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2018年1月24日 (水)

言葉

トゥーランガリラ交響曲の第6楽章「愛のまどろみの庭(Jardin du Sommeil d'Amour)」は弾くのにけっこう大変な曲で(多くの弦楽器奏者に同意して頂けることと思います。コントラバスは休みです。)、そんな時は楽譜に書かれたフランス語を見つめたりしていた。「Jardin」も「Amour」も見たことのある言葉だったけれど、はて「Sommeil」?
家で辞書をひくと、眠りや睡眠を意味する言葉だそうだ。なるほど。「愛の眠りの庭」と訳しては感じがでないものね。用例に進むと「premier Sommeil」は「寝入り端(ばな)」とある。ふうむ。直訳すると「最初の眠り、第一眠り」かな。でも英語で「first sleep」とはきっと言わないだろうし、同じラテン語由来のイタリア語やスペイン語なら「プリモなんとか」と言ったりするのだろうか・・・、と考えたりした。言葉は楽しい。

先日電車に乗っている時、僕の前に立った女性が使いこまれたネパール語会話集のような本で熱心に勉強を始めた。きっとすでにネパールに行ったことがあり、そしてまもなくまたネパールに出かけるのだろう、そんな感じがした。その女性が僕の隣に座ったのでその本を横目で見ると(ごめんなさい、とても興味深かったのです)、まるで知らない不思議な文字と、その読みと、日本語訳が記してあった。もし明日からネパール語で話さねばならないとしたら、それは大変なことだと思った。

普段の生活はもちろん日本語を使い、時おり、英語やヨーロッパの言葉が入ってくる。でも当たり前のことだけれど、世界には僕のまったく知らない、文字も文法も表記も想像できないような言葉がたくさんあるんだな、と思った。日本にいるとなんだか右も左も英語英語という感じで、しかもそれが世界共通語みたいに扱われているのは少し残念な気がする。僕の貧しい経験から言えば、聞いていて楽しいのはイタリア語、美しいのはフランス語、演説に向いていそうなのはドイツ語、「ありがとう」しか知らないのはフィンランド語、ロシア語・・・。多くの言葉がある世界はきっと、豊かな世界だと思う。名古屋を離れて20年以上、僕の名古屋弁はすっかりいんちきくさくなってしまったけれど。

テレビのクイズ番組でアイスランドを取り上げられたとき、アイスランド語はこの1000年変わっていない、とのことだった。信じられない、本当かな。日本で言うとたとえば、古事記は無理でも源氏物語なら誰でもすらすら読める、ということになる。もう一つ聞いたところでは、彼の国では外から来た言葉は自国語にできるだけ訳して使うそうだ。(僕は中国語をほとんど知らないけれど、例えば中国語の宇宙ロケットを調べてみると「宇宙火箭」と書くそう。こんな感じだろうか)
日本語にはカタカナという便利なものがあるせいか、外来語があふれているし、しかもそれが日本語化して新たな意味を持ったりする。釣りに夢中だった頃不思議だったのは、ブラックバス釣りをする人たちがカタカナ言葉をよく使うこと。例えば「昨日のプラクティスでシャローにネストが見えたので、今日はヘビータックルでボトムを・・・」とか。

昔イタリアに行ったとき、イタリアの悪ガキたちが僕の読んでいる文庫本を見て日本語の話になり、
「日本語には3種類の文字があって、ひらがなが50文字、カタカナも50、漢字は」
「それも50でしょ」
「いや、何千もある」と言ったら、正気か、という顔をされた。

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毎年暮れの放送を楽しみにしている沢木耕太郎さんのラジオ番組「Midnight Express(J-Wave)」、昨年も素晴らしかった。番組の終盤に父上の句が紹介され印象深かった。(放送から起こしたので、文字使いが違っているかもしれません)

『聖夜なり 雪なくば せめて星光れ』
『差し引けば 幸せ残る 年の暮れ』

沢木さんは昨年7,8月、執筆のため毎日ハワイ大学の図書室に通ったそうだ。夏休みで閑散としたその図書室には、沢木さんと同じように毎日姿を見せる二人がいて、彼らは窓際の席に並んで座り、休憩もなく朝の9時から13時まで、中国語の方言らしいものを教え教えられしていた。その東洋人の老人と女子学生の真剣な後ろ姿を、『滅多に見られない美しいものを見た気がした』と沢木さんは言った。確かに、それはとても美しい光景だっただろう、と思う。

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