タキトゥス
少し前に読み終わったのはタキトゥス著「年代記」。尽きることのない阿諛追従、奸計、謀反、扇動、背徳、放縦、嫉妬、密告、名誉、・・・、どうしようもない人間そのもの、と言ったらよいのか、そうしたものが力強く簡潔な文章で書かれ、引きこまれずにはいられなかった。様々な事件の記述も見事だし、ところどころで挟まれるタキトゥスの考えに触れる時、二千年近く前に書かれたその時間はすぐ飛び越えて、直にこちらに伝わってくるようだった。僕の家の小さく哀れな本棚はとっくにあふれ、もう本は買わないことにしているのだけれど、きっとこの本は再読する、と思い、図書館に返し、本屋に行った。久しぶりの新しい本は嬉しかった。
年代記から。
『私の努力している対象は、分野も限られて、しかも映えない。というのも、この時代は確固不動の平和が世を支配し、たまに僅かな動揺が見られたにすぎない。首都の政情は憂鬱を極め、元首は領土拡大に無関心であった。それにもかかわらず、始めとるに足らぬと思えるこれらの事件を、深く立ち入って考察することは、まんざら無意義ではあるまい。これらの事柄が原因となって、しばしば大きな事件が動き始めるのであるから。』
『・・・、すべての事情が変化し、ローマ国家が、実質上独裁政となった現在においては、私の述べているようなことを研究して後生に伝えることが有益であろう。じっさい、自分の叡智だけで、潔白と不正を、得策と不利を判別できる人は、ほんの僅かで、大部分の人は、他人の体験を通じて教わるのであるから。
もっとも、このような歴史記述は、ためになっても面白くはない。各民族の地誌、千変万化の戦闘、有名な将軍の最期、それらは読者の心を魅き爽快にする。ところがわれわれは、むごたらしい命令、のべつ幕なしの弾劾、いつわれる友情、清廉な人の破滅、必ず断罪で終る裁判、そういうものでがんじ搦めに縛られ、千篇一律の事件を見せつけられ、倦怠を覚える。』
この後に読んだのは澤木興道著「禅談」。もう抜群のおもしろさ。