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2017年11月 9日 (木)

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲

11月3日、都響演奏会の前半はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
サントリーホールの舞台で弾きながら、あの演奏会も同じサントリーでやはりこの時期だったと思い、胸がいっぱいになった。以前にもこの日記で書いたけれど、僕は95年の11月か12月にN響のエキストラに乗せてもらい、初めてベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾いた。ソロはイヴリー・ギトリス。その時の第1楽章の展開部の美しさは、あれは何だったのだろう、魔法にかけられたようだった。その演奏会が忘れられないのはギトリスだけでなく、徳永兼一郎さんが出られていたことだ。藤森さんや銅銀さんが徳永兼一郎さんを支え、楽器や弓を持って舞台に上がっていた。舞台袖でギトリスの演奏を「素晴らしいね」、と穏やかな表情でおっしゃったことを思い出す。22年たつ。

この曲はティンパニの4つの音で始まる。4拍子の、音程の同じ4つの音。初演の時この冒頭はどのように受け止められたのだろう、初めて聴いた人は驚かなかったのだろうか。エリアフ・インバルはこの4つの音からなるモチーフを、どこにも行かない、と言った。常に前へ進むということが西洋音楽の大切な要素の一つと思うけれど、それに相いれない彼の言葉に、なるほどと思った。
不思議なのは、後日都響の人たちと話していて教えてもらったことだけれど、独奏ヴァイオリンにそのモチーフが出てこないこと(カデンツァ以外では。そのよく演奏されるカデンツァもベートーヴェンによるものではない)。そして独奏ヴァイオリンが重音を弾くこともなく(カデンツァ以外では)、旋律を弾くこともあまりなく、印象としてほとんどいつも分散和音か対旋律を弾いていること。その裏返しで旋律は主にオーケストラが受け持ち、それが見事な重厚さを曲に与えている。ヴァイオリン協奏曲なのに、オーケストラを弾く醍醐味や幸福感にあふれている。
すっかり耳に馴染んでいるし、ぼんやり聴いていても名曲中の名曲に違いない。でもベートーヴェンは革新的なアイデアを持ってこの曲に取り組んだのだと思う。当時もちろん、ブラームスやチャイコフスキーのような規模の大きなヴァイオリン協奏曲は存在しなかったし、おそらく前例のない中でこのような音楽を構想できたことは信じがたいことのように思える。

第1楽章の展開部では独奏ヴァイオリンの影に隠れるかたちで様々な楽器がその4つの音のモチーフを受け継いでいく。この展開部の素晴らしさは比類ない。道を探して森の中をさまよう、と言ったらよいのか、木管楽器の後、トランペットの長い四分音符を、さらに弦楽器がピチカート(当然短い音だ)で受け継ぎ、再現部ではオーケストラ全体が喜びをもってそのモチーフを演奏する。ティンパニだけで始まる冒頭と見事な対比だ。カデンツァの後、弦楽器のピチカートを伴奏に独奏ヴァイオリンがシンプルに旋律を弾く終止部も美しい。そしてその旋律をファゴットが受け継ぐことは、冒頭の旋律がオーボエで始まることも含めて、それぞれの楽器の音色を生かしたお手本のような書き方だと思う。

4つの音のモチーフは第1楽章全体を通じて、日向になり日陰になり、流れる大切なものだ。ベートーヴェンはこのアイデアをさらに発展させ、あの有名なモチーフが全曲を通じて力を持つ「運命」交響曲を書いたのではないだろうか。

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11月3日の演奏会のソリストはヴェロニカ・エーベルレ。曲の後半に向って加速度的に良くなっていく演奏だった。終楽章のテンポの速さは昨今の流行りだろうか。なぜかはうまく言えないけれど、きっと忘れられない演奏会にの一つになると思う。ただし、冒頭を2つ振りで始めるのにはどうも馴染めなかった。指揮のリントゥさん、あれはやはり4つではありませんか?


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