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2018年6月27日 (水)

知恵のような

6月23日、日経新聞夕刊に掲載された玉村豊男さんの文章から。

『書斎や廊下にある作り付けの本棚は、半分がガランとした空間になったが、いまは残りの本もすべて放出してしまいたい衝動に駆られている。本棚といっしょに私の頭の中も空っぽにして、過去の知識にすがることなく、ただ前だけを見つめていた少年の無垢を手にして、残りの老年を生きてみたい・・・』

興味深く読んでいた今年3月の日経新聞連載、山折哲雄さんの「私の履歴書」を思い出した。3月1日の文章から。

『・・・これまでのけっして短くはないわが人生のなかで、何と多くの重苦しい荷物を抱えて生きてきたことか。捨てよう捨てようとしてはきたけれども、とても思うようにはいかない。その最たるものが書物の山だったが、捨てても捨ててもいつのまにか溜まっていった。それだけではない。それらの重たい書物のなかに盛られた思想とか哲学までが何ともうっとうしい重い荷物にみえてきたのだった。それがはたしてどんなものだったのかゆっくり確かめながら、この履歴の旅をつづけてみることにしようと思う。』

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僕の一つの夢は本を、大きかったり変わった形だったりする写真集だって、好きなだけ置ける本棚のある家に住むことだけれど(もう一つの夢は見晴らしのよいところに建つ、小さくて、薪ストーブのある山小屋)、先達のこうした文章に触れると、そうなのですか・・・、と胸をつかれる。
今読んでいるのは平家物語。昨夏読みかけて挫折したのをもう一度、『諸行無常の響あり・・・』から始めて、今、岩波文庫版の第1巻が終わりかけている。古くから読み継がれてきた物語には何かがあると思う。何かを読んで、知識というより、知恵のようなものに心惹かれる。例えばロストロポーヴィチがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が書かれたときのことについて述べたことのような。(昨年10月4日の日記をご覧下さいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-29b8.html)

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