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2019年3月

2019年3月27日 (水)

強く燃え立たせる

3月23日は都響福岡公演、24日名古屋公演、昨日26日は東京文化会館での定期演奏会だった。

名古屋で休憩時間にソリストのガブリエル・リプキンと少し話をした。そもそも「ロココの主題による変奏曲」の第3変奏をハイポジションで終えた後、しっかり松脂のついた指でそのまま第4変奏を始めるのは平気なの?という他愛もない質問を投げたのだけれど、すぐ弾き方のことになり、楽しかった。彼は僕の左肘を支えて腕を真上にして、この重さを使いたい、弾くときに腕の重さを100パーセント使うんだ、それは右も左も同じ、と言っていた。大柄な彼が低い椅子に座り、湾曲したエンドピンでチェロの角度を低くして弾く姿勢は、それを実現した状況になっている。いつも体と弦との接触を保っているよね?と尋ねたら、そう、左手だけでなく弓も同じで、それは例えば声を出している時に突然息を止めることをしないように、音が持続するように、ということだった。(僕のまったくひどい英語で、こう理解したのだけれど・・・)
湾曲したエンドピンを使っているのは、知る限り、彼だけだと思う。トルトゥリエやロストロポーヴィチは短いエンドピンでチェロを寝かすために、一カ所で曲がったものを使っていた。僕はエンドピンがしっかりした支えになるよう、太い10ミリ径のものを使っている。彼はきっとエンドピンの弾力を生かしているんだろうと思った。柔軟な体勢の楽器を弾く、思いもしなかったことだけれど、なるほどその発想は良いかもしれない。
僕の場所から見えるリプキンの弓は、見事にまっすぐな軌跡を描いていた。ロココの第4変奏の32分音符はすべて弓毛が弦に噛んでいて、一つ一つの弓の返しの度に、「くくくく・・・」という音が聞こえた。楽譜には書いてあるけれどほぼ誰もしない第2変奏のスラースタッカート(しかも下げ弓)、多彩なヴィブラート、トリル(とても速いトリルを遅くしていき、それをターンに自然につなげるところは見事だった)、第3変奏の最後のその高いミの音にしっかりヴィブラートをかけること、・・・。常識にとらわれず様々なことに向き合っていることがよくわかった。sempliceと書いてある主題をなんだか凝った感じで弾くことや、第3変奏の大変ゆっくりなテンポ(ドのピチカートが延々続くこちらは気絶しそうになる)には同意できなかったけれど。彼は自分に正直な人なのだなと思った。

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昨日の定期演奏会はロココではなく、ブロッホのシェロモ。本番の舞台でのリプキンは素晴らしい集中だった。ブロッホの音楽の何かに彼の心を濃く強く燃え立たせるものがあるようだった。その何かは指揮のインバルも感じていて、明らかに二人は音楽の核となるものを共有しているようだった。残念ながら、僕はその強いものを傍観するばかりだった。あの火のみなもとはいったい何なのだろう。

インバルの指揮するショスタコーヴィチの5番は、よく進む、テンポの速い演奏だった。83歳、他の誰よりも生命力にあふれ、よく通る声、笑顔、即断即決の指揮官型、指揮台にしっかりと立ち、素晴らしい肩の可動域(この人の辞書に四十肩とか五十肩という言葉はなかったのだろう)、暗譜で。年を取ることの見本のような人だと思った。
僕の持っているショスタコーヴィチの5番は、バーンスタインがニューヨークフィルを指揮したもの。40年前の東京文化会館でのライヴ録音だ。ショスタコーヴィチは世を去っていたけれど、鉄のカーテンがあった時代の、その厳しさを感じさせる素晴らしい演奏だ。彼と、当時の人々に思いを馳せながら弾いた。

3月、年度末。思いがけない方と共演でき、そして様々な出会いと別れがあった。

2019年3月23日 (土)

体験する

今日は福岡への移動日。東京から5時間新幹線に乗り、ホテルに荷物を置いた後、さらに1時間電車に乗って海に向かった。車窓から海が見える時にはいつも、はっとする喜びがある。どうして海を見るのか。自然は人間と関係なくあるからだと思う。素晴らしいことに、水平線はどこへ行っても水平線のままだ。

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音楽や文学、美術、社会、その他多くのことは、人間が関係している。そして100メートル走の記録のように明確な基準が存在することはあまりない。
音楽のよりどころは作曲家の残した楽譜だ。演奏とは、作曲家が何を言おうとしたかを読み取って、それを再現しようとすることだと思う。昔は、音楽は自分の好きなように弾けばいい、と思っていた。今は違う。黒子のように職人のように、楽譜に書いてあることを読み取ろうとする、そしてそれを実現しようとする。その先にはもしかして何かがあるのかもしれない。
多くの音楽に接してきた、そしてその時間が増えるごとに、作曲家のことをより強く感じるようになる。簡単に言えば、どうして人間にこんなことができたのか信じられないほどだ。

先日の演奏会はブルックナーの8番の交響曲だった。1月に6番を弾いた時も感じたけれど、テンポが速いと思う。先へ先へと追われているようだった。演奏会の前にO君が、ピアニストにとってブルックナーは最も遠い作曲家ではないでしょうか、と言っていたことを思い出す。オルガンのように常に持続する音の中にいる音楽だと思う。1つの和音から次の和音へ移るとき、その瞬間が本当に素晴らしい。
長大なこの交響曲の中で、第3楽章に先日の版では2カ所だけ、シンバルとトライアングルが入る。大変印象的な使い方だ。Nさんが教えてくれたのは、(音程がないことになっている)その2つの楽器に、音程が書いてあり、それはきっと作曲者が響きに明確なイメージを持っていたのでは、ということだった。シンバルとトライアングルが最初に入るところ、そこは曲全体の頂点と言っていいと思う。バスにシ♭が書かれたミ♭・ソ♭・シ♭の和音が輝かしく4小節鳴った後、バスがド♭に半音上がり、さらに強くド♭・ミ♭・ソ♭の和音が鳴る。その時が2度目のシンバルとトライアングルの登場だ。

ブルックナーの前には、バッハのマタイ受難曲の中から、アルトのアリアをごく小さい編成にアレンジして弾くことがあった。マタイ受難曲は昔よく聴いていた。純粋に音楽として聴いていたのだけれど、今回、対訳の歌詞を見ながら聴いたら、モノトーンだった世界が急に色彩を帯びてくるようで驚いた。言葉と音楽との関係が本当に興味深かった。言葉がどのように音楽に関わってくるのか、もしかして言葉が音楽を生み出すのか、チェロ組曲や他の器楽曲からは想像もできない豊かな世界があった。

このところ家にいるときによく聴くのはベートーヴェンのピアノソナタ。初期から始めて順番に中期、後期と聴き、32番まで行ったらまた初期に戻る。毎回初めて聴くように聴く。一人の作曲家がどのように変化していったかをたどるのは、奥深い探検のようだ。題名のついた有名な曲や、後期の人間離れした曲はもちろん素晴らしい。でも初期や名前のない曲にもたくさん惹かれるところがある。ベートーヴェンがどのようなモチーフを思いつき、どのように発展し展開させ、終わらせたのか。リチャード・グードがカザルスホールのプログラムに書いたように、驚くべきことにどの曲もまるで違っていて、でもどの曲もまぎれもなくベートーヴェンだ。
こういう聴き方をするようになり、たとえ聴く時でも音楽は体験するものだと、ようやく気がついた。

2019年3月15日 (金)

雨を望んで

時々よそに出かけると、冬の東京はずっと晴れているんだな、と実感する。住んでいて知らずに受けている恩恵の一つだと思う。晴れていると、朝に弱い僕も、まぁなんとか起きよう、と思う。
でも今年は2月の終わりから毎日雨を望んでいる。花粉。昨年の猛暑のせいで飛散する量が多いらしい。ひどい暑さの代わりに何か良いことがあってもよさそうなのに、まるで泣きっ面に蜂だ。

先日タクシーに乗った時、運転手が鼻水で辛そうにしていて、尋ねたらやはり花粉症とのことだった。日本に住む何割かの人がこれに悩まされ、少なからず集中力を削がれていると思う。乗り物の運転をする人、あるいは何か大きな、あるいは重要なものの操作をする人、集中力を求められる作業をする人、・・・。もともと注意力散漫な音楽家の集中力が多少落ちたところで社会的損失は特にないと思うけれど、実際に影響のある職種はきっとたくさんある。この時期のトラブルの発生数とか、損害保険会社はデータを持っていないのかな。
電車などですさまじいくしゃみの咆哮を鳴り響かせ、周りを驚かせる中高年男性(自分もその一人)は、社会迷惑か。(どうして本人はあの大音声に気づかないのだろう)

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日本の財政を圧迫している医療費を、さらに花粉症が後押ししている気もする。ティッシュ屋さん、マスク屋さん、飴屋さん、薬屋さん、ヨーグルト屋さん・・・、そうした業種はうるおっているかもしれないけれど。
国で使うお金を少し融通して、杉の木を伐採できないだろうか。いきなり関東平野とか濃尾平野とか大阪平野とか、広いところは無理としても、まずモデルケースとして、比較的狭い場所、風向きなども考慮して、伐採の影響を判別しやすい地域で試行してみる。そして効果があれば広く実施すれば、と思う。伐採した後はもともと日本の山林に生えていた雑木を植える。すると生物相も豊かになる、というのは素人考えか。
国の上の方にいる人が誰か考えてくれないかなぁ。きっと多くの人が幸せになるような気がする。

2019年3月11日 (月)

雨上がりの今日、いつもと変わらない、あるいはいつもより鮮やかな空だった。8年前の今晩、東北の夜空にはたくさんの星が見えていた、とどこかで読んだことを思い出す。

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