素晴らしいジャンプを
平昌オリンピックの男子ノーマルヒル決勝、日付が変わる頃テレビをつけた。風が強く吹く中、選手はスタート位置については戻り、位置については戻りを繰り返していた。深夜の寒い中で何度も待て、を繰り返す状況をライヴで見ていて、本当にすごいなと思った。おそらく10分くらい待った後で彼は(待ちきれない様子だった)見事なジャンプをした。スイスのシモン・アマン。そして後続のロベルト・ヨハンソン(髭の人です)も素晴らしいジャンプで銅メダル。驚くほかない。この人たちはいったい何だろう、と思った。凍える寒さの中で、その上自分の思い通りにならないタイミングを待つ、でも素晴らしいジャンプをする。
2月16日の日経新聞に掲載された三浦知良さんの記事はやはりオリンピックに触れていた。その中から
『・・・例えばスキージャンプ。4年に1度、何秒間かの踏み切りや飛躍に全てをかける。それでいて、その一瞬が必ずしもいい環境に恵まれない。気まぐれな風。寒さ。悪条件。過酷というか、不条理にさえ思えてくる。
色々な条件がピタリとかみ合わないと、自分のパフォーマンスを出し切れないときは僕にもある。・・・』
『考えてみればストリート育ちのブラジル選手は、どんな条件でサッカーをさせてもうまい。いい芝生、硬い地面、ぬかるみ。様々な状況でやってきて、本当の意味で使える技術を持っている。僕自身もブラジルに渡った10代にはあらゆる悪条件でサッカーをした。「こういう場でもプレーできなければ、本物じゃない」と言い聞かせながら。
経験とは、いろんな条件の下で戦い、生きてきた幅のことだ。そして生き残るということは、状況に順応できるということ。理想の条件ばかりは望めない。言ってみれば、僕らには泥沼しか与えられない。それでも合わせていく。それを「力」とも言い換えられるのだろうね。』