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2017年12月

2017年12月31日 (日)

どうぞよいお年をお迎えください。

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まじりけなく

以前この日記に少しだけ書いた新しいエンドピンのストッパー、こんな理屈による。エンドピンは垂直ではなく、ある角度をもって床に接する。だからチェロの表板と裏板には異なる方向の力がかかるのではないか。ではエンドピンが常に床面と垂直な関係になるようにしたらどうだろう。父にこのアイデアを話したら、仮想的にエンドピンは点で床と接するから角度は関係ないのでは、と言われた。なるほど確かに。

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ハンズで材料(15ミリ厚のサクラ材)を加工してもらい、組み立てた。弾いてみると、明らかに響きが多い。角度の問題なのか、床から浮いた充分な厚さの板がうまく共鳴しているのかはわからないけれど。

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何年も左右非対称のテールピースを使ってきた。それは低い弦がよく鳴るように、という願いから。半年前、重野さんの息子さんが九州産の柘植で作ったテールピースを見て、是非これにしようと思った。材料の密度と加工の素晴らしさはほれぼれするようだ。実際代えてみて、低音は前より出るようだし、音色もはっきりしている。
彼はヴァイオリン、ヴィオラの柘植のあご当てと、さらにそれを楽器に固定するための金属部品も作っている。通常クロムメッキの真鍮製のその部品を、チタンの削り出しで作ったら音がよいそうだ。テールピースを削り出す前の材料を見せてもらったけれど、あの硬さの塊から形を作るのも、チタンの棒から部品を削り出すのも、大変な技術と根気だと思う。

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エンドピンは鉄のエンドピンと、時々真鍮のエンドピンを使ってきた。鉄の音はまっすぐでよく飛ぶけれど、音が平らになったり響きがほしくなったりすると真鍮にし、また鉄に戻し、そんなことを繰り返してきた。以前8ミリ径のエンドピンで鉄を芯にして周りが真鍮、というものを使っていたことを思い出し、それの10ミリ径を見附さんにお願いした。まだ広いところで試せていないのだけれど、響きも多く、低音もよく出ているようだ。

楽器のどこかに少し手を入れても、弓を変えても、エンドピンを変えても、弦を変えても音は変わる。それは本人にとって割と大きな問題ではある。はたして実際に音楽をする際にはどうなのだろう。今の僕は楽器や弓から教えてもらうことが多い。いったいこの楽器は、この弓はどんな音がするのだろう、と感じながら弾くようにしている。

僕のあこがれるあるチェリストは、太く存在感のある低音が魅力的だ。でも彼がそのチェロを手に入れた時のことを知る人から、当時鳴らない印象だったという話を聞き、意外な気がした。低音が出るように、と思って弾き続けた結果その音になったらしい。
もう一人僕のあこがれるチェリストは、いぶし銀の音だ。派手さはないけれど、あぁその音はどんな音なんだろう、もっと聴いてみたい、と思わせる力がある。

本当に大切なことは音楽と心と楽器と体が調和していることだと思う。言葉で書くほど易しくない。できることなら音楽と心と楽器と体の間に何もまじりけなくいたいと思う。

2017年12月29日 (金)

「出発の地に」

12月28日、日経新聞夕刊に掲載された森田真生さんの「偶然の散歩」という文章から

『気づけばあれから半年が経ち、この連載もついに最終回を迎える。最後の原稿に取りかかる前に、またあの公園に出かけたいと思った。「すべて私たちの旅の終わりは、出発の地に辿り着くこと」 ー エリオットの詩の一節が、僕の頭にはあった。』
 ・・・・・
「すべて私たちの旅の終わりは、出発の地に辿り着くこと、そしてその地を初めて知るのだ」。エリオットの詩の続きを、僕は心の中で聴いた。』

今年の新聞記事切り抜きを整頓した。それまで知らず、だからいっそう毎週新鮮で素晴らしい発想を頂いたのが独立研究者、森田真生さんの文章だった。やはり知らなかったけれど、言語学者、黒田龍之助さんの文章も楽しかった。切り抜いて取っておかなかったのが悔やまれるのが、パスタのゆで具合(アルデンテ)についての文章。僕のあやふやな記憶でものすごく乱暴に要約すると、好きなゆで具合で食べればいいじゃないか、という痛快なものだった。この夕刊のエッセイは、何度も書いた多和田葉子さんは言うに及ばず、ジェーン・スーさんも素敵だった。
スポーツではベンチプレス、児玉大紀さんの記事が強烈だった。信じられない思いで読んだ。他には三浦知良さん、為末大さんの切り抜きが多かった。音楽ではなんと言っても庄司紗矢香さんの読書日記がよかった。大切な示唆だった。そう、夏限定で読む信濃毎日新聞にも毎年素晴らしい記事がある。
心引かれて切り抜いた記事に共通するのは、とらわれない発想、アイデア、気持ちの持ち方、そうしたものだった。貴重なことを学ばせて頂いた。

昨年の夕刊のコラムで、切り抜いておかなかったことを残念に思うのが漆間巌さん。肩書きからはすぐには想像できない音楽の話が何度も出てきて楽しかった。子供の頃、オイストラフの演奏を体育館で聴いてヴァイオリンの虜になったこと、ソ連駐在中にチャイコフスキー・コンクールを予選から聴いたこと、など。オイストラフの音、どんなだったのだろう。

ところで、今日29日から夕刊は休み。あぁ実につまらない。

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2017年12月28日 (木)

今年の第九

一昨日12月26日は都響、今年3回目の第九だった。3回とも初めて第九を弾くような気持ちで舞台に上がった。大きな伽藍があって、それが「第九」とよばれる伽藍で、ちらりと横目で見て、あぁ第九ね、知ってる、と通り過ぎることもできるし、初めて出会ったその大きな建造物をまじまじと見ることもできる。

まず全体が目に入ってくる、それからだんだん視野を狭めて細部を見ていく。大きな伽藍も、一つ一つの部分からできていて、その部分たちは様々に有機的な働きをしていることがわかる。そしてもう一度全体を見渡したときに、伽藍はまるで違って見える。
第九の始まり方は不思議だ。しばらくラとミの音しかない。ホルン、第2ヴァイオリン、チェロなどがラとミを持続している間、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスが動機をラミ、ミラ、ラミ、ミラ・・・、と受け継いでいく。色のない5度音程の時間がずいぶん長い。その1時間くらい後の終楽章で、低弦楽器のレシタティーヴォが一山あり、再び第1楽章の冒頭が断片的に現れる時、そこではコントラバスなどが第3音を弾いている。ぼんやり聞いていると、あぁ冒頭が戻ってきたな、と思うのだけれど、実はそこはもう色のない世界ではなく、ドの音が加えられたラドミの三和音がある。ベートーヴェンがはっきりと意思を持ってドを書いたのか、それともごく自然な流れでそう書けたのか、僕にはわからないけれど、そうしたことにも創作の秘密があるような気がした今年の第九だった。

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2017年12月26日 (火)

「雨の歌」

昨日同年代のある方から、以前○○で会ったことがある、と言われ、顔から火が出そうだった。ほとんど30年前、今でもろくでもない人間だけれど、その頃なんて本当に。でも思い返してみて、少なくともひたむきだったあの頃はちょっとだけまぶしく見える。

昨日の第九の舞台裏でブラームスのヴァイオリンソナタが聞こえてきた。
高校生の時、ブラームスをよく聴いた。特に3曲のヴァイオリンソナタと2曲のピアノ協奏曲。「雨の歌」と呼ばれる第1番のヴァイオリンソナタは作曲者によってチェロ用にも編曲されていて、何年か前その楽譜を手に入れ、音域の広さに驚いた。同じブラームスでもチェロソナタとは一つのフレーズの中での音の移動量がまったく違う。

今朝は珍しく早起きして、冬の抜けるような青空の下「雨の歌」を聴いた。高校生の時聴いていたのとおなじオイストラフの演奏だ。

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2017年12月22日 (金)

「答えのない質問」3

「答えのない質問」第1章は「音楽音韻論(Musical Phonology)」。興味深く倍音が説明されることは覚えていた。倍音列の話から(基音がドなら最初の倍音は1オクターヴ上のド、次にその5度上のソ、そして再びド、ミ、ソ、シ♭(ラ♯)、・・・。弦楽器を触ったことのある人ならハーモニクスとかフラジオというあれです。弦長のちょうど半分のところにオクターヴ上の音がするへそみたいなところがありますね、そこから上下どちらにでも指をすべらせて音を出してみると、G線ならほら、ソ、レ、ソ、シ、レ、ファ(ミ♯)、・・・と)、そこに3和音(ドミソなど)が由来すること。そしてトニック(例えばドミソ)に対するドミナント(ドミソに対してはソシレ)の関係が5度の倍音に由来すること(調性音楽のシステムの根幹がここにある)。さらにその5度の倍音、つまりドの5度上のソ、ソに対するレ、レ・ラ、ラ・ミ、・・・(くるりと1周して)ファの5度上のド、この1周した12個の音を1オクターヴの範囲にぎゅっと並べなおすと半音階になること、など。職業音楽家として今さら恥ずかしいけれど、何十年もただあれこれ詰め込んで散らかっていた頭の中が、突然整頓され、いきなり遠くまで見通せるようになった。
例えばピアノのソナチネアルバムで、左手がドソミソドソミソを弾いてからシソレソとなるのは、その作曲家が発明したもの、あるいはもっと昔の誰か偉い作曲家が発明したものというより、音の持つ性質に見事に基づいていること。弦楽器の調弦が5度あるいは4度(5度をひっくり返したもの)になっていることは、まったくもって当然そうなるべきことである、と腑に落ちる。

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さらに第1章の講義では半音階に対する全音階や転調の例としてやはりモーツァルトのト短調の交響曲が出てくる。第一楽章で主題が半音進行をしているときにバスが5度、5度、・・・と進行していること、特に終楽章の展開部の信じられないような転調については、本当に世界が違って見えてくるようだった。第2章でも再びト短調の交響曲を取り上げるのは、今度は散文と詩の違いを題材にとり、文学と音楽を対比して、いったい何が芸術となるのかを実に興味深いアレンジを施して説明するためだった。ふう。

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それにしてもバーンスタインの素晴らしいのは理論的な話になってもいつも、生き生きしたものが芯にあることだ。さて、年末は第4章に進むつもり。

2017年12月21日 (木)

「答えのない質問」2

アメリカに行ったとき、無謀にも本を数冊買ってきた。そのうちの一冊がバーンスタインがハーバード大学で行った講義録「答えのない質問(The Unanswered Question, Six Taiks at Harvard)。興味深いことはわかっていて、読みかけてはやめ読み始めてはやめ、を20年以上のうちに何度も繰り返してきた。みすず書房から邦訳は出ているし(絶版)、DVDもあるそうなのだけれど、原書で読もうとするのは、その方が少しでもバーンスタインの人となりに触れられる気がするから。

とにかく6つある講義の3つめの入り口までは、何年も前に断続的ながらたどりついていた。先日人と話している時に、2つめの講義にモーツァルトのト短調の交響曲の素晴らしい分析があったことを思い出して、よしもう一度、と思った。第2章の後半から読み始め、第3章にはベートーヴェンの「田園」交響曲の冒頭の精緻な分析がある。その分析の後、聴衆はボストン交響楽団による実演を聴くことになるのだけれど、その前にバーンスタインは言う、
「私は次のことを皆さんにして頂きたいと思う、音楽を聴くときのいつもの習慣、つまり個人的な記憶や映像、色彩、とりとめのない感情といった感覚的な経験全てに結びついた、心地よく受動的な連想をする習慣を捨てるという挑戦です。無理を承知で、今ここであなた方が習慣を変え、ベートーヴェン自身による示唆的な表題を含む全ての固定観念を捨て、この交響的変化の驚くべき例をあるがままに聴くことを提案します。(This challenge I'm offering invites you to discard your customary listening habits of letting the music nudge you into pleasant,passive associations with your peasonal memories,with images ,colors,random emotional states ー all those experiences of synaesthesia. I am rashly suggesting that you change your habits on the spot,that you dump the whole synaestetic baggage,including Beethoven's own suggestive titles,and hear this marvelous example of symphonic metamorphosis as just that.)」(ひどい訳をお許しください、原文を記します)

「あるがままに聴く(hear ・・・ as just that)」なんてまるで禅問答のようだ。このところの僕が、いつも様々な思いを引きずって音楽に接していたことにはっとした。それは時として必要かもしれない、しかし思いはどんどん重くなり身動きがとれなくなる。演奏するときは目の前の音符をただ音符として弾くことが一番いいということは、経験的にはわかっていた。
さらにバーンスタインは、「いったん音楽を音楽そのものとして聴き始めたら、その時すでにあなたは最も困難な障害を越えていて、まったく新しい聴き方への途上にあるのです。( once you've begun to hear music as music only,then you're already over the toughest hurdle,and well on your way toward a whole new way of listenig to music.)」と言う。
彼は一体何を伝えたかったのだろう。僕はこれらの文章に深く心動かされ、すでに読んでいるはずの最初の講義に戻ることにした。このハーバード大学での講義は音楽と言語学、文学をジャンルをまたいで平行に論じようとする、ものすごく野心的な試みだ。譜例が出てくる音楽の話はふんふんなるほど、と進めるけれど、文学用語が並び始めると辞書に首っ引きでとたんに難渋する。

2017年12月20日 (水)

「答えのない質問」1

今年の夏、マーラーの9番を弾く前にいくつか録音を聴いた。家にあったのはバーンスタイン指揮のコンセルトヘボウ盤。なぜかこの録音はぴんとこなくて(バーンスタイン&ウィーン・フィルの5番が素晴らしく、それで彼のマーラー全集を買っていた)、ラトルが指揮するベルリンフィルを聴いた。わかってはいたけれどやはり、今のベルリンフィルはおそろしいほどの能力を持つスーパーオーケストラだ。もうひとつ聴いたベルリンフィルの録音は、1979年にバーンスタインがただ1回このオーケストラを指揮した演奏会のライヴ録音。あらけずりで情熱にあふれ、技術や方法を越えて直に伝わってくるものがある。

バーンスタインの録音はいくつも聴いてきた。なかでもよく聴いたのがブラームスの1番のピアノ協奏曲(ソリストはグレン・グールド、ニューヨークフィル)。この1962年のライヴ録音には、演奏に先立ってされたバーンスタインのスピーチも入っている。「心配しないで下さい、グールド氏はいますから(Don't be frightened. Mr.Gould is here.)」と始め、「協奏曲では誰がボスなのか、ソリストなのか指揮者なのか?(In a concerto, who is the boss? The soloist or the conductor?)」とちょっと投げやりな感じで話すところなど、本当にすぐ人の心をつかむことができる人だなと思う。聴衆は最初から笑っている。
こちらはそんなによく聴いた訳ではないけれど、やはりニューヨークフィルとのショスタコーヴィチの交響曲第5番、1979年東京文化会館でのライヴ録音だ。世界がはっきりと東西に別れて対立していた時の一方の国の指揮者とオーケストラが、もう一方の国の作曲家(75年にショスタコーヴィチは亡くなっていたけれど)の曲を演奏する、というのはいったいどんなことだったのだろう。それは鉄のカーテンを越えた音楽家同士の連帯のようなものだったのだろうか、それともそんなことは僕の考え過ぎで、彼らは純粋に一つの作品に向き合っていたのだろうか。

レナード・バーンスタインという人のことを考える。90年に札幌で開かれた第1回のPMFでバーンスタインは学生オーケストラを指揮し、そのリハーサルの模様はテレビで放映された。ひどい咳をしながらシューマンの2番を指揮する彼の姿は強烈だった。大事な旋律を受け持つ1番オーボエ奏者に、「シューマンのリードをつけて(Get your Schumannest reed on.)」と彼が言ったことを思い出す。文字通り身を削って、それでもどうしても若者たちに伝えたいことがあったのだと思う。それはベルリンフィルとのマーラーの9番の演奏にも現れている音楽というもの、音楽そのものではないだろうか。
バーンスタインに接する機会はなかったけれど、もしそんなことがあったら、彼の大きさやあたたかさにすっかり魅せられてしまったに違いないと思う。大きさやあたたかさ、それはどんなに今の時代触れることが難しく、同時に必要とされていることだろう。

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2017年12月17日 (日)

オットー・ネーベル展

日曜日の渋谷へ、しかも12月に行くなんてあまり気が進まなかったけれど仕方ない、寝坊せず頑張って起きて、今日が最終日のオットー・ネーベル展へ。http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_nebel/
僕のまったく知らなかったオットー・ネーベルという人が、彼の作品からだけでなく、クレーやカンディンスキーとの親交からも浮かび上がってくる展示だった。ネーベルの日記に書かれたクレー、グッゲンハイムにネーベルを推薦するカンディンスキーの文章など、クレーやカンディンスキーもどんな人たちだったのか、浮かび上がってくるようだった。ネーベルの日記には気付かされる文章がいくつもあり、もし出版されているのなら読んでみたいと思った。
ネーベルの作風は時代によって大きく変化し、一人の人の様々な局面を見るようで興味深かった。ネーベルもクレーも同時期にスイスのベルンで暮らしている。昔、まだベルンに新しいクレーの美術館ができる前、僕はベルンの近代美術館にクレーの素晴らしいコレクションを2度ほど見に行った。繊細で綺麗な作品が最晩年の強く深い絵に変わっていくのは、何度見ても心動かされる経験だった。今思えば、あの美術館にはきっとネーベルの作品も展示してあったのだろうと思う。

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94年にミュンヘンのコンクールを受けに行った。ミュンヘンに着いて手続きをしに事務局に行き、自分の順番を探すとなかなかない。なんと初日の一番に名前があり、理由を尋ねると、今年はアルファベットのHから始める、ということだった。ミュンヘンまで来て悪い冗談にしか思えなかったけれど、状況は悲惨であればあるほど昔話としてはおもしろい。とにかく弾いて、当日の午後には午前中の結果が貼り出される。見事に予選落ちし、結局それから毎日1次予選、2次、3次、本選と全ての演奏を聴いた。(予選の期間中に自分の演奏の講評を審査員のウォルフガング・ベッチャーさんに伺ったら、ちょっと待って、とメモを取り出して、君の演奏はここが良くてここが良くなかった、と的確にとても丁寧に話してくださった。)
本選には3人が残り、結果は1位ハンス・ペーター・マインツ、2位タチアナ・ヴァシリエヴァ、3位ターニャ・テツラフ。3人とも活躍しているから、レベルの高いコンクールだったのだな、と思う。実際素晴らしかったもの。本選のオーケストラはバイエルン放送響。ARDのコンクール本選はバカンス明けの仕事だそうで、うーんこれがあの有名な・・・、という感じだった。
初日に予選落ちして、聴く以外は時間があったので、有名なドイツ博物館とノイエ・ピナコテーク、レンバッハハウス美術館に足を運んだ。当時アルテ・ピナコテークは改修工事で閉まっていたと思う。レンバッハハウスにはカンディンスキーをはじめとして「青騎士」のコレクションがあり、それらを見たことを、今日のBunkamuraの展示を見ながら思い出した。クレー、カンディンスキー、ネーベル、彼らがなぜ素晴らしいのか、様々な国や時代に思いをはせる時間だった。

今日12月16日の都響定期演奏会が、ヤクブ・フルシャが首席客演指揮者として振った最後の演奏会だった。プログラムはマルティヌーの交響曲第1番とブラームスの1番。
先日11日の定期演奏会では、ドヴォルザークの序曲もマルティヌーの2番もブラームスの2番も広いテンポが印象的だった。一方、今晩のブラームスは早めのテンポで清冽だった。ブラームスの1番は演奏機会が多く、様々な経験や演奏効果を生み出すための習慣、そしておそらく個人の思い入れもくっついて、元の形が少し見えにくくなっていたようだ。先日の2番も今日の1番も、やろうとしたことはシンプルで、はたして楽譜には何が書いてあって何が書いていないのか、ということだったと思う。マルティヌーに関して、2番はコンパクトに書いてあって魅力的だったし、1番も2番も緩徐楽章の美しさは特筆すべきものだと思う。自分の音楽の中に、マルティヌーという語彙が増えた気がする。新しい言葉だ。

フルシャが初めて都響に来た演奏会のことはよく覚えている。2008年。ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲があり、ソリストのガブリエル・リプキン(素晴らしい演奏だった。もじゃもじゃ頭も印象的だった)がアンコールを3曲も弾いて、後半の開始時間がとても遅くなった。
フルシャを見ていて一貫して感じる美質は誠実さだと思う。次に来るのは数年後だそうだ。今頃彼は日本を離れる飛行機に乗っているだろうか。

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