スペシャルのドルチェ
何年か前まではわりと熱心に、新しい弦が出れば試していた。その他にもあのエンドピンこのエンドピン、あの部品この部品、あの松脂この松脂、・・・・・。もう少し前は誰か素晴らしいチェリストがいると、どんな楽器を使って、どんな弦を張って、どんな部品を使って、ということにとても興味を持っていた。
今はあまり気にしない。目に見えていることはそんなには重要でない、と気づきはじめたのだと思う。
自分の楽器や弓のセッティングに細かく気を使っていた時期は長かった。今は、もちろん大切に扱うけれど、楽器や自分や音楽が自然に整っていくような弾き方ができたら、と思っている。このところ楽器に手を入れることはあまりないし、弦も古典的なものを使い、松脂は以前ご好意で頂いた缶入りのベルナルデルを家宝のようにしている。弦を変えたくないのは、別のものを使い始めるとスペアも新しく用意しなくてはならないし、最初は良くても使っていくうちに楽器が鳴らなくなる、という残念な経験をしたことにもよる。
あまり道具を気にせず、身一つでさっと演奏に入れるようになったら本当に素晴らしいなと思う。
こんなふうに考えるようになったのは、年末に放送された沢木耕太郎さんのラジオを聞いたことが大きい。毎年1回、深夜のj-waveで放送される番組を僕は楽しみにしていて、昨年とても印象的だったのは、より深い自由を、という話だった。それは沢木さんが贈られた腕時計の話に始まり、結局今は安価なものを使っている、ということから自由とは、とつながっていったと記憶している。沢木さんは直接そういう言葉を使っていなかったけれど、僕は放送の後しばらくして、こだわらない、こだわることからの自由、ということなのかな、と思った。
もう一つ、昨年のツール・ド・フランスで。確かドイツ人の選手だったと思う、その日調子良かったのに自転車にトラブルが起き、途中で同僚から差し出された、必ずしも彼にはフィットしていないはずの自転車に乗り換えた。結局最後まで見事な走りをみせ、ステージ優勝をとげた。この大きな自転車レースでは連日200キロ近い距離を走るのに、大差で勝負がつくことはあまりない。だから道具がフィットしているかどうかはきっと切実な問題だと思うのだけれど。毎年ツール・ド・フランスを見てしまうのは、様々なことを超えていく人間の力の強さを感じる時があるからだ。
何かが定まったのか、あるいは無関心になっただけなのか、この1、2年楽器や弓に関しては何も変化がなく、落ち着いた気持ちでいたのだけれど、最近a線の硬く薄い感じが気になるようになった。ヤーガーの短所が目立つようになってしまった。思ったより歌わないし踏み込める奥行きもほとんど無い。僕の乏しい能力のせいだけではないような気がした。
ヤーガーのa線d線の最大の長所は倍音の素晴らしい伸びだ。だから僕は新製品が次々に出てきても、結局この古典的な弦に戻ってきた。ただ、その倍音の伸びは神経質な性格と表裏の関係にある。
ラーセンが出た時は衝撃的だった。無理がきくし、強く踏み込んでも音がつぶれない。こんなに素晴らしい弦があるのかと思った。だから上2本をラーセン・下2本をスピロコア、あるいは4本ともにラーセンという組み合わせは今のスタンダードになっているし、実際素晴らしいと思う。(もし一つ難点を挙げるなら、ラーセンとスピロコアを組み合わせた時、その境となるd線とg線の五度音程が、なぜかとても合いにくくなる)
不思議なのは、その穏やかで力強いラーセンを張っていると、いつの間にか楽器がこもる感じになる。これは楽器によるのかもしれない。そんな時ヤーガーを張ると潤いが戻ってほっとする。こんな揺れ動きを数年の長い周期で繰り返してきた。
今回はラーセンにする気は起きず、ヤーガーのスペシャル、その中のドルチェ(張力が低い)に思い至った。
以前ヤーガーのスペシャルが出た時、早速試して素晴らしいと思った(フォルテの強さにミディアムの倍音の伸びをあわせ持つ)のだけれど、張りが強すぎるのか、やがて低音が鳴らなくなった。弦は難しい。
ヤーガー社のホームページにはそれぞれの弦の太さと張力が公開されている。
http://www.jargar-strings.com/products/cello/
おもしろいことにクラシック、ミディアムのa線d線とスペシャルのドルチェのそれは太さが一緒だ。スペシャルのドルチェ、なんてちょっと屈折した感じがするけれど、張って2週間ほど使った感触はとてもいい。深く落ち着いた音色でよく歌う。
そうして弦を変えた頃、松脂に関して新しいことがあった。さんざん松脂を試した僕は結論として、いざと言うときは宝物のような缶入りのベルナルデルを使い、普段は重野さん特製の黒い松脂を使っている。
ある方がニーマンの松脂を教えてくださった。コントラバス用のものが知られているようだけれど、そうではなくヴァイオリン用。弓の毛と弦が経験しなかったほど密接につながり、何年も使ってきた弓の印象が変わった。毛と弦が親密になり過ぎて、ヴァイオリンではぐぎぐぎの音になってしまうのでは、と要らぬ心配をしてしまう。思いの外影響が大きくて、使う弓も弾き方も変わってしまった。まさか松脂が弾き方へのヒントになるとは。
いつの頃からか、演奏会のプログラムやCDのライナーノーツには演奏者の使用楽器が記されるようになり、楽器の市場には様々な資金が入って、名器と呼ばれるものはほぼ、個人の手の届くものではなくなってしまった。僕はできることなら、弘法筆を選ばず、という人間になりたいと思っている。でも今回のことは大きく僕を進ませてくれた。
今はこんな風に考える。その楽器や弓の金額や市場価値の多寡に関係なく、その人にとってかけがえの無い存在になったとき、きっと何かが始まるのだと思う。
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