「答えのない質問」2
アメリカに行ったとき、無謀にも本を数冊買ってきた。そのうちの一冊がバーンスタインがハーバード大学で行った講義録「答えのない質問(The Unanswered Question, Six Taiks at Harvard)。興味深いことはわかっていて、読みかけてはやめ読み始めてはやめ、を20年以上のうちに何度も繰り返してきた。みすず書房から邦訳は出ているし(絶版)、DVDもあるそうなのだけれど、原書で読もうとするのは、その方が少しでもバーンスタインの人となりに触れられる気がするから。
とにかく6つある講義の3つめの入り口までは、何年も前に断続的ながらたどりついていた。先日人と話している時に、2つめの講義にモーツァルトのト短調の交響曲の素晴らしい分析があったことを思い出して、よしもう一度、と思った。第2章の後半から読み始め、第3章にはベートーヴェンの「田園」交響曲の冒頭の精緻な分析がある。その分析の後、聴衆はボストン交響楽団による実演を聴くことになるのだけれど、その前にバーンスタインは言う、
「私は次のことを皆さんにして頂きたいと思う、音楽を聴くときのいつもの習慣、つまり個人的な記憶や映像、色彩、とりとめのない感情といった感覚的な経験全てに結びついた、心地よく受動的な連想をする習慣を捨てるという挑戦です。無理を承知で、今ここであなた方が習慣を変え、ベートーヴェン自身による示唆的な表題を含む全ての固定観念を捨て、この交響的変化の驚くべき例をあるがままに聴くことを提案します。(This challenge I'm offering invites you to discard your customary listening habits of letting the music nudge you into pleasant,passive associations with your peasonal memories,with images ,colors,random emotional states ー all those experiences of synaesthesia. I am rashly suggesting that you change your habits on the spot,that you dump the whole synaestetic baggage,including Beethoven's own suggestive titles,and hear this marvelous example of symphonic metamorphosis as just that.)」(ひどい訳をお許しください、原文を記します)
「あるがままに聴く(hear ・・・ as just that)」なんてまるで禅問答のようだ。このところの僕が、いつも様々な思いを引きずって音楽に接していたことにはっとした。それは時として必要かもしれない、しかし思いはどんどん重くなり身動きがとれなくなる。演奏するときは目の前の音符をただ音符として弾くことが一番いいということは、経験的にはわかっていた。
さらにバーンスタインは、「いったん音楽を音楽そのものとして聴き始めたら、その時すでにあなたは最も困難な障害を越えていて、まったく新しい聴き方への途上にあるのです。( once you've begun to hear music as music only,then you're already over the toughest hurdle,and well on your way toward a whole new way of listenig to music.)」と言う。
彼は一体何を伝えたかったのだろう。僕はこれらの文章に深く心動かされ、すでに読んでいるはずの最初の講義に戻ることにした。このハーバード大学での講義は音楽と言語学、文学をジャンルをまたいで平行に論じようとする、ものすごく野心的な試みだ。譜例が出てくる音楽の話はふんふんなるほど、と進めるけれど、文学用語が並び始めると辞書に首っ引きでとたんに難渋する。
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