星
9月22日都響定期演奏会のプログラムはオリヴァー・ナッセン:フローリッシュ・ウィズ・ファイアワークス、武満徹:オリオンとプレアデス、ホルスト:「惑星」だった。指揮はローレンス・レネス。
オリオンとプレアデスのチェロ・ソロはジャン=ギアン・ケラス。最初のリハーサルの後、会いに行き、彼がこの曲を弾くのは初めて、美しく、メシアンやデュティーユを思わせるね、そんな話をした。
学生時代、カザルスホールの主催公演をよく聴きに行った。武満徹さんの曲の演奏機会は多く、よくお見かけしたと思う。96年に初めてサイトウキネンオーケストラに参加した時も、武満さんはいらしていた。2004年の新日フィルのスペインツァー、その後に続いたサイトウキネンのヨーロッパツァー、両方ともプログラムの冒頭は武満さんの「弦楽のためのレクイエム」だった。前半のツァーは、日本のオーケストラだから、という理由でこの曲が選ばれた感じで(指揮者はスペイン人)、残念ながら深い理解は感じられず、サイトウキネンで弾くことを待ち遠しく思った。
正直なところ、僕の弾いてきた武満さんの曲の多くはゆっくりで、つかみどころがあるとは言いにくい。それらの曲に特別な輝きがある、ということに気付いたのは、恥ずかしながら最近だ。
オリオンとプレアデスを弾いていて、広い空間で様々な楽器の音が重なった時、何が起こっているのだろう、と心を奪われた。時間は音楽の大切な要素だけれど、その響きが現れると、時の進みが無くなる気がする。ずっと西洋音楽を弾いてきた、でも武満さんの曲は、もしかして僕たちが何気なく出す音で、必要なものを実現しているのかもしれない。そしてこれは前から感じていたことだけれど、外国の人たちの方が武満さんの曲に強く魅せられている気がする。
プログラムの後半はホルストの「惑星」。浅はかな僕には、全曲にわたって隙なくこの曲が魅力的とは思えない。ルーチンワークになる時間がけっこうある。でも一つずつのフレーズを弾きながら、思いもしないような和声の進行がそこら中にあることに、ようやく気付いた。かなり斬新で、調べた訳ではないけれど、こういう書き方は惑星以外で経験しているだろうか。組曲のエッセンスは火星や水星、木星の有名な旋律より、そうした響きの中にあるのではないだろうか。そう思い至ったとき、前半に武満さん、後半に惑星というプログラミングの理由が浮かび上がってくる気がした。
今回の演奏会はもともと、作曲家でもあるオリヴァー・ナッセンが指揮するはずだった。ナッセンがどうして惑星を選んだのか、そしてどのような音楽を生み出そうとしたのか、知りたかった。
ケラスがアンコールに弾いたのはデュティーユの「ザッヒャーの名による3つのストロフ」から第1。なるほど、メシアンやデュティーユのことを言っていたものね、と思った。調弦を変えるこの曲を、事も無げに弾くケラスを見て、2年前、ブーレーズを一緒に弾かせてもらった時に彼が言っていたことが何だったのか、ようやく少しずつ僕にの体にも入ってきた気がする。(2016年6月の日記をご覧下さい。「メサージエスキス その2」www.ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/2-8fc6.html)
ナッセンの訃報は今年の7月。彼が前回都響を指揮したのは3年前だと思う。ケラスの弾くデュティーユを聴きながら、サイトウキネンがデュティーユに委嘱して彼が来日したのはもう10年も前のことだった、と思った。武満さん、デュティーユ、ナッセン、皆大きな人たちだった・・・。
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