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2015年10月

2015年10月28日 (水)

最近の新聞から

10月25日の日経新聞に掲載された多和田葉子さんの「アテネへの旅」という文章から。

「家は相続の対象にもなる。わたしの場合は相続するとしたら家ではなく、何十冊もの岩波文庫だろう、と言って、持って行ったソポクレスの「コロノスのオイディプス」を見せ、始めの部分を日本語で朗読すると、「アンティゴネ」とか「オイディプス」という名前が聞き取れるのか、観客の間に笑い声が起こった。
 わたしが言いたかったのは、死んだヨーロッパ人は生きているヨーロッパ人と同じくらい大切だということだった。古代ギリシャ人の書いた本を読んでわたしたちが新しい世界を考え出すことができれば、偉大な死者たちは成長を続ける。経済は永遠に成長し続けることができるものなのかどうか分からないが、死者は成長し続ける。」

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また、10月28日日経新聞夕刊、テニスのスタン・バブリンカの記事にはサミュエル・ベケットの言葉があった。

「試してみたら失敗した。それがどうしたというのだ。もう一度試せ。もう一度失敗し、よりよく失敗するのだ」

2015年10月25日 (日)

強い力や即興性を

昨日は静岡でブランデンブルク協奏曲の全曲演奏会(僕が弾いたのは4曲)。
チェロの組曲があるおかげで、特にその組曲に関して僕なりにバッハを勉強してきた。結果それは、こうするべき、こうあるべき、というものになっていた。はっきりと喋る音楽だから話し方を学ぶ必要はある。でももっと大切なことは、バッハの音楽の持つ強い力や即興性を感じ、生き生きと自由にそれを実現することだと思う。

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ところで、演奏会で使われたチェンバロの立派な台座を見て、フランス語でイカや目玉焼きのことを何と言うか、という古典的な洒落を思い出した。(書くまでもないことと思うけれどそれぞれ、アシジュポーン(足十本)、ポントワッテジュ(卵をポンと割ってジュッと焼く)、といかにもフランス語という雰囲気で発音する。ちなみに新しいものとしては衣替えのことを、ハンズボンナガズボーン(半ズボン長ズボン)、というのがある)
そうしたら中国語で蚊のことを、という秀逸なのを教えて頂いた。舞台の上で脱力してしまった。

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静岡で読んだのは原研哉著「日本のデザイン」。雑誌「図書」連載中から楽しみに読んでいたけれど、改めて読んで様々なことが整理されるようだった。あとがきの中から。

「高く放りあげた仕事はひとたび雲の向こうに消えていくので再び落下してくるまでは忘れていた方がいい。その方がそれを手にする時の鮮度感がいい。」

2015年10月21日 (水)


「BOOKMARK 01」で紹介されていて、やはりひきこまれ、あっという間に読んでしまったのが、トレヴェニアン著「パールストリートのクレイジー女たち」。今はうまく感想を書くことができないのだけれど。その本文から。

「僕はずっと言葉に魅了されてきた。意味や感情や態度を包括する音の集合体、琥珀に閉じ込められた原始的な虫たちにも似た言葉というもの。あの英文法の本と、特進クラスでの英語の授業が、言葉のたのしみを言語への興味に発展させてくれた。英語という言葉の構造、文体、単語と単語をつなぐ文法的機能、そして、火打ち石と火打ち金のように、互いにぶつかり合って意味の火花を散らす統語論の成り立ち。」

「挽きたてのコーヒーはすばらしい香りがするので、つい目をとじて深く息を吸い込んでしまう。三種類のうち、いちばん高価なコーヒーは"ボカ"で、そのアフリカ風の名前にふさわしく黒い袋に入っていた。中くらいの値段のコーヒーは"レッド・ドット"で、赤い水玉模様のついた黄色い袋に入っていた。僕たちがいつも買うのはいちばん安い"エイト・オクロック"で、赤い袋に入っていた。僕は"ボカ"はその香りとおなじくらい味もすばらしいのだろうかと考えたものだった。しかし、香りとおなじくらい味のいいコーヒーなど存在しない。予想と現実のギャップのいい例だ。」

「子供のころには戻れない、というのはおそらくほんとうなのだろう。すべての瞬間は時の流れのなかに一度だけ存在し、過ぎ去っていく。取り戻そうとして手をのばしても、つかめるのは埃だけだ。」

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2015年10月18日 (日)

BOOKMARK 01

先日新宿で様々の用事を済ませ、ブックファーストに寄ってから帰ろうと思って店舗まで行ったら、臨時休業でがっかり。結局南口の紀伊國屋書店まで足を伸ばすことにした。(わかってはいたけれどけっこうな距離たった)

目当ての本は期待外れ。でもその書棚の近くに翻訳家金原瑞人さん発行のフリーペーパー「BOOKMARK 01」が置いてあり、手に取った。翻訳小説が17冊、それぞれの訳者によって紹介されている。http://www.kanehara.jp/bookmark/

その中から図書館で借りてあっという間に読んでしまったのは、リチャード・ペック著、斎藤倫子訳「シカゴよりこわい町」http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488013967(出版元品切れのようです)
児童書にも分類されるようだけれど、おもしろかったなぁ。早速予約して、続編の「シカゴより好きな町」と「シカゴよりとんでもない町」の到着を心待ちにしている。

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2015年10月17日 (土)

「先生と迷い猫」

映画「先生と迷い猫」へ。http://www.sensei-neko.com/sp/
毎夏イッセー尾形さんの一人芝居に出かけることを楽しみにしていた時期があった。残念なことにその公演は終わってしまい、またいつか拝見できる機会を、と思っていた。

楽しかったなぁ。一人芝居を思い出しながらたくさんの含み笑いがもれた。他の方たちの自然な流れの中で、イッセー尾形さんの演技が浮き上がってくる感じだった。もたいまさこさんの存在感は変わらず、岸本加世子さん、嶋田久作さん(自動車整備工場のオーナー役)をはじめ皆さん素晴らしかった。静かな映画だったことも好感が持てた。

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(この猫は映画に出てくる猫ではありません)

2015年10月15日 (木)

「こっちに行け、あっちに行け」

10月13日日経新聞夕刊に掲載されたイッセー尾形さんの記事から。

「ライブには人知を超えた何かがある。その何かがこっちに行け、あっちに行けと道を指し示してくれて、そこに誘われていくような感覚を味わえるのが舞台の面白さ」

2015年10月13日 (火)

「いちばん濃い時間を」

先日、日経新聞夕刊に西岡直樹さんの記事が掲載されてとても興味深かったので、著作を図書館で借りて読んだ。その「インドの樹、ベンガルの大地」から。(残念なことに品切れで書店では手に入りにくいようです)

「それにしても、日本での私たちの暮らしを振り返ると、豊かな暮らしを享受しているはずの私たちが、まだ起こるとも起こらないともわからない漠然とした将来の不幸に対する不安から、「生」が実践される今という時を、ほとんどその保障のためにあてがっていることに気づく。」

「ここではなにをするよりも、ただ雨期の空をながめ、わきたつ雲がニムの梢の上を少しずつ形を変えながら西の方へ動いて行くのを見送ったり、昼下がりに退屈そうに鳴くニワトリの声や、屋根の上で騒いでいるムクドリの声に耳を傾けながら、ぼーっとしているのがいちばんいい。そんな時がいちばん濃い時間を過ごしているように思えるのだ。」

2015年10月 4日 (日)

わくわくして

結局、映画「ミニオンズ」はその映画館の最終日に間に合った。夜9時からの上映、しかも字幕版だったので劇場は大人ばかり(けっして子供向けではない)。実に楽しかった。音楽の使い方も上手だし、壮大に風呂敷を広げたストーリーもおもしろかった。

昨晩はよくルールをわからないまま、ラグビーW杯の日本対サモア戦を試合終了まで見た。あっという間だった。きっとわくわくしているラグビー少年たちがたくさんいるだろうなぁ。

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本はあまり読まず雑誌ばかり、という時期がずいぶん長くあった。毎月20日は様々な雑誌の発売日でいつも待ち遠しかった。写真、釣り、自転車・・・。
最近はほとんど立ち読みですんでしまう。どうしてだろう、ちょっと残念な気もする。今日それを買うことを楽しみに出かけたのは写真家尾仲浩二さん編集の「街道マガジン」Vol.2。「写真の友」と謳ってあるのに表紙が木版画、というところもいい。6月の創刊号はカメラの絵だった。小さな雑誌だけれど、皆がおもしろがって作っている感じが伝わってきて楽しい。http://kaidobooks.jimdo.com

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