11月17日空路ルクセンブルクへ。
アムステルダムは自転車大国だった。専用道が整備されていて、たくさんの台数がかなりのスピードで走ってくる。手元にブレーキレバーのない自転車も多くあり、見るとどうやらペダルでコントロールしているらしい。坂のない国だからこの方が使いやすいのかもしれない。電動アシスト、なんてどこにも走っておらず、皆、雨天強風をものともせずたくましくペダルを踏んでいる。滞在中、晴れ間はなかったし、この国にいると忍耐強くなりそうだ。
空港の保安検査が厳重になっている、との情報でホテル発は30分早められた。
上空で3日ぶりに陽の光を浴びてから土砂降りのルクセンブルク、フィンデル空港へ。壊れたスーツケースが5個もあった。うぅむ。
坂の多い東京に住んでいるせいか、ひたすら平らなオランダは不思議な感じがした。ルクセンブルクには起伏がある。木々の葉が黄色く色づき美しい。
夕方ゲネプロ、20時開演。ルクセンブルクのホール付近は近未来的で、ガラスとコンクリートばかりだった。聴衆はクールだった。初めての国、ルクセンブルク滞在はわずかな時間で、空港・演奏会場・ホテルの3ヵ所のみ、という慌ただしい演奏旅行の典型的なスケジュールだった。
11月18日 ベルリンへ。
昼の飛行機でベルリン、テーゲル空港へ。着陸しても陽が射していて、滑走路が金色に輝いて見える。ベルリンに到着だ。とるものもとりあえずブランデンブルク門を目指して歩く。
ベルリンには、旧東に83年と85年の2回、統一されてからは04年に来た。11年前は、それこそ空港・ホテル・フィルハーモニーの3ヵ所のみだったので、30年前の記憶をたどりながら歩く。あの頃、東側から見るブランデンブルク門は、柵の彼方に望むばかりで、その間には警備の兵士が歩き、門の向こうの壁の、さらにその向こうには西ベルリンから門を見るための階段があった。その階段に上ってこちらを見る観光客を、当時中学生の僕は複雑な気持ちで見た。
今は何の緊張感もなく門の下を行き来することができる。ただ記憶だけを携えて。
門を過ぎてウンターデンリンデンを少し歩くと、左手にフランス大使館があり、多くの献花がされていた。西と東、という二つの陣営の対立は、確かにぎりぎりのところまでいったけれど、今、世界ははるかに混沌とし、新たな緊張をはらんでいる。
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