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2016年2月11日 (木)

ムーティ自伝

何年か前、ムーティの自伝を立ち読みしていた時、たまたま開いたページに彼が暗譜で振るのを止めたエピソードが書いてあった。その時は、うーんおもしろいなぁ、と思ったのだけれど、少し時間がたつと、ムーティが誰に何を言われたから止めたのか、その肝心なところを忘れてしまった。ようやく自伝を全部読んだ。(「リッカルド・ムーティ自伝 はじめに音楽 それから言葉」 Riccardo Muti Autobiografia Prima LA MUSICA , poi LE PAROLE )

「私は暗譜で指揮した。当時はいつもそうしていたが、スヴャストラフ・リヒテルに「なぜ暗譜するのですか? 目は使わないのですか?」と尋ねられて以来、私は暗譜で演奏する習慣をやめた。彼のあの二言を聞いて以来、私は必ず譜面台に楽譜を置いて演奏することにしている。何ヵ月も譜読みして勉強しても演奏時に楽譜を見るとまた何か発見があるからだ。」

幸いなことにこれまで二度、ムーティの指揮で演奏する機会があった。彼の指揮からは音楽の動きはもちろん、音色まで見えるようだった。あれはいったいどういうことだったのだろう。
本書にはこんな文章もあった。

「古くから議論されていることだが、今日この音楽を楽しむことの重要性は理解されていない。私は個人的には、ピアノを弾くことを学ぶとか、うまく弾けるとかいうことが大して人生に役に立つとは思っていない。また、音楽に真面目に取り組むには、音楽を身につけなくてはならないと言っているのでもない。音楽とかけ離れたところにいても構わないのだ。繰り返すが、演奏家の集団を作るよりも、人々に音楽を理解することによって得られる大きな喜びを楽しんでもらいたいのだ。正直に言えば「音楽を理解する」という言葉さえ私にはしっくりこない。音楽には分からないことが多いからだ。例えば、私はプロの音楽家なので、他の音楽家と同様に、楽譜を読むということは、形式、和声学、対位法、音色、楽節、旋律を理解するということである。しかし、これはあくまでも単なる幾何学だ。この骨組みの後ろに何があるのかをすべて読み取ることはできない。ただ内面的に感じることしかできないのだ。だから、音楽の知識がなくても、恐れることは何もないと断言できる。時々、音楽について何も知らない人が、よく分かって演奏している人よりも深い反応を示すことがある。それは明らかに作曲家が伝えたかったメッセージを受け取ることができた時だ。劇場では音楽に対して純粋で無知な人のほうが、レコードを聞いて耳を鍛えたオペラ・ファンやオペラ通の人よりも楽しんでいることが多い。
その上、他のすべての芸術と音楽との違いは、音楽には不可解な割合が多いという点である。周知のように、音楽は音符という「符号」で書かれているが、符号が並べられた楽譜を表面的に演奏するだけでは音楽の表現にはならない。何世紀も前から、演奏表現そのものが不確定なものなのである。演奏家自身も毎晩表現が変わることがある。演奏している本人でさえ何が起こるか分からないことさえあるし、演奏家の作品に対する見方そのものまで変わることもあるのだ。」

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