牛腸さんの展示を見て嬉しかったのは、写真にはすごい力がある、と思えたことだ。
アサヒカメラ誌2016年10月号に掲載された鬼海弘雄さんと池澤夏樹さんの対談から
鬼海『・・・表現というのは人間の遊びで一番おもしろいものじゃないかと思ったんです。・・・』
『一人、大好き。いや旅のぜいたくは、一人で寂しく時を過ごすことでしょう。でないと何も考えないしね。インドの撮影からずっと一人旅だった。浅草もそうですよ。一人で行って、何でこんなとこに来たんだろうと思って見ると、おもしろいんですよ。人間はぼーっと退屈したとき、いろんなものがポコッ、ポコッと体の周りに浮いてくる。』
『・・・写真は実に写らない、と思ったときから徐々に写真家になっていった気がします。』
池澤『でも、写真はシャッターを切れば写るでしょう?』
鬼海『ええ、写りはしますが、こっちは世界のヘソをつかむような形で写したいわけだから、なかなかそうはならない。写らない。写真のよさは「説得」ではないんです。それを見てくれた人のなかに他人との関係がスーッと浸透していくことなんですね。いい写真は、1回、2回・・・・・・と、見てもらえる。写真家は写真のなかにたくさんの糸を隠して張ってあるから、見てもらうたびにそれに触れて、ふわっと伝わる。そして、徐々に見ている人の体験のなかに根を下ろしていくんですよ。』
池澤『なるほど。』
鬼海『写真家がいちばん信頼しているのは見てくれる人なんですよね。私の場合は、写真集の読者や写真展に来てくれる人だけでなく、他人もそこに入る。他人とちょっとだけしあわせな関係をつくりたい。写真は誰でも撮れると思います。シャッターを切れば写るというのではなく、誰もが自分の体験をふり返って、もう一回、人について考えたり、感じたりすることができるという意味で誰でも撮れます。表現として練り上げようとすると、簡単には写らない。』