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2015年11月

2015年11月29日 (日)

懐かしく

演奏旅行から帰ってほっとしていると同時に、暗かったり寒かったりしたヨーロッパを懐かしく思う。ポール・セルー著(阿川弘之訳)「鉄道大バザール」にこんな文章があった。

 「大きな気持ちのいい列車であれば、目的地がどこであるかすら問題ではあるまい。客車の隅っこに一つ、席さえあったら、誰でも楽しい阿呆旅の仲間になれる。鉄路の導くまにまに行先へ着いてもよし、着かなくてもよし、・・・」

「列車は今、ごうごうと音を立ててクラッパムを通過している。旅とは、何かから逃げ出すと同時に何かを追いかけることだ、とかねて考えていた。」

旅行中の日記に少しずつ画像を加えていきます。(撮影はすべて eos m3 に22ミリf2のレンズ)

http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/1111-3844.html

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2015年11月27日 (金)

11月23日 ウィーン。

晴れ。風もなく、うむ「good cold」、と思って出かける。04年の演奏旅行でウィーンに来たときはやはり慌ただしく、楽友協会とホテルの間を行き来しただけだった。初めてウィーンの街を歩く。

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市立公園からシュテファン大聖堂を目指し、さらにローテントゥルム通りに沿ってドナウ運河まで。昼でも太陽光が低く射し、影が長く伸びて美しい。

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あちこちの路地に入り込みながらシュテファン大聖堂に戻り、国立歌劇場に着いた頃には風が強く吹きはじめ、石畳の冷たさもあって、「good cold」どころではなくなった。

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逃げるように部屋に戻り、少しさらう。今日のゲネプロは30分だけ。会場のコンツェルトハウスは舞台、天井、客席のどこを見てもきらびやかだった。楽友協会ホールもそうだし、ウィーンには金色の印象がある。

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コンツェルトハウスの音響は優雅で素敵だった。真横にはスケート場がある。聴衆は、クールだったなぁ。

ウィーンの街は、パリとはまた違った華やかさが魅力的だった。もう少し整然としていて、東ヨーロッパへの入り口を予感させる暗さもある。

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今日はなかったけれど、他の各地では演奏後、舞台上でソリストや指揮者に花束が手渡された。決して大きくはないその花束がいつも見事だった。残念ながらあの感じは日本にはなかなかない。

晩秋のヨーロッパに来るのは初めて。日が短いことと、天候に恵まれないことに驚いた。冬の厳しさは容易に想像できる。留学経験のある人に話しをすると、だから真冬のクリスマスを盛大に祝うのだし、春が来た時の喜びはひとしお、ということだった。東京にいてはわからない、西洋音楽の様々なことや、こちらの人々の強さの理由が少しだけ見えたような気がした。

さぁ、明日は日本へ。

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2015年11月25日 (水)

11月22日 ウィーンへ。

エッセンの空港に向かう車窓から田園風景を見ていて、ブラームスとクララ・シューマンとの間で交わされた手紙を思い出した。ブラームスの間奏曲やピアノ四重奏を聴く。

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ウィーンの市街に着いたのは夕方。雰囲気のある街は、思ったより暗く、美しい。

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夜は、桐朋の同期だったウィーン在住の女性二人と、都響の中にいるやはり同期の三人とで会う。そして、一人の女性はウィーンのチェリストと結婚していて、その彼、シュテファンと僕は以前シエナの講習で一緒だった。人の縁は不思議なものだ。当夜の演奏会が終わってから来てくれたシュテファンが加わって、さらに楽しい時間になった。

シエナでは同じロッシ通りのアパートに住んでいたと思うのだけれど、彼はそのことは覚えておらず、二人でバスに乗って海水浴に行ったことや(行き帰りの車中でずっとチェロや音楽の話をしていた)、ブルネロのクラスでは恒例になりつつあった真夜中のカンポ広場での水かけっこ(僕らは water battle と呼んでいた)のことなどを話した。90年代後半、ブルネロも若かったし、いい時代だったのかもしれない。

それから現在の話になった。彼が在籍するのは誰もが知る名門オーケストラ、聞いた仕事内容は驚くほどタフだった。日本人とヨーロッパ人のメンタリティの違いにも話が及んで楽しかった。彼の地では、互いの気持ちを察したり慮ったりすることなんてなく、とにかく自分を主張しないと始まらないらしい。

ウィーン在住の女性二人は日本にいた時以上にバイタリティにあふれ、しなやかにたくましくなっていた。日本でもやしのようになっていた僕も頑張ろう。

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この旅行の期間中とても大人しくしていたのだけれど、今晩はあっという間に時が過ぎ、ホテルに戻ったのは真夜中。

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2015年11月24日 (火)

11月21日 エッセン。
晴れ、なんと気持ちの良いことか。ホール裏の公園をくるりと一周してから、駅向こうの旧市街に足を伸ばす。
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当地でもクリスマスマーケットが始まっていて、華やいだ雰囲気の中、露店で売っている様々なものを見るのは楽しい。ただ旧市街の奥、マーケットが途切れたあたりは急に寂しくなる。ニセ警官が出没したらしい。駅構内には本物の警官がたくさんいた。
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夕方ゲネプロ。ベルリン公演の後半で聴衆がなかなか入って来なかったのは、1ベル、2ベル、3ベルまで鳴ってから演奏開始という慣習のはずが、ホール側が2ベルを3ベルと勘違いして指示を出した、との説明があった。なるほど。
公演を重ねるごとにゲネプロは短くなる。そんな中、大野さんはチャイコフスキーの第2楽章の旋律について、作曲当時の状況、そして我々が見たようにベルリンに壁が存在したこと、そのようなどうすることもできないことに対して音楽で表現してほしい、と言われた。
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19時半からプレトークで、大野さんとレーピンがそれぞれ説明しながらオーケストラとプロコフィエフの協奏曲の鍵となる部分を何ヵ所か弾いた。大野さんもレーピンもネイティブではないドイツ語を話しながら。(!)
プレトークが終わって楽屋口にいたら、煙草を吸いにきたレーピンが
「Good cold」
と言ったと思う。確かに心地よい夜の冷気だった。
20時開演。ルクセンブルクもエッセンも残念だったのはエンドピンを直接床に刺せないこと。コンサートホールなのだから・・・。音響は日本のホールに近いかもしれない。
協奏曲の後、拍手が鳴りやまず、レーピンはオーケストラの弦楽器にイ長調の分散和音を弾くように示して、いったい何だろうと思ったら、その和音にのってベニスの謝肉祭を弾き始めた。技巧的なパッセージが1つある度に聴衆から温かい反応がある。開演30分前に多くの聴衆が客席に着いてプレトークに耳を傾けることもそうだけれど、人間的な厚みを感じる。
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ヨーロッパにいるときはヨーロッパのものを食べるようにしている。でも今日ご厚意でおにぎりを頂いた。しかも梅と鮭の二つ。すべての道は胃袋に通ず、と言いたくなる。

2015年11月22日 (日)

11月19日 ベルリン。

朝食後、チェックポイントチャーリーへ。今の検問所は復元されたもので、観光地化している。83年の秋、僕は本当にここを通ったのだろうか。華やかな西ベルリンから、カーキ色の軍服を来た兵士のいる検問を抜けると、東側は色のない世界だった。

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再びウンターデンリンデンに出て、フンボルト大学、国立歌劇場を過ぎ、大聖堂へ。中に入って座ると、ちょうど正午の礼拝が始まった。思いがけず素晴らしいパイプオルガンの音色を聴くことができた。たくさんの階段を上がり、ドームの上へ。今のベルリンはそこかしこで工事をしている。

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テレビ搭を目指してアレキサンダー広場まで歩き、電車でホテルまで戻る。壁は断片化し、限られたところでだけ見られるモニュメントとなった。

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ゲネプロは夕方から。ベルリンのフィルハーモニーは広い。そして、舞台後方の客席最上部でも舞台の音は克明に聴こえる。コンセルトヘボウでは音に魔法がかかるけれど、ベルリンのフィルハーモニーはありのままだ。屈指の音響でよく響くと同時に、乾いた感じがある。

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もう1つ、フィルハーモニーの素晴らしいところは舞台裏のカフェテリアだ。食べ物が近くにあると落ち着いて弾ける。

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20時開演。後半、聴衆が半分くらいに減った中、舞台に上がる。前半の2曲、細川さんの新曲にはソプラノ歌手が二人、プロコフィエフの協奏曲はレーピン、とソリストが3人いたから、それで帰ったのか、と思った。チューニングも終わり、大野さんがチャイコフスキーを振り始めようとしたら、ぞろぞろ聴衆が戻ってくる。しばらく演奏を始めることができず、大野さんも

「こんなことがあるんですね」

と言った。

演奏が終わり、全員ではないけれど、立ち上がって拍手をしてくれる人々を見て、83年の2度のベルリン公演は総立ちのスタンディングオベイションだったことを思い出した。音楽の素晴らしさを教えてくれた最初の経験だったかもしれない。

ベルリン公演が終わり、体が軽くなった。

11月20日 エッセンへ。

昼の飛行機まで少し時間があったのでベルリン技術博物館へ足を伸ばす。以前ミュンヘンに滞在した時、足繁くドイツ博物館に通った。ミュンヘンほど広大ではないけれど素晴らしいコレクションだった。リリエンタールのグライダーから、全翼機を含む様々の航空機、エンジン(初期のジェットエンジンまで)、船舶、鉄道など、全部は見られなかったけれど、楽しかったなぁ。

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デュッセルドルフまで飛んでから陸路エッセンに。

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2015年11月20日 (金)

11月17日空路ルクセンブルクへ。

アムステルダムは自転車大国だった。専用道が整備されていて、たくさんの台数がかなりのスピードで走ってくる。手元にブレーキレバーのない自転車も多くあり、見るとどうやらペダルでコントロールしているらしい。坂のない国だからこの方が使いやすいのかもしれない。電動アシスト、なんてどこにも走っておらず、皆、雨天強風をものともせずたくましくペダルを踏んでいる。滞在中、晴れ間はなかったし、この国にいると忍耐強くなりそうだ。

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空港の保安検査が厳重になっている、との情報でホテル発は30分早められた。

上空で3日ぶりに陽の光を浴びてから土砂降りのルクセンブルク、フィンデル空港へ。壊れたスーツケースが5個もあった。うぅむ。

坂の多い東京に住んでいるせいか、ひたすら平らなオランダは不思議な感じがした。ルクセンブルクには起伏がある。木々の葉が黄色く色づき美しい。

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夕方ゲネプロ、20時開演。ルクセンブルクのホール付近は近未来的で、ガラスとコンクリートばかりだった。聴衆はクールだった。初めての国、ルクセンブルク滞在はわずかな時間で、空港・演奏会場・ホテルの3ヵ所のみ、という慌ただしい演奏旅行の典型的なスケジュールだった。

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11月18日 ベルリンへ。

昼の飛行機でベルリン、テーゲル空港へ。着陸しても陽が射していて、滑走路が金色に輝いて見える。ベルリンに到着だ。とるものもとりあえずブランデンブルク門を目指して歩く。

ベルリンには、旧東に83年と85年の2回、統一されてからは04年に来た。11年前は、それこそ空港・ホテル・フィルハーモニーの3ヵ所のみだったので、30年前の記憶をたどりながら歩く。あの頃、東側から見るブランデンブルク門は、柵の彼方に望むばかりで、その間には警備の兵士が歩き、門の向こうの壁の、さらにその向こうには西ベルリンから門を見るための階段があった。その階段に上ってこちらを見る観光客を、当時中学生の僕は複雑な気持ちで見た。

今は何の緊張感もなく門の下を行き来することができる。ただ記憶だけを携えて。

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門を過ぎてウンターデンリンデンを少し歩くと、左手にフランス大使館があり、多くの献花がされていた。西と東、という二つの陣営の対立は、確かにぎりぎりのところまでいったけれど、今、世界ははるかに混沌とし、新たな緊張をはらんでいる。

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2015年11月18日 (水)

11月15日アムステルダム。
昨晩から風が強く吹き始め、ホテルの窓がごうごう鳴っていた。朝食後中央駅へ。旧市街に出るつもりが、歩くのもままならない暴風雨に、駅構内の散歩に切り替える。ヨーロッパの中央駅は好きだ。停まっているどれかの列車に乗って知らないところに行きたくなる。
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小降りになってから街へ。運河沿いを歩くと、傾いた建物が、しかも傾き具合の異なる同士が身を寄せあっていて、何がまっすぐかわからなくなりそうだった。
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さらに歩いて美術館のエリアに。日曜日、ゴッホ美術館には長い行列ができている。隣の近代美術館へ。こちらの人たちがどのように現代美術やデザインに接しているか、見えるようでおもしろかった。
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僕はマレーヴィチの作品群と、シャガールの大きな絵が好きだった。日本ではまとまってマレーヴィチを見る機会があまりない。
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夕方、ストックホルムから陸送された楽器が到着し、少しさらう。
11月16日アムステルダム。
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部屋でゆっくりしてからコンセルトヘボウへ。覚えていたより小さく、白い部分が少ない。なんと記憶のあてにならないことか。動線は階段ばかりて使いやすいとは言えないし、客席床にはピンポン玉より小さな鼠が走り回っていた。
舞台は1階客席よりはるかに高く、舞台後方にはすぐ客席が続いている。昔そのあたりでブロムシュテット指揮のコンセルトヘボウを聴いた。確かベートーヴェンの英雄だったと思う。包まれるような音響を記憶している。照明は、東京のコンサートホールのように白く明るくはない。暖かい色みで、演奏者の顔には少し影ができる。なかなか劇的な印象だ。
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20時15分開演。まず追悼でバッハのアリアを演奏した。パリの人たちと、知人のことを思いながら弾いた。
コンセルトヘボウは、なんと言ったらよいのか、大人の音のするホールだ。日本にはないかもしれない。今日もメインはチャイコフスキーの4番。だんだんこの曲が好きになってきた。
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2015年11月16日 (月)

11月13日ストックホルム。

朝起きたらカーテンを開けて外を見る。今日も暗くてがっかり。午前中ゲネプロ。東京でのリハーサルから時間がたっているのでちょっと落ち着かない感じだ。今日の会場は舞台も客席も幅広で奥行きがあまりない。音は、木管楽器が遠い気がするけれど、客席で聞くとそうでもないようだ。

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夜、本番。ストックホルムのにこやかな笑顔の聴衆の前で弾けるのは幸せだった。朝の重たい気持ちと体が嘘のようだった。指揮の大野さんも生き生きと表情豊かだった。

終演後ホテルの部屋に戻ってから、パリでの事件を知った。

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11月14日空路アムステルダムへ。

空港に向かう車窓からストックホルムを見ていると、そこここに巨大な岩盤が露出しているのがわかる。この都市をつくっていく上できっと大きな問題だっただろうし、その過程でノーベルの発明したダイナマイトが使われたのだろうか、とぼんやり考えた。

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飛行機の高度が上がると、陽の光が射してきた。ストックホルムで太陽を見ることはなかった。冬晴れの東京は、実は大変なところではないかと思う。

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真冬のアムステルダムには来たことがある。しかもその時寒波が到来していて、運河が全面結氷した年にだけ開催されるというスケートの長距離レースが行われていた。100キロだか200キロだか、壮大な距離を、運河をつないだコースで滑る。選手たちの鼻からはつららが下がっていた。オランダ人たちは熱狂的にテレビを視ていて、これに優勝すると国民的英雄になれる、と聞いた。

さて、今日のアムステルダムはそれほど寒くない。街の感じは明るく、スーパーマーケットに行って、驚くような物価のストックホルムからみると、ごくまっとうな値段がついていることにほっとした。

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2015年11月14日 (土)

11月11日 成田空港発。飛行機から見る空はいつもと違う表情で美しい。青は僕の一番好きな色だ。

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夕方のウィーンは暖かく、拍子抜けした。

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乗り継いで夜のストックホルムへ。すでに霜が降りていて当地は寒い。今日は長い1日だった。それはそうだ、32時間あったもの。

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11月12日ストックホルム。

7時過ぎに目を覚ましたら、空が暗いのに驚く。少しだけさらってから街に出る。初めての街、聞いたことのない言葉に心が躍る。

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雨まじりの天気、淡い光が美しい。

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思いのほか街の色みが暖かく、ほっとする。旧市街を歩いていたらどこからかフランスの歌手、ZAZの歌声が流れてきた。来週彼女の日本公演があることを思い出した。気温が低いせいか、新しいカメラの電池が予想外に早く減る。

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僕は行かなかったけれど、夜は、明日我々が弾くホールでロイヤルストックホルムフィルの演奏会があり、都響の楽員も幾人か出かけた。どんな演奏だったか、どんな会場だったか、ひとしきり話が盛り上がった。

2015年11月 9日 (月)

「あたゝかに」

少し前の毎日新聞書評で紹介されていたのが「鬼貫句選・独ごと」。岩波文庫の表紙には『上嶋鬼貫は、「東の芭蕉、西の鬼貫」と並び称された元禄期の俳人』とある。知らなかった。そして2010年発行の本書も品切れのようだ。(最近僕が読もうとする本はことごとく・・・) その中から

「あたゝかに冬の日なたの寒き哉」

「柳は花よりもなを風情に花あり。水にひかれ、風にしたがひて、しかも音なく、夏は笠なふして休らふ人を覆ひ、秋は一葉の水にうかみて風にあゆみ、冬はしぐれにおもしろく、雪にながめ深し。」

Neko

先日街を歩いていた時のこと。とても背の高い人がいて、しかもこちらを見ている、と思ったら、新日フィルのチェリスト、スティーブン・フィナティさんだった。オーケストラを移って以来、ほとんど10年ぶりの再会だった。
また大きくなったんじゃないの、と冗談を言ってから、ものすごい勢いで様々なことを話した。あの頃の僕たちのお気に入りの冗談を忘れていないことももちろん確認した。奇妙なことに、僕が新日フィルにいた3年に満たない期間で、彼とだけ同じプルトに座ることがなかった。
61歳のフィナティさんが変わらず音楽と素晴らしい関係を持っていることがとても嬉しく、そして何より励まされた。

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