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2016年6月

2016年6月26日 (日)

イギリスのEU離脱に驚いた。イギリスだけでなく、世界の様々な国々、地域、そして人々が内向きにならないことを願うばかり。

こんなツイートがあった。
「EUやばいんだって、EUがそもそもなんなのかまったくわからんけどって友達にらいんしたら、あたしSoftBankだから大丈夫って返ってきた、まじで大丈夫じゃない」
どんな時もユーモアを忘れないようにしよう。

もう一つ悲しいニュースが。カメラマンのビル・カニンガムさんが亡くなった。彼のことはドキュメンタリー映画でしか知らないけれど、自由で素敵な方だった。こんなに自由な人はどのくらいいるだろうか。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160626-00010001-bfj-int


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昨日、外国の素晴らしいオーケストラに所属する方と一緒に室内楽を弾かせて頂く機会があった。前日に2時間リハーサルをした。始まってすぐ、音楽全体の大きな設計図が見えるようだったし、やっぱりそうですね、と感じることがあったし、何よりこちらの心も解放されるようだった。
演奏が終わってから、そのオーケストラがどのように運営されているのか、メンバーがどのような気持ちで音楽を仕事をしているのか、オーケストラがどのように変化してきたか、もう一つの素晴らしいオーケストラとの違いや交流など、興味深い話をたくさん伺った。同時に、一人の音楽家として、オーケストラプレーヤーとして大切なことを教えて頂いた。

2016年6月22日 (水)

メサージエスキス その3

メサージエスキスのゲネプロは4時半から。
その前からケラスさんはリハーサルをしていて、幸運なことにコダーイの無伴奏をほとんど全て聴くことができた。基本的には力を抜いて通しているのだけれど、ところどころ繰り返して練習する。ちょっとしたその練習の仕方が興味深かった。(彼でもそこは難しいんだな、と少し安心するところはあった) 見ていると両手が同時に楽器から離れることはあまりなく、右手が飛ぶときは左手が指板の上を這うようにシフトし、左手が離れても、ほとんど持っていないように見える弓がいつも弦と親密な関係を築いている。
弓使いはかなり不思議で、持っていないようだし、弓先は弓の重さだけで弾いているように見える。力で弾くことがないように見えるのは、とゲネプロの合間に尋ねてみたら、楽器の反応がいいから、弓を乗せただけで音が出るし、力は入れないようにしている(may not force)。弓先は状況による、と言われた。

難しいパッセージを弾いていても、易しい部分でも体の軸はぶれない。力や動きがどこかで偏ったり滞ったり固まったり止まったりすることがないように見える。

僕たちとのリハーサルが始まっても上機嫌で、昨晩は(ブーレーズは6時までだった)11時から明け方の3時まで新曲をさらっていたこと、深夜のリハーサルスタジオには色とりどりの格好をしたロックミュージシャンたちがいて、東京のロックシーンがわかるから、皆にも深夜のスタジオをお薦めするよ、防音室の扉が開くと、大きな音が聞こえてくる、一方僕はチェロを大人しくさらっていた、と笑いながら話していた。
ブーレーズのリハーサルが終わると、作曲者立ち会いのもと、藤倉さんの新曲があって、さらに舞台上でのフォトセッションを交えながら6時過ぎまで弾いていた。

7時開演、前半は僕も客席で聴いた。ラッヘンマンのプレッションは、ほとんど通常の奏法を用いない曲で、よくもそんなに考えついたものだ、と感心するほど様々な方法でチェロからノイズを引き出していく。その豊かさに、もし演奏会でなかったら、ぼくは笑い転げていただろう。本番のコダーイはゲネプロとは違って緩急自在に熱く、30分の曲はあっという間に最後のシ・レ・ファの明るくなったり暗くなったりする分散和音になっていた。

後半は細川さんの線Ⅱ、BUNRAKU、藤倉さんの新曲osm、それからメサージエスキスだった。ひたすら待っている1日だった。スリルは満点だけれど、瞬間最大風速的にあっという間に終わった。弾き終わって戻った舞台袖でケラスさんは
「We survived!」
と叫んだ。晴れ晴れとした本番だった。

なんと彼は、翌水曜日はバッハの無伴奏全曲、その翌日はおそらくリハーサルで、さらにその翌日がデュティーユの協奏曲、さらに次の日は伝統楽器との演奏会、だそうだ。
それが可能な体や頭の使い方をしているのだとは思うけれど、彼を見ていると人間にできないことはない、と思えてくる。僕たちの感覚からするとものすごくタフなことをしているはずなのに、そういう悲壮感は全くなく、軽々としている。すごいなぁ。僕は常識やら経験やらにすっかり囚われ、身動きができなくなっていたのかもしれない。

今回初めて一緒に弾いた若者たちは皆生き生きと素晴らしかったし、特に門脇君にはケラスさんの弾き方の話から、体の使い方をいろいろ教えてもらった。僕にはまだすることがたくさんある。
今ごろ杉並公会堂ではバッハのリハーサルが始まっているだろうか。

メサージエスキス その2

月曜日のリハーサルは和やかな雰囲気で始まった。いくつも具体的な指示があっておもしろかった。それはそうだ、ケラスさんは作曲者と演奏しているのだもの。作曲者の息遣いに触れられるのは現代音楽の醍醐味の一つだと思う。

・最初のゆっくりな部分、プリンシパルのチェロにからむミ♭のコル・レーニョはモールス信号のように。
・練習番号4からの部分、点がついている16分音符は極端に短く(彼が示してくれたのは、弓の毛が弦に噛む音だけだった)、小さく。点のない16分音符はon the stringで長く。ユニゾンでフォルティシモの16分音符は弓を使ってできるだけ大きい音で。伸ばす音、頭のアクセントの後はすぐに小さくして。
・練習番号8から、トリルのかかった全音符は長いディミヌエンドが書いてあるけれど、最初の3つは音程が下がるように書いてあり、自然にそう聞こえるので、小さく弾こうとしないこと。

メサージエスキスには作曲者が指揮したケラスさんの録音がある。素晴らしい演奏だ。リハーサルの前日に聴いたらすごいテンポでびっくりした。楽譜には四分音符で132(とても速い)と表記してあるのだけれど、確実に上回っている。
リハーサルの時にそのことを言ったら、こんな話をしてくれた。その録音は演奏会の翌日に行われた。演奏会も録音もブーレーズ本人が指揮をして、テンポは144を要求、弾くほうは大変だった。でも翌日に録音が始まると142で、と少しだけ譲ったそう。

その速い部分、ケラスさんが弾くパートは、一見不規則な感じのする16分音符がひたすら続く。しかもアクセントが様々な箇所に入り、弾くのは人間技に思えないほどだ。この部分をどう感じているのか聞いてみた。(実はこれまで何度かメサージエスキスを弾いてきたけれど、どう捉えたらよいのか、ずっと誰かに聞いてみたかった)
2つあって、一つは8ヶ月前から準備すること。期日を気にせずにゆっくり準備することが必要、という意味だと思う。考えずに弾けるようになるには3ヶ月くらいでは不十分ということだった。
もう一つは分析をすること。誰かがこの曲の素晴らしいアナリーゼをしてくれたのだけれど、残念なことにその行方がわからないと言っていた。実際に少しだけ弾きながら解説してくれた。演奏中にそれを考えることはないとしても、意味のある音符のほうがはるかにさらいやすいはずだ。どうやらあの16分音符の羅列はだいたい体に入っているらしい。羅列どころか、フレージングがあって音楽的に聴こえた。お洒落ですらあった。

休憩時間にはスポーツは好き?となった。
サッカー、バイエルンミュンヘンのキャプテン、フィリップ・ラームのインタビューの話をしてくれた。チームの司令塔として、動きのある試合の中で、10人の同僚の戦略をどのように組み立てるか、という質問に、考える時間はないから反射(reflection)で。反射で動けるようになるために練習をする。
ル・マンの決勝、残り3分に首位のトヨタが、という話をしたら、やはりこちらも行われたばかりのバスケットボールNBAファイナル、クリーブランド・キャバリアーズ対ゴールデンステイト・ウォリアーズ戦の劇的な展開のことになった。
また、ボストン交響楽団で長くコンサートマスターを務めたシルバースタインについて、彼が長く一線で弾いていられたのは、常に演奏会の日程から逆算して準備をしていたから、ということだった。
これらの話はみんなメサージエスキスの準備を8ヶ月前から、という話題につながる。そういう練習をすることに魅せられるんだ、と言っていたと思う。もっとも、いつも充分な準備ができる訳では、とも言っていた。

メサージエスキス

昨日トッパンホールでジャン・ギャン・ケラスさんの現代曲ばかりのリサイタルがあり、その最後、ブーレーズ作曲メサージエスキスに参加した。ケラスさんがプリンシパルのチェロ、6人のテュッテイを務めたのは岡本侑也君、上野通明君、伊東裕君、堀沙也香さん、門脇大樹君、僕。6人で土曜日に音を出し、月曜日に2時間全員でリハーサル、火曜日本番。新鮮で刺激にあふれた時間だった。

メサージエスキスは瞬間最大風速のような曲だ。ソロチェロは言うまでもなく、6人にも大変なところがある。練習番号でいうと4番から始まる3拍子の部分と、曲の最後、8分の6拍子の部分だ。実際演奏に要する時間はそれぞれ2分と40秒しかないけれど、指示されたテンポがとても速い。リハーサルの始まる3週間くらい前からメトロノームと友達になり、遅いテンポから少しずつ上げていく練習を久しぶりにした。

2016年6月20日 (月)

一昨日、昨日と決勝が行われたル・マン24時間耐久レース、20時間を過ぎても首位トヨタと2位ポルシェの差は30秒も無く、大変なことになっていると思った。(時々Youtubeで中継を見ていた)
最後の最後残り3分で、首位を走っていたトヨタ5号車がストップ、ポルシェが逆転・・・。

さて、来月はツール・ド・フランスだ。

2016年6月16日 (木)

昨日の都響定期演奏会は平日14時の開演だった。客席には多く入って頂き、年齢層も思ったより広かった。予定を変えて来て下さった方も、都合できずに、という方もきっといらしただろうと思う。僕は明るい時間の演奏会が好きだし、リハーサルも、特に込み入った曲の時は午前中にやってほしいと思う。もっとも昔はひどい寝坊で、今も朝は早くないのだけれど。

今日は上野動物園へ。

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2016年6月13日 (月)

サン=テグジュペリに関する本を探して、図書館でレオン・ウェルト著「僕の知っていたサン=テグジュペリ」を借りてきた。著者は「星の王子さま」を献呈された人だ。その献辞を(池澤夏樹訳)

「 レオン・ウェルトに

この本を一人の大人に捧げることを許してほしい、とぼくは子供たちにお願いする。大事な理由があるのだ。まず、その大人はぼくにとって世界一の親友だから。もう一つの理由は、その大人は子供のための本でもちゃんとわかる人だから。三番目の理由は、その大人は寒さと飢えのフランスに住んでいるから。慰めを必要としているから。これだけ理由を挙げても足りないようなら、ぼくはこの本をやがて彼になるはずの子供に捧げることにする。大人は誰でも元は子供だった(そのことを覚えている人は少ないのだけれど)。だから、ぼくはこの献辞をこう書き換えよう ―

小さな男の子だった時の
レオン・ウェルトに 」

レオン・ウェルトの文章から

「危険に親しんだ者たちにとっては、ときに危険は打ち負かすべき怪物のようなものだ。彼らはペルセウスがゴルゴンに向かっていくように、怪物に向かっていく。しかしサン=テグジュペリは危険に対して、軽蔑をもってするのではなく、ある種の貴族的な無頓着さをもって対処していた。」

2016年6月12日 (日)

「人間の大地」

シュリーマン著「古代への情熱」を探しに本屋に行ったら、その近くにサン=テグジュペリの本が並んでいた。こんなに素晴らしい本を書く人だったとは。「夜間飛行」と「人間の大地」を続けて読んだ。今の僕は、子供の頃そうだったように、読むスピードが速くなっている。でも「人間の大地」は読み飛ばさないように読み飛ばさないように、読んだ。こう始まる。

「大地は僕ら自身について万巻の書よりも多くを教えてくれる。なぜなら大地は僕らに抗うからだ。人間は障害に挑むときにこそ自分自身を発見するものなのだ。ただし、障害にぶつかるには道具が要る。犁や鍬が要る。農夫は土を耕しながら、自然の神秘を少しずつ暴いていく。そうやって手にする真実は、普遍的な真実だ。それと同じように、定期航空路線の道具、つまり飛行機も、古くから存在するありとあらゆる問題に人間を直面させる。
アルゼンチンでの最初の夜間飛行中に見た光景が、今でも僕の目に浮かぶ。 ・・・・・ 」

Ladybird

品川、キャノンギャラリーで開かれている「青春18きっぷ」ポスター紀行展へ。http://cweb.canon.jp/gallery/archive/18-ticket/index.html
大湊線、飯田線、氷見線、城端線、山陰本線鎧駅、大村線、行ったことのない場所、見たことのない景色。旅に出たくなる。

2016年6月10日 (金)

今日は休み。ポーラ美術館まで足を伸ばした。

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2016年6月 6日 (月)

リハーサルの後、サントリー美術館へ歌川広重の浮世絵を見に。http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_2/
大胆で鮮やかで、胸のすくような浮世絵だった。広角レンズを使って遠近感を強調したような構図も、望遠レンズを使って遠近を圧縮したような構図もあった。江戸時代、こういう優れた道具はあっただろうか。しかも対象を思い切りよく画面からはみ出させたり、水平を崩したり、雨や風、雪の表現が見事だったり。その上、淡く深い色合いも素晴らしかった。空や水の青は何枚見ても素晴らしい。いきなり絵の中にひきこまれ、時間のたつのを忘れた。

2016年6月 1日 (水)

X70

たいていは家電量販店でその気もなしに手に取った、ということがきっかけになるのだけれど、時々カメラが欲しくなる。昔写真に夢中だった頃はそういうカメラは、ほぼ躊躇なく、しばらくすると手元にあった。今はできるだけ他ごとを考えるようにしている。

さて、気になっているのはX70という小さなカメラ。宣伝する訳ではないけれど、素晴らしいことに富士フィルムはカメラレンタルをしている。しかも1日なら無料。昨日、借りて小網代の森に出かけた。使い勝手がいいのに加えて、パートカラーという機能が楽しかった。決めた色以外はモノトーンになる。(前持っていたカメラにもあった機能だけれど、その時はまったく使わなかった。なぜだろう) これを持って街を歩くと楽しい。

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