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2015年12月

2015年12月31日 (木)

年が明ける前にどうしても海を見たくなって出かけた。空の青と陽の光と雲と海の青がおりなすグラデーションはどんなに見ても見尽きることがない。
エルネスト・チェ・ゲバラ著「モーターサイクル・ダイアリーズ」の冒頭はこう始まる。

「満月の輪郭が海の上に浮かび上がり、銀色の反射で波を覆う。僕らは小さな砂丘に腰を下ろし、いろんな強さの力で波が寄せたりひいたりするのを眺めている。僕にとって海はいつでも相談相手であり、僕の言うこと全てに耳を傾けてくれて、信頼のもとに打ち明けられた秘密を漏らしてしまうことなく、一番良い助言をしてくれる、そんな友達だ。」

この個人的な日記を読んでくださってありがとうございます。今年、残すところあと数日になって、表面に現れていないことの大切さに、ようやく気付きました。体の芯が震えるようでした。

新しい年がどうか良い年でありますように。

2015年12月30日 (水)

図書館は一昨日で終わり、年末の本屋はいつもより混んでいる気がする。

演奏旅行に持っていって、でも帰国してから読んだのはポール・セルー著(阿川弘之訳)「鉄道大バザール」。特にベトナムを訪れるあたりは、開高健さんの文章を思い出さずにはいられなかった。それはポール・セルー自身のものなのか、訳の阿川弘之さんのものなのか、あるいはお二人の何かなのかはわからないのだけれど。セルーが日本にいる時の記述は的確過ぎて辛辣になる手前、と感じた。

少し前の書評で見つけたのはジョッシュ・ウェイツキン著「習得への情熱」。http://www.msz.co.jp/book/detail/07922.html
おもしろいと感じるところに付箋を貼りつけていったら、本が付箋だらけになってしまった。書評は淡々としたものだったけれど、僕には熱い本だ。

仕事の空き時間に見つけて、テンポの良さと痛快さであっという間に読んでしまったのはロアルド・ダール著「単独飛行」。どこかで聞いた名前、と思っていたら巻末、宮崎駿さんの解説でわかった。映画「チャーリーとチョコレート工場」の原作「チョコレート工場の秘密」を書いた人がイギリス空軍のパイロットだったとは。

上記の3冊もそうだし、今年興味深く読んだノンフィクション、クセノポン著「アナバシス」、ジャン・マルテーユ著「ガレー船徒刑囚の回想」、臨済録、ウラジーミル・アルセーニエフ著「デルスー・ウザーラ」、桂川甫周著「北槎聞略  大黒屋光太夫ロシア漂流記」、トール・ヘイエルダール著「コン・ティキ号探検記」にはとても勇気づけられた。
どうしてこの人たちはこんなに強いのだろう、と思いながら読んだ。それは自分はどうしてこんなに弱く、充分に生きていないのだろう、という気持ちの裏返しでもある。
クリストファー・マクドゥーガル著「BORN TO RUN  走るために生まれて」を読んで、少しだけ強さの源が見えるような気がした。時々その説は飛躍し過ぎでは、と思いながら楽しく読んだ。

もう一つ。この何年も、仕事の必要に迫られた時以外にオーケストラの曲を好きこのんで聴くことはなかった。音楽をめぐる様々なことにうんざりしていたのかもしれない。今、僕のipodにはブラームスやシューマン、ブルックナーの交響曲が新しく入り、時々聴いている。
チャールズ・ブコウスキー、晩年の著作にこんな文章があった。そう、ブコウスキーさん、あなたがそう言うのなら。確かに。僕の目を少し覚めさせてくれたのかもしれません。

「人に関して言えば、わたしが見つけ出したのは、実際にはすでにこの世を去ってしまってはいるが、本やクラシック音楽の中で生きている人たちだけだった。とはいえ彼らにはお世話になった。しばらくの間だけだったが。しかし魅力的で迫真的な内容の書物は限られた数しかなく、それから出てこなくなってしまった。クラシック音楽がわたしの拠点だった。そのほとんどをわたしはラジオで聴き、今も聴いている。そして今の今でさえ、力強くて、新鮮で、これまで耳にしたことのない音楽を聴くたびに、変わることなく驚かされている。しかもそういったことはしょっちゅうあるのだ。この文章を書いている今も、ラジオから流れているこれまで一度も聴いたことのない音楽に耳を傾けている。ひとつひとつの音を、新たなる血や意味の迸りを渇望している男のように大いに味わって楽しみ、しかもそうしたものが実際に含まれているのだ。何世紀にも何世紀にもわたる、偉大な音楽の汲めど尽きない豊かな泉に、わたしは心底驚愕させられている。ということはそんなにも多くの偉大な人たちがかつて生きていたというわけだ。そのことに関しては説明することができないが、そうした音楽を享受できたこと、感じ取れたこと、それらを糧にできたこと、そして賛美できたことは、わたしの人生に於ける実に幸運なできごとだと言える。ラジオをつけてクラシック音楽に耳を傾けることなしに、わたしはどんなものであれ決して書くことはできない。書きながらそうした音楽を聴くこと、それが常にわたしの仕事の一部となってしまっているのだ。ひょっとして、いつかそのうち、誰かが、どうしてクラシック音楽には驚嘆に値する人物のすさまじいまでのパワーが込められているのか、そのわけを教えてくれることにならないだろうか?どうやらこのわたしが教えてもらえることはなさそうだ。ずっと不思議に思い続けるだけなのだろう。どうして、どうして?それだけのパワーを秘めた本がもっとたくさんないのはどうしてなのか?作家たちはどうかしているのか?いい作家がほとんどいないのはどうしてなのか?」

2015年12月28日 (月)

「説明しにくいこともある」

何とはなく展覧会に行きたい、でも人混みは避けたい・・・、そう思って出かけたのがオペラシティにあるNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)で開催中の「ジョン・ウッド&ポール・ハリソン 説明しにくいこともある」http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2015/JohnWOOD_and_PaulHARRISON/index_j.html webサイトで公開されている予告編より実際の展示の方がずっとおもしろかった。いったい何がおもしろいのか、確かに「説明しにくいこともある」。どうしておもしろいんだろう。会場奥で上映されている映画は好きになれなかったけれど、手前で見られる作品には何度も笑った。 ヨーロッパに持っていった新しいデジタルカメラ、eos m3の画質には感心するばかりだった。少し前までどうしても気になったデジタルカメラ特有の輪郭の不自然さなんてないし、パソコンのモニターでかなり拡大しても問題ない。もうこれ以上写らなくていい、とまで思う。そして2週間の旅行中、歩く路地、吸う空気ほとんどすべてが初めてのものだから刺激的でない訳がない。帰国していつもの景色に戻り、すっかり写真を撮らなくなった。 思い立って昨日今日と、久しぶりにフィルムで写真を撮った。大きな一眼レフに50ミリレンズを着けて東京の街に出る。数ヵ月の間に街は少しだけ変わり、季節も移り、しっかりしたシャッター音と36枚撮りのフィルムが心地よい撮影のリズムを作り出し、新鮮で楽しかった。現像が上がってくるのは来年。

2015年12月25日 (金)

「パルムの僧院」

先月の演奏旅行には、ずいぶん考えた末、持っていく文庫を6冊選んだ。2週間それで足りるか、というのは杞憂で、結局スタンダール著「パルムの僧院」(上下巻)を読み終える前に帰国してしまった。他の本を開く時間はなかった。
「パルムの僧院」は本棚に長く眠っていた。どうにもとっつきにくかった。読み始めても、いったい今読んでいることが全体の何なのかつかみづらい。でも一旦物語の中にはいってしまうと、生き生きと力強く、見事だった。こんな話が書けるなんてすごいなぁ。

僕はノンフィクションを読むことが多い。それは「事実は小説より奇なり」という言葉通り、人智を越えたことはたくさんあるし、そうした人が考えたことではない何かを知りたいと、強く思うからだ。

でも「パルムの僧院」を読んでいる時、物語というものにずいぶん救われる気がした。フィクションの素晴らしい世界を堪能した。次の機会には是非「赤と黒」を読もう。

2015年12月18日 (金)

フリオ・ゴンサレス展

世田谷美術館で開かれている「スペインの彫刻家フリオ・ゴンサレス―ピカソに鉄彫刻を教えた男」展へ。http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
最初の明るく広い部屋に入った時から楽しかった。朴訥とした彫刻に陽の光が射し、さらに豊かな表情が現れる。鉄ならではの表現がある、と思った。
作品も展示方法も素晴らしく、なのにとても空いていた(他に一人しかいなかった)。広く開放的な建物は、葉山の神奈川県立近代美術館と同じように心地よかった。

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レストランとカフェがあり、カフェに入ってランチを頼んだら、特別なことはないワンプレートランチなのだけれど、一つ一つの食材が美味しくて驚いた。しばらく前、目黒区美術館に行ったとき、やはり併設のカフェでコーヒーを頼んだら、中高年の女性二人が楽しくお喋りしながら働いている様子だったのだけれど、その淹れてくれたコーヒーがとても美味しかったことを思い出した。
世田谷、目黒おそるべし。

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