ていると、確かにそうかもしれない、と思えてくる。

同じ人間とは思えないほど身体能力の高い選手たちが、ある時は容赦なく、ある時は互いを尊重し、またある時は誇りをもち、厳しいステージを走る。様々なことを乗り越えていく彼らの姿に、人間にはもしかしてものすごい力があるのでは、と毎日勇気づけられている。
(NHK BS の番組はこちら  http://www4.nhk.or.jp/tourdefrance/)

2015年7月19日 (日)

虹だ!

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2015年7月16日 (木)

シューマンのピアノ五重奏

先日久しぶりにシューマンのピアノ五重奏を弾く機会があった。

初めてこの曲を弾いたのは19歳の時、煮えきらなかった自分の進路を音楽にはっきりと向けた時期だった。

シューマンの室内楽というと、どうしてもピアノ四重奏が思い浮かぶ。メロディックでソリスティックでスリリングで、それになんと言っても緩徐楽章が美しい。

今回の五重奏を5人揃って合わせたのは前日の2時間だけ。ゲネプロもなく始まった本番の舞台で、シンフォニックな響きに包まれて幸せだった。
楽譜の上に記されたそれぞれの音符が、進んで!、とか、ゆるんで、とか、こっちに、あっちに、かたく、柔らかく、この和音の移り変わりを、など生き生きと語りかけてくるようだった。初めての経験だった。楽しかったなぁ。

シューマンがこんなに豊かな音楽を書いていたことを僕はまったく気づいていなかった。
この五重奏、それぞれのパートは他の楽器とユニゾンで書いてあることが多い。チェロはピアノと近い。以前ははなぜそう書いてあるのかわからなかった。今ようやくユニゾンの響き、さらに、その響きをユニゾンだから増やせる素晴らしさに気づいた。
曲の終盤では主音のEsや属音のBを弾いていることが多い。それらの根音を弾くことが本当に楽しかった。

2015年7月13日 (月)

こだわらないように

実は何ヵ月も前から僕のチェロの表板には弓の毛箱が激突した傷がついていた。やれやれ。
そこに先日、弓とピチカートの持ち換えの忙しい曲を合わせていたら、右手の爪で表板をがりっ、と・・・。一人でさらっている時にこんなことは起きないのに、どうも力が入るらしい。
あまりに恥ずかしいので、重野さんに連絡して翌日きれいに修復して頂いた。

同時に5ヶ月ぶりに弓の毛替えもお願いした。いつもはもう少し短い間隔でするのだけれど、最近ガット弦を使っているせいか、弓毛が目詰まりしないので、相変わらず毎日いい調子と思っていた。
それが、別の弓のようにしっとりした感触になって驚いた。

最近心がけているのは道具にあまりこだわらないようにすること。だからと言って楽器の傷を放ったらかしにしていい、ということはないのだけれど。
以前は弦も定期的に交換するようにしていた。それは確かにヤーガーの1番線なんかは新しい方が弾力があって、圧倒的にいいもの。ただ、オイドクサのようなガットを使っていると、元からけっこうゆるい感じだし、定期的に新しくしなくても、という気がしてきた。

先頃渋谷のマリオルッチから、今月末で店舗での営業を一時閉める、と連絡がありhttp://www.mariolucci.com/kyugyou.html、慌てて弦を買いに行った。ヤーガーはもともと少しストックがあったので、オイドクサを1本ずつ、あと少々。これで今年は過ごせるかな。

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