今日の都響はエドワード・ガードナー指揮でイギリスプログラム、その1曲目はブリテンの「青少年のための管弦楽入門」だった。
有名なパーセルの主題が何度か繰り返された後、楽器紹介が続く。それを聴くと、ブリテンがそれぞれの楽器にどんなイメージを持っていたのかわかるようでおもしろい。弦楽器はヴァイオリンに始まり、ヴィオラ、チェロ、コントラバスに分かれている。ヴァイオリンは、ブリテンがポピュラー音楽を書くとこんな感じかな、と思うし、コントラバスはけっこう格好いい。しかしチェロは、ベンジャミンさんそれはないでしょう、と言いたくなる。煮え切らない下降形の風変わりな音階ばかり、しかもシンコペーションで。管弦打全体を見回してもかなり冴えない感じだ。一体どんなチェリストが念頭にあったのだろう。
E・ウィルソン著「ロストロポーヴィチ伝」の中に、ブリテンとロストロポーヴィチが出会った時のエピソードがある。
1960年ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲イギリス初演の際、桟敷席でショスタコーヴィチとブリテンは隣りあわせた(オーケストラはロジェストヴェンスキー指揮のレニングラード・フィル、すごい時代だったんだなぁ)。終演後ロストロポーヴィチの楽屋に
『ショスタコーヴィチがやってきて、私にこう言った。「スラーヴァ、ベンジャミン・ブリテンを紹介するよ」私はいささかとまどった。というのも、ブリテンで私が唯一知っている作品はその晩最初に演奏された「青少年のための管弦楽入門」(訳注:ヘンリー・パーセルの主題にもとづく)だけで、しかも私は彼の名前をパーセル(訳注:17世紀の作曲家)と結びつけて記憶していた。私はショスタコーヴィチに ― もちろんロシア語で、だがブリテンの目の前で ― 「でも、ブリテンはとっくに死んでいるだろう」と言った。「いいや」ドミトリー・ドミトリエヴィチは答えた。「君の目の前にいるのが、本人だよ」
この二人が出会ったおかげで、チェロの素晴らしいレパートリーが何曲も生まれ、そして同じ二人によるアルペジョーネ・ソナタの名録音も残された。チェロばかりではない、重心の低いブリテンのピアノにも耳がひきつけられる。