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2016年2月

2016年2月26日 (金)

弦を伸ばす 5

特製弦伸ばし器で2週間ほどゆっくり伸ばしたヤーガーの1、2番線は、予想に違わず張った時からぱりっと明るく、反応が早い音の出方だった。張りたてのヤーガーの2番線はいつも鈍い感じがあり、それがだんだん開いていくのだけれど、伸ばしておいた弦にそういう含みの部分はなく、全てが白日のもとにさらされている感じだった。

次にスピロコアの3、4番線をやはり2週間ほど伸ばして張ってみたら、あのスピロコア特有の金属的な音がさらに多い感じで、数日我慢すれば良いことなのかもしれないけれど、耐えられず5分も弾かないうちにオイドクサに戻してしまった。僕は思っていたよりガットに馴染んでいるのかもしれない。

スピロコアに限らず、金属弦のしゃりしゃりとした倍音の成分が音の輪郭を形づくり、それが離れていてもぼやけない低音を生み出すのでは、と思っている。でも久しぶりに張ったスピロコアは、手元の変化に乏しく、なんだか楽しくなかった。弓毛と弦との接し方でつくる子音の種類が少ない気がするし(離れて聞くとまったく差は感じられない程度かもしれないけれど)、何よりピチカートの幸福度がまったく違うもの。

そして、ようやく新しいオイドクサを調達し、伸ばし始めた。
今までは気にしていなかったのだけれど、パッケージから出した新品の弦はまず、テンションをかけない状態でしばらく伸ばしてみることにしている。するとオイドクサの4番線は素直にまっすぐなのに、3番線は螺旋状にねじれる癖が強くついている。これはたまたまの個体差なのかもしれないけれど、いずれにしても弦は捻れの無い状態で張った方がいいだろうし、3番線の方が湿度の影響を受け易いのもこの違いからきているのかも、と思った。
今の目論見は、丁寧に伸ばしたオイドクサが驚くほど反応の早い"現代的な"ガット弦になること。ガットの新しい世界が見えたら、いいなぁ。

2016年2月24日 (水)

2月16日の日経新聞夕刊に掲載されたBASFジャパン、ヨルグ・クリスチャン・シュテックさんの記事から。

「皆なんて自信に満ちあふれているんだ ― 。バブル景気に沸いた日本を26歳で初めて訪れた記憶はいまも鮮烈に残っている。学生時代、研究旅行で外国を視察する決まりがあった。
・・・・・・・
特に印象深いのが日本人の自信だ。戦後になし遂げた経済発展への誇りを感じた。それから約20年。独BASFで日本法人赴任の辞令を受け取ったときは「あの日本」で働けるという夢がかない、心が躍った。

ところがどうもおかしい。会議に出ても日本人は静か。寡黙な文化は分かるが、いろんな場面で出会う日本人はあの頃に比べるとすっかり自信を無くしてしまったようにみえた。特に若い人たちだ。優れた教育や成熟した文化など、この国が誇れるものはたくさんある。あの頃の自信を取り戻すため、微力ながら自分も力を尽くしたい。」

2016年2月21日 (日)

小笠原、こだま分教室


都響の室内楽で小笠原へ。前回訪問時は3泊4日の滞在中毎日雨、暗闇でほのかに光る緑色の小さなキノコ、グリーンペペは見られたけれど、海はいつも灰色だった。その後、小笠原が世界自然遺産に指定されて広くメディアに取り上げられるようになり、映し出される海の美しさに驚いた。
果たして、小笠原到着日は晴れ。美しい海の色も、その水平線に沈んでいく夕陽も見ることができた。

島で演奏するといつも、皆さんが驚くほどよく聴いてくださるのに勇気づけられる。生き生きとした小笠原の方たちと、ゆっくり流れる時間は、前回よりはるかにうれしく感じられた。父島公演の翌日、母島に。日が暮れると、渡っていく風の木々を揺らす音だけが聞こえる。滞在中もっとも幸せな時間だった。

小学生の時使った水彩絵の具の中に、青とは別に「ぐんじょういろ」のチューブがあった。不思議な名前の色だな、と思っていた。おがさわら丸が竹芝桟橋を出、一夜明けてから見る大平洋の色は、確かに群青色だと思う。深く美しい。

父島と母島を結ぶ航路は50数キロ、ははじま丸で2時間ほど。おがさわら丸より小さな船で同じ外洋を渡るのだからけっこう揺れる。でも、甲板に出て海を見ていれば平気なことに気付いた。そして時々鯨の潮吹きや跳躍も見ることができる。
帰りのははじま丸も甲板で水平線を見ていた。うねりはより深くなり、時々陽が射す中しぶきをかぶっていたら、ウィンドブレーカーは白く塩をふいた。続く父島から竹芝桟橋に向かうおがさわら丸では、ずっと甲板にいる訳にはいかず、寝台に横になった途端、動けなくなった。波に持ち上げられた船体が、再び海面に落ちる時のずぅんという振動が朝になっても間断なく続く。大柄なジェットコースターに20時間くらい乗っていた感じだ。下船してもなんだかふらふらするおか揺れが、今日ようやく収まってきた。

竹芝に戻った翌々日、やはり都響の室内楽で、東大病院の院内学級、こだま分教室へ。演奏が終わって男の子が、音楽を聴いて病院にいることを忘れました、と言ってくれた。本当に本当にありがとう。小さなことに惑い悩む自分が情けなく恥ずかしい。

2016年2月11日 (木)

ムーティ自伝

何年か前、ムーティの自伝を立ち読みしていた時、たまたま開いたページに彼が暗譜で振るのを止めたエピソードが書いてあった。その時は、うーんおもしろいなぁ、と思ったのだけれど、少し時間がたつと、ムーティが誰に何を言われたから止めたのか、その肝心なところを忘れてしまった。ようやく自伝を全部読んだ。(「リッカルド・ムーティ自伝 はじめに音楽 それから言葉」 Riccardo Muti Autobiografia Prima LA MUSICA , poi LE PAROLE )

「私は暗譜で指揮した。当時はいつもそうしていたが、スヴャストラフ・リヒテルに「なぜ暗譜するのですか? 目は使わないのですか?」と尋ねられて以来、私は暗譜で演奏する習慣をやめた。彼のあの二言を聞いて以来、私は必ず譜面台に楽譜を置いて演奏することにしている。何ヵ月も譜読みして勉強しても演奏時に楽譜を見るとまた何か発見があるからだ。」

幸いなことにこれまで二度、ムーティの指揮で演奏する機会があった。彼の指揮からは音楽の動きはもちろん、音色まで見えるようだった。あれはいったいどういうことだったのだろう。
本書にはこんな文章もあった。

「古くから議論されていることだが、今日この音楽を楽しむことの重要性は理解されていない。私は個人的には、ピアノを弾くことを学ぶとか、うまく弾けるとかいうことが大して人生に役に立つとは思っていない。また、音楽に真面目に取り組むには、音楽を身につけなくてはならないと言っているのでもない。音楽とかけ離れたところにいても構わないのだ。繰り返すが、演奏家の集団を作るよりも、人々に音楽を理解することによって得られる大きな喜びを楽しんでもらいたいのだ。正直に言えば「音楽を理解する」という言葉さえ私にはしっくりこない。音楽には分からないことが多いからだ。例えば、私はプロの音楽家なので、他の音楽家と同様に、楽譜を読むということは、形式、和声学、対位法、音色、楽節、旋律を理解するということである。しかし、これはあくまでも単なる幾何学だ。この骨組みの後ろに何があるのかをすべて読み取ることはできない。ただ内面的に感じることしかできないのだ。だから、音楽の知識がなくても、恐れることは何もないと断言できる。時々、音楽について何も知らない人が、よく分かって演奏している人よりも深い反応を示すことがある。それは明らかに作曲家が伝えたかったメッセージを受け取ることができた時だ。劇場では音楽に対して純粋で無知な人のほうが、レコードを聞いて耳を鍛えたオペラ・ファンやオペラ通の人よりも楽しんでいることが多い。
その上、他のすべての芸術と音楽との違いは、音楽には不可解な割合が多いという点である。周知のように、音楽は音符という「符号」で書かれているが、符号が並べられた楽譜を表面的に演奏するだけでは音楽の表現にはならない。何世紀も前から、演奏表現そのものが不確定なものなのである。演奏家自身も毎晩表現が変わることがある。演奏している本人でさえ何が起こるか分からないことさえあるし、演奏家の作品に対する見方そのものまで変わることもあるのだ。」

2016年2月 7日 (日)

twill by twilight

少し前の録音をよく聴いている。チェリビダッケ指揮のミュンヘン・フィル、バーンスタイン指揮のウィーン・フィルあるいはニューヨーク・フィル、そしてジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団。
中学生の時、レコード店でずいぶん時間をかけて探して買ったレコードの一つがセルとクリーヴランド管弦楽団のブラームスの交響曲第2番だった。初めて聴いたブラームスの交響曲がこの演奏で、正直なところ、よくわからなかった。今改めて聴いて本当に素晴らしいと思う。
交響曲以上に好きなのが、オイストラフが両者とともに録音したブラームスの協奏曲。オイストラフのヴァイオリンは言うにおよばず、オーケストラの演奏も一段と素晴らしい。例えば和音をつくる時のヴィオラやチェロの音色のはまり具合が見事で、それしかない、と思えてくる。音楽家の層の分厚さを感じる。この演奏のライナーノーツにはフリッツ・クライスラー、85歳の時のインタビューが引用されている。

「オイストラフは、すべてのヴァイオリニストの中で、もっとも大切なものをもっている。それは、彼がゆるやかに演奏することだ。このすべてがスピード時代に生きているわれわれにとって、これは非常に稀であり、かつ貴重なことだ」

仰ぎ見るような巨人たちがいた時代、演奏にじかに接したらどんなだっただろう、といつも思う。セル&クリーヴランドに限らず、録音からきこえてくる音楽の大きくゆるぎのない流れを、今の僕たち演奏する者は持っているだろうか。

先月末、都響にはアラン・ギルバートが来て二つのプログラムを指揮した。
あぁやっぱりオーケストラの素晴らしさはこういうところだな、と幾度も思える時間は嬉しかったし、我々に足りないところも端的に示してくれたと思う。
二つ目のプログラムのメインはベートーヴェンの7番。大きい声で言えることではないけれど、新鮮な気持ちを持って弾く難しさでは第九とこの7番は並ぶ。弾く回数が多いのだと思う。でもアランと弾いた7番は伸び伸びとして楽しかった。
その前のプログラムのメインはアラン・ギルバート編のワーグナー、「ニーベルングの指輪」ハイライト。50分以上かかるのだけれど、二公演ともあっという間に最後のページにいた。
プログラムの最初は武満徹さんの「トゥイル・バイ・トワイライト」。曲名の由来は武満さんが辞書を開いた時、トワイライトという単語の隣にトゥイルという言葉があったから (twill by twilight)。「これ本当の話」とアランが言っていた。

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