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2017年3月

2017年3月27日 (月)

新聞とラジオが好きなのは年寄り、というようなことを誰かがラジオで言っていた。でも好きなものは好きだもの。前より新聞を丁寧に読んでいる気がする。楽しみにしている連載は、今の日経新聞だと例えば月曜夕刊、多和田葉子さんの文章。先週は夕刊が休みで実に残念だった。

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3月21、22日日経夕刊に掲載されたベンチプレス、児玉大紀さんの記事から。
『発想力でしょうね。スポーツで成功する人は普通の人が「こいつ何言うてんねん」と思うようなことを考える。我が道を行って、ぶっ飛んでいるヤツがチャンピオンになれる』
『強かった自分はもうどこにもいてへんのです。そこを受け入れないと駄目。今の弱い自分を受け入れて、一歩ずつ強くしていくしかないですから』
『人間の個体差なんて5パーセントもないはず。僕の筋肉だけ特別に一本一本が強いわけじゃない。大事なのは、それをロスなく全部使えるかどうか』

2017年3月22日 (水)

雑誌「Number」922号、三浦和良選手の特集記事から。

『出場が10試合以下になったら、ゴールができなかったから、という理由では引退しないと思います。毎日の練習がきちんとできていたら、引退はしません。いまは練習のレベルがちゃんと水準に達している実感があるし、手応えもあります。自分自身に情熱があって、練習でいいプレーができている限りは続けていきたい。・・・・・
大事なのは、50歳だからすごいとか、これまでの実績や、何試合出たということよりも、いま、毎日、何ができているのか、どういう生活をしているのか、あるいは、どういう気持ちでサッカーをやっているのか、情熱を持ってトレーニングができているのか、何をどう続けられているかです。もちろん、プロとして数字は求めなければいけませんが、根底にある大事なことは、そういう気持ちだと思ってやっています』

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『僕は人生の中で、絶対に大切にしなきゃいけないものがあると思うんです。簡単に手放してはいけないもの。お金をたくさん積まれても、譲ってはいけないもの。かけがえのない自分の人生を賭けてやってきた、一番得意なもの。僕にとってそれはサッカーだったから、ただただ続けてきた。たったひとつのことを続けることって尊いことだと思うんです。もちろん、わからないですよ、もしかしたら、僕だって違うことをやったほうがよかったかもしれない。でも、僕は、幸せなことに続けられる環境の中にいたから、迷わず続けることができた。』

2017年3月21日 (火)

今日の東京文化会館公演で、3公演続いた大野和士さん指揮のブラームスプログラム(ニ短調のピアノ協奏曲とホ短調の交響曲、ソリストはシュテファン・ブラダー)は終わり。ずしりとしたプログラムの期間中、様々な思いが去来した。

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2017年3月19日 (日)

名古屋公演を終え、懐かしい人たちに会い、夜の新幹線で帰京。

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2017年3月18日 (土)

アクロス福岡での公演が終わり、夜の新幹線で移動。景色があまり見えないのでさすがに退屈してくる。

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今日の日経新聞に載った写真家鈴木理策さんの文章から。
『その人、前田英樹さんは、僕が直感的に感じることを論理的に言語化してくれた。対談ですっかり意気投合し、彼が主宰する剣術の会に誘われた。時代劇は好きだし面白そう、と気楽に参加したのが大間違い。型を身につけるため、ひたすら同じ事を繰り返すのだ。
当時の僕は故郷の和歌山県熊野や青森県恐山に分け入り、心に従い景色を撮って並べる紙芝居的な作品を手がけていた。意図的に見せ場を作ったらわざとらしい写真が嫌だったからだ。彼と共鳴したのは、こうした物事へのスタンスだろう。剣術は無意識に型を表現できるまで鍛える。僕も無意識で捉えるものの中に美をさぐってきた。』


2017年3月17日 (金)

午前中の新幹線で博多へ。ホテルの部屋に荷物を置き、うーんまだ電車に乗るのか、と思いながら筑肥線に。

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一時間ほど乗ると今朝までいた東京とは別世界の静かな海が広がっていた。波の音と鳥の声しか聞こえない。

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ホテルに戻って開いた朝日新聞に永六輔さんの言葉が載っていた。
『生きていることは誰かに借りをつくること。生きているということは、その借りを返していくということ』

2017年3月16日 (木)

最近出かけた写真展、展覧会から。

どちらも終わってしまったけれど、リコーイメージングスクエア新宿で開かれていた中村邦夫写真展「津軽 1984-1988」へ。昭和終わり頃の生き生きとした日本人が写っている写真を見るのは楽しかった。中村さんご本人が在廊していて、昭和の時代までは縄文時代から一続きだったのに、(スマートフォンが登場してから)今断絶があるような気がする、とおっしゃっていた。
そしてアイデムフォトギャラリーシリウスの田中博写真展「東京トンボ日記」へ。東京にそんなに多種のトンボが生息しているなんて知らなかったし、美しかった。

埼玉県立近代美術館のカッサンドル・ポスター展へ。http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=336
もし2017年の新宿に彼のポスターが貼られても斬新できっと力強く感じられるだろうと思う。それにしてもどこかで見たことがある、と思っていたら、ミュージアムショップに並べられていた沢木耕太郎著「深夜特急」を目にして気付いた。「深夜特急」全6巻の表紙には全てカッサンドルのポスターが使われていたなんて!
下の写真は同じくミュージアムショップより、さい たま。

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水戸の茨城県立近代美術館まで足を伸ばして、東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展へ。
http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/exhibition/kikaku/index.html
大きな画の前にたつと空気の動く様子まで伝わってくるようだった。製作過程も展示されていて、画家の渾身の仕事だったことが強く伝わってきた。唐招提寺にも出かけたい。
展示を見てからさらに大洗まで足を伸ばした。

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今日は表参道ヒルズで開かれているエルメスの手しごと展に。http://www.maisonhermes.jp/feature/421339/
平日夕方でもけっこうな人出で、でもじかに職人さんの話しが聞けて楽しかった。僕にはあまり縁のないブランドだけれど、とにかく色が綺麗で、仕事もとても丁寧に見えた。

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2017年3月12日 (日)

2月3日の日経新聞に掲載されたサッカー、三浦和良選手の記事から。

『心技体、ベテランになるほど1つといわず全部大事になってくる。すべてそろわずとも、できてしまうのが若さ。僕らは1つでも欠ければその分、パフォーマンスは落ちる。あのやり方も取り入れたい、この要素もやっておかなきゃ・・・時間が足りないくらいだよ。
練習法や技術が進展し、様々なことが「いい」と説明付けられるようになった。そこには"言葉の誘惑"もあってね。「それは必ずしも必要ないよ」「負荷をそこまできつくしなくていいよ」。それら理屈が間違っているとは思わない。
でも個人的見解としては「苦しまない先には何もない」といつも思っている。効率も追求できるし、理論的に正しい"楽"ならいかようにもできる。ただそこに成長もない気がしてね。
できるなら毎日倒れるまで走りたい。きつい練習で汗にまみれたい。シュート練習なら100本打ちたい。それじゃ体が壊れるから、集中して20本、くらいで折り合うのだけど。50歳も間近でなぜ現役でいられるか、訳を僕は知らない。そんな理由より意欲が尽きないんです。もっと自分を良くする何かがどこかにある、と思えてならない。苦労でさえ、したい。』

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2017年3月 5日 (日)

『魚ときのこ以外では』

昨日放送されたブラタモリは奄美大島。番組の大きな軸は蘇鉄で、とても興味深かった。奄美の人々が江戸時代や戦後の食糧難を蘇鉄の実を食べて(実の毒を抜いてデンプン質を摂る)生き抜いたことを知り、驚いた。

雑誌「図書」3月号に掲載された加藤真さんの「森と水田が織りなす自然と食」という文章から。

『・・・日本列島では約3000年にわたって米を主食にしてきたと考えられているが、米が渡来する以前には、シイやクリやトチといった堅果に強く依存する生活があったと考えられる。・・・
われわれが普段食べているものの中で、この列島に自生していたものは、魚ときのこ以外ではほとんどない。主要作物の起源地を考えると、米は中国南部からインドシナ半島、コムギとオオムギはメソポタミア、アワとキビは中央アジア、トウモロコシはメキシコ、ソバは中国の雲南、サトイモは東南アジア、サツマイモは中南米、ジャガイモはアンデス山脈である。日本列島を起源とする栽培植物は、ヤマノイモとワサビ、ヤマモモくらいしかないのである(ヒエは日本が起源の可能性はあるが)。それに対して、シイやクリを含む多様などんぐりや、トチ、カヤ、オニグルミなどは日本列島にもともと自生していたものである。水田農耕よりも、焼畑農耕よりも以前に、照葉樹林とそれに隣接する落葉広葉樹林で、堅果に依存する生活が長く続いていたことは、三内丸山遺跡の出土品とも呼応している。』

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蕎麦やうどんはもちろん、米の飯も、もともと日本列島にあったものではない、ということか。普段口にする農産物の多くは、人間の手で日本列島に持ち込まれたものとは知らなかった。

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