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2015年8月

2015年8月29日 (土)

松本

昨日はいい演奏会だった。あの中で弾けてうれしかった。
終演後食事をし荷造りをし、今朝のあずさで帰京。1週間ぶりの東京は人が多くて驚いた。

松本のいいところ。(もちろんたくさんあると思うけれど)
静かなこと、水が豊かなこと。町中を歩いていると水の音が聞こえる。いろいろなところで水が湧いている。夜、女鳥羽川沿いを歩くことが日課のようになっていた。水が流れる音と、虫の鳴き声、久しぶりにキリギリスの声を聞いた。そして、しばらく遡って右に曲がったところにはお気に入りのラーメン屋がある。

ホテルの部屋からは遠くの山々が見え、刻々と表情を変える雲を眺めることが好きだった。よくブラームスのイ長調のピアノ四重奏を聞いていた。

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2015年8月27日 (木)

アメリカでも

午後から晴れた。青空が見られてうれしい。

パン粉の話しの続き。聞いたところ、アメリカでも「パンコ」で通用するそうです。
僕の怪しい英語聞き取り能力によれば(ゆっくり喋ってくれればどうにか、なのだけれど、さらさら話されるともう追いつかなくなる)、特に密度がなく軽いものをそう呼ぶらしい。うーん、知らないことがたくさんある。

今日は全体を大きくとらえるようなリハーサルだった。マーラーの第1楽章はトランペット、フルートの後、大太鼓が2小節あって、低弦の強いピチカートで終わる。そのピチカートを何度か繰り返して、いいのが決まった時、ファビオ・ルイージが
"But we have only one chance!"
と言い、また皆で笑った。

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2015年8月26日 (水)

パン粉

ハイドンの「熊」とマーラーの5番は、今日までの丁寧に時間をかけたリハーサルで一巡りした。

昨日マーラーの第3楽章の練習をしていた時のこと。ヴァイオリンがD線でGの音を伸ばし、フラットが2つになる二重線のところでその音をG線にグリッサンドをかけて取り直すと美しい旋律が始まる(楽器の構造と特性を憎いまでによくわかって書いてあると思う)。その旋律を練習しながらファビオ・ルイージは
"Enjoy!Enjoy!"、"Take your time!"と言った。
弾きながら次の音や次のフレーズに気をとられるのではなく、今弾いているその音を充分に感じて、ということだろうか。そう弾いたらあなたたちの演奏に自分がついていくから、とも言っていた。
僕だけではないと思う、おそらく多くの人にとって、楽器を弾くことは易しくなく、だから出している音に聴き入るどころか、追われるように弾くようになっているのかもしれないと思った。あれこれ考えず、今弾いているその音を充分に感じ、ともにいること。今の僕に大きく足りないことの一つと気付かされた。
彼と弾いていて心地いいのは、演奏者に強いて何かをさせないからだと思う。音楽が自発的に生まれてくるようにしているように見える。

そして第2楽章の終わり、チェロとコントラバスが旋律を受け持っているところでヴァイオリンは細かい3連符を弾く。その質感を説明するのに「パン粉」ということを指揮者は言いたかった。かなり語学の堪能な人だと思うけれど、その時は咄嗟に英語が出てこず、アメリカから来ているホルンのジュリアに、「ジュリア、ほらパンじゃなくて、細かくしたあれは何と言うんだろう?」というようなことを尋ねた。ジュリアが答えて(近くの誰かがそう教えたのだと思う)、「パンコ!」と言ったのには皆で笑った。金管の人たちはユーモアのセンスも抜群だ。

英語ではパン粉を"bread crumbs"と言うそうです。

2015年8月24日 (月)

8月24日信濃毎日新聞に掲載されたドナルド・キーンさんの記事から。

「1940年は非常に悪い年でした。・・・・・ 軍隊がどこへ進んだとか、どこの村がドイツのものになったとか、新聞を読むのがつらかった。
そんな年でしたが、ある日、偶然、ニューヨークで安い2冊の源氏物語を買いました。もちろん英訳でした。歌を詠み、着物や花があり、全く違う世界。非常に憂鬱だった時、源氏物語という美しい本に出合いました。
私は日本語を勉強したいと思いました。翌年の日米開戦後、海軍日本語学校に入りました。・・・・・」

2015年8月23日 (日)

草の匂い

昨日松本入り。今日からファビオ・ルイージが指揮するマーラー5番のリハーサルが始まった。
第2楽章のチェロの旋律を何度か返していた時、彼は確か"make it go"ではなく"let it go"で、と言ったと思う。フレーズを「こう弾く」のではなく「なすがままに(自然な流れにまかせて)」ということだろうか。そう言ってもらうととても弾きやすい。
リハーサルが終わり、マエストロは自転車に乗って颯爽とホールを後にした。映画の中の光景のようだった。

まだ明るい時間だったので大糸線に乗り、中綱湖と木崎湖へ。草の匂い、風の音、水の音、鳥や虫の声、ずっとここに来たいと思っていた。


2015年8月22日 (土)

何年も棚で眠っていたロモのLC-Wというカメラを使った。

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フィルムは高価なものになってしまったし(まだ売ってるの?と聞かれる)、今の高精度なデジタルカメラにはまったく及ばないけれど、ピントが甘かったり、フィルムのざらざらする感じまで何だかいいな、と思ってしまう。(8月9日、16日の日記の画像もLC-Wで撮ったものです)

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2015年8月21日 (金)

「ただほれぼれと」

お盆だったからという訳ではなく、特に信仰を持っている訳でもないのだけれど、先週図書館で歎異抄に関する本を何冊か借りて読んだ。
すいぶん前、岩波文庫から出ている歎異抄を読んだ時、何が書いてあるのか皆目見当もつかなかった。今は先人たちの深さ、大きさに頭を垂れるはかりだ。その中から

「すべてよろづのことにつけて、往生には、かしこきおもひを具せずして、ただほれぼれと弥陀の御恩の深重なること、つねにおもひいだしまいらすべし。しかれば念仏もまうされさふらふ。これ自然なり。わがはからはざるを、自然とまうすなり。これすなわち他力にてまします。」

2015年8月17日 (月)

「みんな同じ」

8月16日毎日新聞の別刷り「日曜くらぶ」に掲載された荻原魚雷さんの連載「雑誌のハシゴ」から。

『世の中には、「知らなきゃよかった」とおもうことがいろいろありますが、「かき氷のシロップはみんな同じ味」というのも、そのひとつかもしれません。いわゆる定番のイチゴ味(赤)、メロン味(緑)、レモン味(黄)のシロップは、色と香りはちがうけど、成分は同じ。鼻をつまんで目をつぶって食べると、味のちがいがわからないそうです。ひまな人は試してみてください。』

2015年8月16日 (日)

柔らかな


近所の公園を散歩したらツクツクボウシの鳴き声がだいぶ大きくなっていた。

東京都現代美術館のオスカー・ニーマイヤー展へ。http://www.mot-art-museum.jp/sp/exhibition/oscar-niemeyer.html
もちろんニーマイヤーの手掛けた壮大な事業を館内に持ち込む訳にはいかないから、模型や写真、映像、スケッチでたどることになる。おもしろかったけれど、もう少しその大きさが実感できるような展示の仕方があるような気も。

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先日ラジオをつけたらたまたま、柔らかなユーモアあふれる関西弁で実に興味深く植物のことが語られていて、思わず聞きいった。残念なことにそれがその一連の放送の最終回で、しかも再放送だった。
調べるとご本人の著書は多数あり、その中で手にとったのは田中修著「植物はすごい」。なぜ「ダイコン頭、ゴボウ尻」なのか、なぜシシトウは辛かったりそうでなかったりするのか、など期待に違わずおもしろかった。

本棚で20年近く読まれずに眠っていたのが「柳宗悦随筆集」。その中から。

「想うに吾々の焼き物に真に美しい品が稀なのは、美しさと醜さが分かれてしまって以後の世界で出来るからではないでしょうか。断えざる葛藤がその間にあるのです。それ故、わずかの天才だけが、この艱苦に堪え、勝利を得るのです。しかしインディアンの焼物は少しもそんな天才を要しません。別に天才の必要のない境地で、凡てをこしらえてしまうのです。いわば醜さなどのない世界、つまり醜さが現れる以前に出来上ってしまうのです。それ故個人の差異などは別に問題となりません。ですから、誰が何を作り何を描いても、皆救われてしまうのです。」

2015年8月11日 (火)

「クロスオーバーイレブン」

昨日嬉しかったこと。長く使っているエスプレッソメーカーのパッキンを新しくしたこと。大きくて四角い機械ではなく、マキネッタというのだろうか、コンロにかけて吹き上がってくるのを気長に待つ道具。継ぎ目から蒸気がしゅうしゅう漏るようになっていた(パッキン換えても相変わらずしゅうしゅう音がするのはいったい・・・)。
ところで、イタリアでも家庭向けカプセル交換式の手軽なエスプレッソマシンの売れ行きが好調で、バールの売り上げが減っていると聞いた。あぁ。

もう1つ嬉しかったことは今週NHK-FMの番組「クロスオーバーイレブン」が復活していること。
http://www4.nhk.or.jp/crossover11/
いいラジオ番組はいいテレビ番組以上に大切だ。週1回でいいからレギュラー番組に戻らないかな。

ただ今晩の悩みはその放送時間がこちらと重なってしまうこと。
「ピタゴラ装置 大解説スペシャル」http://www2.nhk.or.jp/hensei/sp/program/p.cgi?a=001&c=31&d=2015-08-11&e=33465&f=262
ラジオを聴きながらテレビを見ようか。

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2015年8月 9日 (日)

「あらゆる動きを」

8月8日日経新聞夕刊に掲載された柚木麻子さんの「ラーメンとバカンス」という文章の中から。

「我々が生真面目で貧乏性なせいだけではない。そもそも、フランスに何もしない夏が定着しているのは、国民総出であらゆる動きをストップしているからだ。」

これからもし、毎年の夏が一昨日までの1週間のような暑さになるのなら、過密都市ではみんな仕事を休んでしまったらどうだろう。仕事の能率が上がるとは思えないし、外や外回りの仕事をする人たち、そしてリクルートスーツを着た就職活動中の若者たち(もっと自由な服装が認められるようにならないのかなぁ)は本当にすごいと思う。
車やオフィスからの排熱が例えば1/3くらいになったら、少なくとも夜はもうちょっとましになりはしないか。

とても暑い日によく空調の効いたコンサートホールで分厚い燕尾服を着て舞台にいるのも、不思議な感じだ。

ところで、オリンピックをこの時期に開催するなんて、その日程はどうやって決めたんだろう。

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2015年8月 7日 (金)

音楽にしか

昨日の昼間タクシーに乗ったら、あまりの暑さに猫もいない、と運転手が言っていた。このところの毎日の目標はできるだけ、暑い、と言わないこと。

一昨日の都響は大野和士さんの指揮でショスタコーヴィチの5番。
モチーフや調性の扱いがチェロソナタに似ていると思う。でも、この空気感や強烈な諧謔、痛切さはやはり大編成のオーケストラでしか経験できないものかもしれない。

家にはバーンスタイン指揮ニューヨークフィルの素晴らしいライブ録音がある。79年の東京公演のものだ。世界が西と東に分かれて厳しく対立していた時代、アメリカを代表するオーケストラの、共感あふれる演奏に胸を打たれる。あの時代、東側の人が作曲をすること、西側の人がその曲を演奏することはどんなだっただろう。自由な発言のできなかった東側では、音楽にしかこめることのできない何かがきっとあったはずと思う。

先日ラジオを聞いていたら、在キューバの日本人女性が出て、何十年も前の記者会見時、フィデル・カストロ議長が、アメリカと国交回復する可能性は、と尋ねられ、アメリカで有色人種の大統領が選ばれて、そしてラテンアメリカ出身のローマ法王が誕生したら、と言った、というエピソードを紹介していた。カストロ議長はあり得ないこととして述べたのだと思うけれど、驚くべきことに3つとも実現してしまった。

一昨日、ミューザ川崎の舞台でショスタコーヴィチを弾きながら、僕はこれまでまったく表面的にしかこの曲を知らなかったと感じた。ショスタコーヴィチが書くまで、こういう音楽は存在しなかった。

2015年8月 2日 (日)

ピアノにも

今日の都響はエドワード・ガードナー指揮でイギリスプログラム、その1曲目はブリテンの「青少年のための管弦楽入門」だった。

有名なパーセルの主題が何度か繰り返された後、楽器紹介が続く。それを聴くと、ブリテンがそれぞれの楽器にどんなイメージを持っていたのかわかるようでおもしろい。弦楽器はヴァイオリンに始まり、ヴィオラ、チェロ、コントラバスに分かれている。ヴァイオリンは、ブリテンがポピュラー音楽を書くとこんな感じかな、と思うし、コントラバスはけっこう格好いい。しかしチェロは、ベンジャミンさんそれはないでしょう、と言いたくなる。煮え切らない下降形の風変わりな音階ばかり、しかもシンコペーションで。管弦打全体を見回してもかなり冴えない感じだ。一体どんなチェリストが念頭にあったのだろう。

E・ウィルソン著「ロストロポーヴィチ伝」の中に、ブリテンとロストロポーヴィチが出会った時のエピソードがある。
1960年ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲イギリス初演の際、桟敷席でショスタコーヴィチとブリテンは隣りあわせた(オーケストラはロジェストヴェンスキー指揮のレニングラード・フィル、すごい時代だったんだなぁ)。終演後ロストロポーヴィチの楽屋に

『ショスタコーヴィチがやってきて、私にこう言った。「スラーヴァ、ベンジャミン・ブリテンを紹介するよ」私はいささかとまどった。というのも、ブリテンで私が唯一知っている作品はその晩最初に演奏された「青少年のための管弦楽入門」(訳注:ヘンリー・パーセルの主題にもとづく)だけで、しかも私は彼の名前をパーセル(訳注:17世紀の作曲家)と結びつけて記憶していた。私はショスタコーヴィチに ― もちろんロシア語で、だがブリテンの目の前で ― 「でも、ブリテンはとっくに死んでいるだろう」と言った。「いいや」ドミトリー・ドミトリエヴィチは答えた。「君の目の前にいるのが、本人だよ」

この二人が出会ったおかげで、チェロの素晴らしいレパートリーが何曲も生まれ、そして同じ二人によるアルペジョーネ・ソナタの名録音も残された。チェロばかりではない、重心の低いブリテンのピアノにも耳がひきつけられる。

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