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2016年3月

2016年3月30日 (水)

ジョルジョ・モランディ

東京ステーションギャラリーで開かれているジョルジョ・モランディ展へ。http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201602_morandi.html
言葉で説明することができないのだけれど、素晴らしかった。(4月10日まで)

年度末だからなのか、桜が咲き始めているからなのか、最近の東京はどこに出ても人が多くて驚く。

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2016年3月25日 (金)

昨日3月24日の都響定期演奏会、プログラムのメインは1963年に書き上げられたバーンスタインの交響曲第3番「カディッシュ」。
ほぼ全曲にわたって語りが入る。リハーサルの初日から語りが入り、耳に入ってくる一つ一つの言葉の重さに押し潰されてしまいそうだった。けれど、テキストの中に少し入れるようになると、あたたかいものを感じられるようになった。

テキストはサミュエル・ピサールによる。1度は作曲者からの要請を拒絶したピサールが2001年のアメリカでの事件を受けて書いたもの。今回の公演では夫人ジュディス・ピサール、令嬢リア・ピサールが語りをつとめた。ジュディス・ピサールさんの声は、重心がとても低く、こちらの気持ちまで落ち着くようだった。
ソプラノはパヴラ・ヴィコパロヴァー。響かないリハーサル室からサントリーホールに場所が変わって、彼女が見事にホールの響きに乗って歌っていることに驚いた。
舞台袖から本番の指揮台に来るインバルの歩調はいつもよりさらに生気にあふれ、笑顔が見えた。ずっしりと重いプログラムだったから、明るい顔は嬉しかった。

サミュエル・ピサールのテキストから

"I can forgive, but I cannot forget.
The wounds of my flesh and my soul
may have healed long ago.
But wounds of the heart
that bleed for loved ones, never heal./

Now, one of the last living survivors
of those monstrous crimes,
my life is no longer entirely my own.
They also live within me!/

I must transmit their awesome legacy
to future generations of all colors, races, and creeds,
lest similar crimes destroy their world,
as they once destroyed mine.

For the unimaginable is again possible.
When rampant economic and political upheavals
unleash turmoil, insecurity and fear,
populist folly empowers bloodthirsty leaders."


"Yes, providence has smiled upon me,
and today my cup truly runneth over./
But in the end, what am I,
if not a humble messenger
from a world that once collapsed,
alarmed to see the present world
heading for another collapse?

And what is my message, if not that man,
though created in your image,
and endowed with freedom to choose between good and evil,
remains capable of the worst, as of the best,
of hatred, as of love,
of madness as of genius.

That unless we heed the lessons of the past,
cherish the sanctity and dignity of human life,
and uphold the core values of all great creeds,
sacred and secular, the forces of darkness will doom
our dreams of a radiant future,
with peace, freedom and prosperity for all. // "


今朝はシューベルトの交響曲第5番を聴いている。光と自然な流れに満ち、困難なことは何もないように見える。

2016年3月15日 (火)

最近の身の回りの変化といえば、とうとう電子書籍リーダー(kindle voyage)を買ったこと。
家の小さな本棚はとっくに溢れ、解決策として近所の図書館を利用するようになったのだけれど、そちらの問題は、少し古い本になるとカビなのかホコリなのか、くしゃみを誘い出すことがあること。マスクをしながら夢中で読んだこともあった。
このところ旅の仕事が続いた。先月は神曲を読んでいて(分厚い文庫本で3冊)、そのあとモンテ・クリスト伯(岩波文庫版で7冊)を読もうと思っていたから、関西に出かける前日にKindleを手にいれた。
もちろん便利で軽い。続き物でも重たくならない。ページを押さえておく必要もない。1人で食事をするとき本を読みながら、という横着はまさにKindleのためにあるような状況だ。wifiさえあれば危険なほどたやすく新しい本が手元に入る。絵や漫画は見にくいし、本を読んだ、という実感も薄いけれど。
教えてもらって、モンテ・クリスト伯の合間にKindleですぐ読んでしまったのは池谷裕二著「脳には妙なクセがある」。http://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594069513
示唆に富んでいて様々なことに気付かされ、とても有り難かった。
また先日あるチェリストに教えてもらったのはフォイヤマンが弾くポッパーの紡ぎ歌の動画。https://youtu.be/0F9TDRKiixg
言うまでもなく紡ぎ歌は技巧的な曲だけれど、演奏中の上半身を見ると、落ち着いていて美しい。何も難しいことはないようだ。
昨日出かけたのは2121デザインサイトで開かれている「雑貨展」。http://www.2121designsight.jp/m/program/zakka/index.html
冷たい雨の降る平日昼間だったのに、けっこうなにぎわいだった。うまく説明できないけれど、確かにおもしろかったもの。

2016年3月 9日 (水)

3月4日の日経新聞に掲載された写真家、畠山直哉さんの記事から。

「20世紀の表現者は文化史の先端に自らが立つことを至上の課題としてきた。だが大地震のような1000年に1回という出来事の前では、「先端」も所詮、ある限定された時代を反映しただけの矮小なものに感じられる。震災後、私は杉浦さんの写真の束のような、美術史の議論など関係ないところで成立している作品に心引かれるようになった。」
「今、芸術や文化について考えるのは本当に難しい。震災直後から、希望や未来を軽々しく語る言葉と、結論ありきの表現があふれたが、果たしてああいうものに何かリアリティーがあったのだろうか。一方、若い美術家に広がる社会参加型アートの動きは、自らの正しさを疑わないところが鼻白む。ではどうしたらいいのだろう。
私の目には、復興が進む故郷の姿は、日に日によそよそしいものになってきている。自分がまるで過去のない人間のように思える。それでも撮り続けている。自分にとって自然なことをするという、ナイーブなところから出発するしかないのだろう。そして、そんなふうにして写真を撮り続ける私の姿を見て、少し気が楽になったという人がいてくれたらと思う。」

2016年3月 7日 (月)

昨日までの1週間、兵庫県立芸術文化センター(hpac)のオーケストラにいた。
若者たちのオーケストラで弾いていると、時として歯がゆい思いをすることがある。けれど、僕が年を重ね経験を積んでいく中で失いかけているものを彼ら彼女たちに感じ、力をもらえる素晴らしい機会だった。一緒に弾いた3回の演奏会はまさに僕にとって必要な時間だった。

ソリストはサボルチ・ゼンプレーニ。初めて弾いたシュトラウスの2番のホルン協奏曲はとてもいい曲だった。実に音楽的なソロを吹いたゼンプレーニは毎回見事なアンコールを披露した上でさらに後半、シューマンの交響曲「ライン」でも1番ホルンを吹いていた。たいしたものだ。彼はたとえ他の楽器を演奏していたとしてもきっと素晴らしい音楽家だろうと思う。

もうひとつ、今回hpacの外国から来ているメンバーに接して感じたことは、日本語を話す、話そうとしている者が以前より増えていること。訪日外国人が増えているこのところの流れと関係あるのだろうか。
終演後帰京して今日は休み。さて、確定申告が待ったなしだ。

2016年3月 3日 (木)

3月3日の日経新聞に掲載された加藤典洋さんの記事から。

「技術革新に期待して産業社会を無限に機能させようとする態度は現実逃避か後退だ。一方、経済を敵視するエコロジーは、無限を求める人間の本質を見ていない。何かを諦めるのではなく、新しい原理に更新することはできないか。
人間は何かを「することができる」だけでなく、「することも、しないこともできる」存在だ。利益を果てしなく追求することを「しない」選択もできる。人間が力を発揮する方向性を別に向けることは可能かと考え続けている。
たとえばフェイスブックやリナックスのようなネットの情報通信革命は示唆的だと思っている。これらのサービス・製品はカネにならない開発を純粋に面白がる感性が原動力となった。見返りを期待しない「贈与的動機」が結果的には巨大な産業を生んだ。」

「米神学者のラインホルド・ニーバーは「変えられるものを変える勇気と、変えられぬものを受け入れる冷静さと、そして変えられるものと変えられぬものを識別する知恵を、神よ与えたまえ」と説いた。この言葉を胸に、私たちは難しい時代に向き合わねばならない。」

2016年3月 1日 (火)

2月29日日経新聞夕刊に掲載された山田洋次さんの記事から。

「いつだって喜劇を作りたいと思っている。観客が大笑いしてくれる映画は夢だよ。お客さんだってそういう映画を見たいんじゃないかな。でもできない。日本映画もアメリカ映画もテレビドラマも文学もみな深刻になってしまった」
「社会の奥にメスを入れる映画も大事だけど、作り方としては楽なんだ。ふっと一息ついたら、滑稽な人間たちがいて、思わず笑って、人間性を回復していく。そういう映画の方がはるかに難しい」
「窮屈で不安と危機感に満ちた時代だからこそ、笑える映画を作らないといけない。緊張をあおるのではなくて、ユーモアを交えながら話し合おうじゃないかと。でもそれがなかなかできない」
「楽天的になるのは難しい時代だ。でも楽天的でないと喜劇はできない。喜劇とは、くだらないジョークでなくて、人間ってなんて愚かなんだろうと思ってつい笑ってしまうもの。それを作るには人間をちゃんとわかってないといけない」

また先日、ふと入った本屋で見つけて、あっという間に読んだのは野村克也著「凡人の強み」。おもしろかったなぁ。野村監督のボヤキがよくメディアに乗っていた頃、それを聞くために夜のスポーツニュースを見ていたことを思い出した。

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