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2016年10月12日 (水)

「グッバイ、サマー」

10月9日、日経新聞に掲載された林家正蔵さんの「言葉を食べて力となす」という文章から。

『お客様から木戸銭を頂戴し、御機嫌を伺うべく高座にあがることを、日々の生業としている。出囃子が鳴りいざ出番になるともう何十年も同じことのくりかえしのはずが、まるで駆け出しの前座のように、ドキドキと胸が高鳴る。
「緊張しない奴は、いい高座は勤まりませんョ」とは古今亭志ん朝師匠が私に言って下さった大切な言葉。無垢な了簡でとり組んでいても、悩み、苦しみ、気弱になる。いや無垢だからこそ、まともにぶつかり考え込むのである。これは性分だから仕方ない。』

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すっかり秋の空になった。

映画「グッバイ、サマー」へ。http://www.transformer.co.jp/m/goodbyesummer/
主人公たちは14歳という設定、実際その年代の子供たちが演じているのだけれど、見事だった。彼ら彼女たちが演じている、なんてこれっぽっちも思わずに画面に見入り、終わってから、あぁこれは映画だったと気付いた。主人公ダニエル役のアンジュ・ダルジャンは映画初出演だそう。そういう若者を主演にして映画を作るのは、見当もつかない道を歩いていくようで、けれどきっとわくわくする時間だっただろう、と想像する。
ダニエルの母親役も素晴らしく、こんな母親だと確かに子供は家出もしたくなるだろう、と思わせる。ぼんやりしている僕は観終わってから、それがオドレイ・トトゥと知って驚いた。「アメリ」の印象が強烈な彼女は、でもココ・シャネルを演じた時はシャネルにしか見えなかったし、今回はそんな華やかな雰囲気は出していなかった。僕が日本人だからか、日本人の俳優が演じると役柄より、どうしてもその俳優の個性に惹き付けられるし、配役もそれを生かしたものになっている気がする。でも外国の映画を観ると、あの映画のあの人がこの映画ではこの人に見事になりきっている、という驚きが多い。
「グッバイ、サマー」(原題「ミクロとガソリン」)はミシェル・ゴンドリー監督。甘くない青春映画、むしろ苦い。

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