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2018年9月 1日 (土)

朗らかさ

8月終わりの都響はサントリーホールで現代曲。指揮のイェルク・ヴィトマンについて、彼の作品を中心に演奏すること、彼のソロでウェーバーのクラリネット協奏曲も演奏すること、これはM君が教えてくれたことだけれど、ヴィトマンの弦楽四重奏曲第3番は劇的な終わり方をすること、しか知らなかった。

リハーサルの初日、穏やかな人だなと思った。ヴィトマンの曲をオーケストラは2曲演奏する。そのどちらも、書かれた音符が彼の血であり肉であることがわかる。頭で書いていない。様々な特殊奏法は、奇をてらうものでなく、音楽的要求からきていることが、最初のリハーサルでわかった。クラリネットを吹いても素晴らしい。
初演のヴァイオリン協奏曲第2番も興味深い。ヴァイオリンソロは妹のカロリン・ヴィトマン。規模の大きな曲を書いて、それを自ら指揮して初めて音にしていく経験は、いったいどんな感じだろう。リハーサル室ではさほど思わなかったけれど、サントリーホールの音響下で、ヴァイオリン、声(!、素晴らしかった)、様々な特殊奏法や様々な楽器から出されるノイズのような音と、楽器本来の音程のある音との組み合わせは見事だった。特にヴァイオリンとアンティークシンバル(弓で弾くシンバル)の音のつながりは、聴いていて楽しかった。
「コン・ブリオ」という曲について、作曲者はベートーヴェンの7番や8番の交響曲との関連を説明してくれた。同じ関連がヴァイオリン協奏曲にも感じられたので、尋ねてみると、その通りとのことだった。加えて、協奏曲のシンプルで美しい旋律はあなたのオリジナルですか?と聞くと、そうです、引用ではないです、と教えてくれた。

ヴァイオリン協奏曲について、ヴィトマンによるプログラム・ノートから、
『際立って長い中間楽章を、私は「ロマンス」と名付けた。この楽章では、感情が細かく枝分かれして、ひとつの宇宙を形作っている。これは、心の内部へと向かう旅である。この旅は、さまざまな感情の領域を横断する。歌うような、あるいは柔らかな要素が、騒音や叫び声にも似た爆発と隣り合わせになっている。しかし、どの場面においても、ヴァイオリンが語り手である。
 作曲技法に関して言うならば、音響や音色の多様性はあれど、全3楽章の基礎を成しているのは、厳格に抑制された素材と動きの、綿々と連なる遊戯的なヴァリエーションである。音楽を通して思考できるようになって以来、私にとって常に重要であったのは、新しいものを創出することであり、どのような色彩の響きを作りだすか、どのように音を組み合わせるかということであった。しかし、簡素化することと形式に特別な注意を払ったのは、これが初めてである。・・・』
初演に立ち会うことができて幸せだった。

5曲あるプログラムのうち3曲が自作、2曲でクラリネットを吹き、3曲を指揮(そのうち2曲は初演)。一晩の内容として、ヘヴィだと思うけれど、常にヴィトマンは明るく生き生きしていた。誰に対しても穏やかで開かれていたと思う。
ヴァイオリン協奏曲もそうだったし、おそらくクラリネット・ソロも、多くの特殊奏法を伴う超絶技巧だ。でもそれらの技法は彼らの体と一体化し、難しそうに聞こえなかった。大変な能力の持ち主に違いない、でも舞台にいて感じたのは、朗らかな彼らと一緒にいられることの心地よさだった。

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チェロのジャン・ギャン・ケラスのことを思い出した。常人離れしたプログラムを連日のようにこなしていた時、彼にもかりかりした感じや悲壮感はまったくなく、ごく自然で穏やかだった。
実際に接したことはないけれど、例えば、大リーグの大谷選手や松井秀喜さんをテレビの画面で見ると、穏やかで朗らかな感じがする。(ケラスはスポーツの話をよくしていた)もしかしてこうした朗らかさこそが、第一線で活躍するために、それぞれの技量と同じくらい大切な資質ではないのだろうか、と思った。

僕には本当に足りない・・・。

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